2.夫、憂鬱な春

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2.夫、憂鬱な春

 桜の花びら舞い落ちる中、駅へと向かう。家を出るとホッとする。いつからこんな風になってしまったのだろう。妻はすっかり変わってしまった。でっぷりと太りいつも怒ってばかりいる。正直言って家に帰るのが苦痛だ。だが離婚なんか言い出せば慰謝料をふっかけられるに決まっている。子供たちがいる間はまだ我慢できたがそろそろ限界だ。いっそ姿をくらませてしまいたくなる。でもあの家は私が建てた大事なマイホーム。ようやくローンが終わるというのにあんな女にくれてやることもない。はぁ、と大きなため息をつき電車に乗る。鞄から文庫本を取り出しページを捲った。読書が私の唯一の趣味。だがあの女はそれすらも気に入らないらしく、暗いだのつまらない男だの言う。大きなお世話だ。  それにしても、と私は昨日の出来事を思い出し唇を嚙む。今までも腹の立つことは数えきれない程あったが気にしないようにしていた。だが昨日は……妻に対して初めて殺意が湧いた。数百冊あった蔵書を全て捨てられたのだ。いや、売り払ったのかもしれないがそんなことはどうでもいい。とにかく私の書棚から大切な本が全て消えてしまったのだ。学生時代にお金を貯めて買った思い出の本もあれば貴重な初版本もあった。私は怒りのあまり眩暈がしたがニタニタと嗤う勝ち誇ったような妻の顔を見て怒るのを止めた。怒る価値もないと思ったしここで怒れば妻を喜ばせることになる、そう思ったから。  以前からミステリー小説を読みながら考えることがあった。絶対に捕まらない殺害方法なんてあるのだろうか、と。昨日のことがあってから私はそんな方法を切実に求めている。でも小説の中の犯人は大抵捕まってしまう。まんまと逃げおおせることができる話でも自分では到底真似できないようなトリックを使っており参考にならない。電車に揺られながら私はふと思いつきスマホを取り出した。最近、小説投稿サイトとやらが流行っているらしい。意外とそんな中に役立つものがあるかもしれない。そう思いサイトを開く。数作読んでみるとなかなか読み応えがあった。中には斬新な発想を持つ投稿者もいる。だが私に言わせれば詰めが甘い。そうだ、と閃く。投稿者たちにアドバイスしてやればいいじゃないか。相当な数の本を読んでいる私ならきっといいアドバイスができるはずだ。そうすればいずれ本当に完全犯罪のアイデアを盛り込んだ作品が出てくるかもしれない。そうなったら……。早速投稿サイトに登録することにした。コメントを付けるには登録が必要なんだそうだ。まずはユーザーネームを決めなければならない。私はしばらく思案した後、こう入力した。 ――死神、と。 了
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