お月見の夜

1/2
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
お月見の夜は、毎年決まってばあちゃんの家で、お茶菓子やお団子を食べるのが行事になっていた。 小さい頃は両親と一緒に行っていたけれど、高校生にもなれば一人で出向くようになっている。 それはきっと、その日にしか起こることのない秘密を誰にも知られたくないからだ。 俺がまだ5歳の頃の話。ちょうど十五夜の満月が綺麗な夜だった。 「ねえ、おかあさん。お月さま、まん丸だね」 「そうね」 「ねえ、どうしてお月さまにはうさぎがいるの?」 「どうしてだろうね? もしかしたら、『いつもみんなが幸せでありますように…』って見守ってくれているのかも」 「じゃあ、ぼくも幸せでいなくちゃ」 「そうね。いっくんも、おかあさんも、みんな幸せでいなきゃね」 「うん!」 ぼくは、母さんのこの言葉を信じて、とびっきりの笑顔で頷いていた。 その日の夜中に何となく寝苦しくなって目を覚ますと、ぼくは引き寄せられるようにばあちゃん家の縁側へ立っていた。 窓の外に見つけた同じ歳くらいの男の子がまん丸の月を見上げている。 そっとドアを開けて「こんばんは」と声をかけると、驚いたように振り返った男の子がぼくを見ている。 「お月さま、まん丸だよね。きみ、お月さますき?」 「すき。きみも?」 「うん、すき。おかあさんがね、お月さまは『みんなが幸せでありますように…』って見守ってくれてるんだって言ってたよ」 「へえ、そんなふうに思ってくれてるんだね」 「お月さま、すごいよね」 縁側に置かれているつっかけを履いて、男の子の側までゆっくりと近づいていくと、ぼくも一緒に月を見上げた。 「ぼく、樹【いつき】っていうの。『いっくん』って呼んで」 「ぼくは、樹【たつき】だよ。『たっくん』って呼んで」 「たっくん」「いっくん」 ほぼ同時に名前を呼び合って、顔を見合わせてクスクスと笑った。 これが、樹と樹の出会い。 毎年、お月見の夜だけに会うことができる樹の存在は、俺の中で少しずつ大きくなっていく。 それも会えるのは決まって家族が寝静まった月が一番高くなる時間帯で、初めは眠い目を擦りながら必死だった時間も、いつしか待ち遠しい時間へと変わって行った。 幼かった俺たちも18歳になり、それなりに成長している。 変わらなかったはずの身長は、気がつくと樹の方が高くなっていて、月を見上げる時に視界の端に映り込んでくる凛とした横顔が、俺の心臓をドキドキさせる。 まるで満月の夜だけに魔法にかかっているかのように…。 夜の0時になったのを確認すると、俺はばあちゃん家の縁側へと向かった。 窓の外に月を見上げている樹の姿を見つける。 そっとドアを開けて、縁側に置かれているつっかけを履くと、ゆっくりと樹へ近づいていく。 「今年も会えたね」 「うん。でも、もう難しいかも…」 「どうして?」 「月のうさぎは、『みんなが幸せでありますように…』って願っているから、ずっとここに来続けることはダメみたい」 「それは月の神様が言ってたの?」 「うん」 15歳の十五夜に樹から聞かされたのは、とても信じ難いものだった。 小学生までは何も考えずに笑って過ごしていた時間が、中学校に上がると同時に変化した。 それはきっと、一気にお互いが少年から青年へ変わったことが大きかっただろう。 同じくらいの背の高さだったはずなのに、隣に並ぶと頭半分ほど飛び出している樹は、筋肉がつき、男の子ではなく男子になっていた。 声も低くなり、喉仏も主張し始めている。そんな樹の変化に俺の中で何かが変わり始めていた。 「ねえ、たっくん。どうして十五夜の夜にしか会えないの?」 「どうしたの? 今までそんなこと聞かなかったのに…」 「本当は毎日でもたっくんに会いたいって思っているけど、たっくんはいつも『また一年後に』って手を振るから」 「どうして毎日会いたいの?」 「それはっ…」 悲しそうな顔で俺に問いかけてくる樹に、胸の中にある『好き』だという感情を伝えてはいけない気がして、自分の拳をキツく握りしめた。 「ほらっ、俺たち友達だろ? だから、時々こうして会えたらなって」 「そう出来たら幸せだろうね」 「たっくんが会える日を教えてくれれば、俺はここに会いに来るよ」 「ううん、それは無理なんだ。俺がここに来ることが出来るのは、一年に一度、この十五夜の夜だけだから」 「どうして?」 「いっくん、月をよく見て…」 樹に言われて、月を見上げた。 まん丸の綺麗なお月様。雲ひとつない空に、大きな満月が浮かんでいる。 「気づかない?」 「あっ、うさぎがいない…」 「そう。俺がここにいるから…」 「えっ?」 「そういうこと。俺があのうさぎだから…」 そんなことがあるのだろうか…。そう思うけど、樹の言っていることが嘘じゃないってことだけはわかる。 信じられないけど、樹の言っていることが本当なら、一年に一度しか会えないということも辻褄が合うと思った。 「たっくんは、どうしてここに来られるようになったの?」 「俺がね、お願いしたから。いっくんが産まれた時からずっと見ていたんだ。いっくんの周りにはいつもたくさんの人がいて、笑顔で溢れてて、温かくて、幸せ色っていうのかな…、そんな雰囲気に包まれてるんだ。そんないっくんに会いたいって思ったから」 「俺に?」 「そう。実際に会うとやっぱり温かくて、また会いたいって思うようになっていた。だから月の神様にお願いして、十五夜の夜にだけ、俺をいっくんのところへ行かせて欲しいって頼んだんだ」 「そんなことが出来るの?」 「本当はダメなんだろうけど…。でも、毎年こうして会えるのがすごく嬉しくて楽しみなんだ」 この時、樹は本当に嬉しそうに、幸せそうに微笑んでいた。 月の神様は、とても小さなうさぎで、もう何千年、何万年も生きているらしい。 月にいる時の樹も、もちろんうさぎの姿をしていて、月に映っている姿は俺たちが思っている「餅をついている」というのは、迷信なんだそう。 ここだけの話、本当はみんなの幸せを願いながら一番星を指差しているらしい。 そして、十五夜のこの場所へ来る時だけ人間の姿になれると教えてくれた。 本当のことを俺に話したことで、もしかするともうここへ来る事は出来ないかもしれないと言われてから三年が経ち、今年もこうして会うことが出来た。 ただあの頃と違うのは、俺の中にある樹への想いだ。 「もし会えなくなってしまったら?」 「俺はいつでもいっくんを見てるよ」 「俺にはたっくんが見えないじゃん…」 「月を見上げれば、そこに俺がいる。いつも側にいるから」 「そんなの意味ないよ」 「どうして? それじゃダメなの?」 困ったような表情で俺を覗き込んでくる樹。 きっと、樹には一年に一度のこの日が特別で十分すぎる時間なんだと思う。 でも、俺にとっては… 「俺はたっくんが好きなんだ。ずっと、ずっと一緒にいたいんだ。好きってそういうことなんだよ。いつも、いつでも側にいたいって思うんだ」 「いっくん…」 「俺はね、たっくんが好き」 「うん。ありがとう」 俺は初めて自分の気持ちを伝えた。樹は、月明かりに照らされながら、少し恥ずかしそうに笑った。 その笑顔を俺はきっと忘れない。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!