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01
エアコンの効いた涼しい部屋で、無意識に暑いと呟いていた。
窓の外は夏真っ盛り。目が痛いほどの日差しと、蝉の声が聞こえる。
ダラダラとテレビを眺めていると、スマートフォンが着信を知らせた。画面に表示された相手を確認して指を滑らせる。
「もしもし、母さん?」
「あ、よかった、でた。もしもし成海?」
「なに?」
電話の向こうの母の様子が、いつもと少し違う。何かあったのかと心配になった俺に、思いもしなかった言葉が続けられた。
「あんた明くん覚えてる? ほら、中学生の時隣に住んでた……いまでも年賀状くれる子」
「あぁ、覚えてるけど、明がどうかしたの?」
「明くん、いま海外にいるでしょ? 次の撮影、日本でやるみたいなのよ、ひと月」
「へぇ、帰ってくるんだ」
「それで、成海あんた、泊めてあげなさい」
「は?」
一瞬、声は聞こえたのに、言葉の意味がわからなかった。あまりにも突然な母の言葉に呆気にとられる。
「え? 何言ってんの?」
「せっかくお祖父さんのおかげで広めの部屋に住んでるんだから、問題ないでしょ?」
「いやあるよ、問題! 広めって言ったって1DKだよ? 明ならもっと良いとこ借りられるでしょ!」
祖父の知り合いが大家さんのアパートに部屋を借りて二年と少し。1DKの部屋を破格の値段で借りていた。
同じ一人暮らし組の友達には、かなり羨ましがられている。しかし誰かとルームシェアするには広さが足りないのは、母もわかっているはずだ。
「私もそう思ったんだけどねぇ。明くん、あんたのとこがいいらしいのよ」
「……本人から聞いたの?」
「ううん、明くんのお母さん。ほら、今でも連絡取り合ってるから。どうせあんたも明くんのSNS見てるんでしょ?」
「まぁ、そりゃあ、一応」
今朝チェックしたSNSで、オシャレなサングラスをかけた写真を見たばかりだ。
「こっちは一方的に知ってるけど、俺は年に一度の年賀状でしか連絡とってないし……」
「なにあんた、人見知り発動してるの? 昔は明くんの方が恥ずかしがり屋だったのにねぇ。いまでは人気モデルだもん、すごいわねぇ」
明はAKIという名でモデルとして活躍している。
昔、一年間家が隣だったよしみで今でも年賀状をくれていた。毎年、年賀状に書かれる短いメッセージを楽しみにしている。
こんな国に行ったよとか、近所に美味しいカフェができたとか、ささいなことだ。けれど今でも明と繋がれていることが嬉しかった。
「大丈夫よ、すぐに前みたいな関係に戻るでしょ」
「何その根拠の無い自信」
「だって明くん、そうとうあんたに懐いてたじゃない」
母の言葉で、八年前の夏を思い出す。
確かにあの頃の俺たちは、飽きもせず毎日一緒に過ごしていた。
俺が中学一年生のとき、小学五年生の明が隣に引っ越してきた。
たしか最初は近所づきあいで母さんが明のお母さんと仲良くなり、なかなか友達ができない明を気にかけてあげろと言われたんだと思う。
明はシャイであまり人と目を合わせない子だった。
学年も学校も違うのに俺でいいのかと疑問に思いながら色んな遊びに誘った。
公園でサッカーボールを蹴ったり、俺の部屋でゲームしたり、明の部屋で漫画を読んだり。
お互いの家に通って、時には夕飯をご馳走になって、泊まったりもした。
俺も明といるのは楽しかったし、明は俺によく懐いてくれて、いつも一緒だった。
明のお父さんの仕事の都合で、また引っ越すことになるまで。
「……成海くん、寝た?」
「ううん、起きてる」
明の声に目を開ける。隣にいる明を見れば、何故か寂しそうに眉を下げていた。
「どうした? やっぱり帰るか?」
「ううん、そうじゃないんだけど……」
俺の部屋に泊まりにくる明は、ときどき寂しそうにすることがあった。きっとお母さんがいない寂しさが顔を出しているのだろう。
いつもは寂しくなった? と聞けば肯定も否定もしないのに、今回はそうじゃないと首を振る明。
俺を見る目がどこか真剣で、何故か嫌な予感がした。
「あのね、ボクたち……また引っ越すんだって……」
「……どこに? 遠いの?」
「うん……外国」
「外国かぁー……遠いな」
「……うん」
瞬きをしながら、せめて電車で会いに行ける距離ならなぁと思う。
テレビでスポーツを観てはしゃいで、お互い本気でゲームで競い合って、ご飯だと呼ばれるまで一緒にいる。
突然でまったく実感がないのに、そういう明との時間がなくなるのが、漠然と悲しくて、寂しかった。
「まぁ、大人になれば、また会えるだろ」
「……そうかな。でもボク、大人になるまで成海くんと会えないなんてやだよ……」
「オレだって、いやだけどさ……」
嫌だけど、子供のオレたちにはどうしようもなかった。
もしかしたらまた急に引っ越さなきゃいけなくなって、すぐ日本に帰ってくるかも。
そんなことを考えているオレに、明が体を寄せてくる。まるでずっと一緒にいたいと言っているかのようだった。
夏の暑い夜なのに、オレも明の体に擦り寄る。明の辛そうな顔を見て、自然と手を明の背にまわす。ぴったり密着したオレに、明も腕をまわした。
自分よりも小さい手で、シャツを掴まれる。
「……成海くん、ボクのこと忘れないでね」
「うん。明も覚えといてな」
「ボクは絶対に忘れないよ」
お互いに悲しくて寂しくて、けどその気持ちだけじゃなく何か別の感情もあって。
それが何なのかはわからないまま、オレたちは抱きつきあいながら眠った。
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