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02
「じゃあ、そういうことだから、よろしくね」
「え?」
電話越しの声に、急いで意識を引き戻す。
いや、無理でしょ、と言いかけた耳に、通話終了の音が聞こえた。
スマートフォンの画面を見ると、本当に電話が切られている。
「まじかよ……」
明が来る。この部屋に。
八年前だとそれは普通の事だったのに、今では重大事件だ。
掃除して、必要なものも揃えなきゃ。寝る場所はどうしよう?
明にベッドを使ってもらって、俺は布団を実家から持ってくるか。
「やばい、楽しみかも」
母にはあんなに拒否していたのに、ソワソワとした感覚が生まれる。
明と久しぶり会える。俺は隠しきれない喜びを感じていた。
「……でもあいつ、今は別世界の人なんだよな」
通話を終えたスマートフォンでアプリを開く。
明のSNSアカウントを見れば、新たな写真が投稿されていた。
青空をバックに、下から仰ぐように撮られた写真はオシャレで、とても映えている。
いつもの通り、たくさんのいいねが押されていた。
明がモデルとして活動を始めたと知った時から、俺はSNSをフォローし、彼が載ってる雑誌を買い、できる限り情報を追っている。
年賀状で年に一度連絡は取れるけど、それだけで、他は普通のファンと変わらなかった。
「やばい、着る服ないな……」
大学にはその日決めたテキトーな格好で行っているから、服を最後に買ったのがいつかも覚えていないくらいだ。
頭の中のやることリストに、服を買うのと、髪のカットも追加した。
平日の空港は、それほど混んでいなかった。
落ち着かない気持ちで、俺は駐車場をきょろきょろと見渡す。
空港内の滞在時間を短くするため、明とは駐車場で会う手筈になっていた。
明は三年前からモデル活動をしていたが、世界的アーティストのMVに出演したのがきっかけで、ここ一年で急激に認知度が上がっていた。
日本に来たことはまだ公表していないけど、人に気づかれて騒ぎになりたくないのだろう。
スマートフォンで確認すると、母から伝えられた時刻を示している。
そろそろかなと思っている俺の後ろで、名前が呼ばれた。
「成海くん?」
昔よりも低くなった声。けれど、すぐに誰かはわかった。
どくん、と心臓を跳ねさせながら、振り向く。
「……明」
数歩離れたところに、明が立っていた。サングラスの奥の瞳と目が合う。
懐かしさもあるけど、いつもSNSで見ている人物がすぐそこに立っているのが不思議だった。
空港には何度か来たことがあるのに、明が立っているだけで、見慣れない場所に思える。
久しぶりの再会なのに、彼がすごく眩しくて、俺は何も言えなかった。
明も口を開かないから、数秒、無言で見つめ合う。
「遅くなっちゃった? はじめまして、AKIの仕事仲間です。荷物は積み終わったから、車で送らせてもらいます」
「あ、はじめまして……お願いします」
増えた声に、俺は明から視線を外す。にこやかな女性に促されて、近くに停まっていたワゴン車へ移動した。
後ろを歩く明からの強い視線を、背中に感じる。
「AKI、忘れ物はない?」
「あぁ」
「久しぶりの再会でしょ? 良かったね」
「……あぁ」
明の変わりように、俺は言葉を失う。
仕事仲間の女性にそっけなく答える明は、俺の知らない人だった。
明はあまりプライベートを公表していない。数少ないインタビューやSNSでクールな性格になったことは知っていた。
でも俺は、自分の中にいる昔の明を変えることが出来なくて、仕事の時は素を隠しているだけなんだと思っていたのだ。
あの明はもういないのだと現実を突きつけられ、俺は勝手にショックを受ける。
「あ、この車です。ふたりとも乗って」
「はい……失礼します」
これから一ヶ月、大丈夫だろうかと不安を大きくしたところで、ワゴン車に着く。
さっさと後部座席に乗り込んだ明とは違い、俺はその場に立ち尽くした。
「えっと……」
こういう時、俺はどこに乗ればいいのだろう。
助手席? それとも明の隣?
運転席でナビを弄る女性は、立ち尽くす俺に気づかない。
道案内もするし助手席の方がいいのかなと思っていると、明が体を横にずらした。
「成海くん」
手が下から上にクイッと曲がり、手招きされる。
あまりにも様になる格好良さに感動しながら、明の隣へ乗り込んだ。
「ナビはセットしておいたけど、道が変だったら言ってね」
「はい、わかりました」
知らない車、久しぶりの再会と、初対面の年上の人。
緊張で硬くなった俺を乗せた車が、ゆっくり発進する。
「……」
明は外を見ていると思ったら何度かこっちに視線を向けていたけど、口を開くことはなかった。
ウィンカーの音しかない車内に、気まずさが広がる。
手持ち無沙汰に外を眺めながら、早く家に着いてくれと願った。
「この部屋。あ、これ明の分の鍵。何でも自由に使っていいから」
部屋の前で明に鍵を渡す。手のひらに乗せられた鍵をじっと見た明は、大事そうに握りしめた。
嬉しそうな反応に、ますます明がわからなくなる。
部屋の鍵を開けた俺は、先に明を中に入れた。大きなトランクを引いた明が部屋に入る。俺も続き、ドアを閉めると、大きな体が振り返った。
「成海くん!」
「え、うわっ!」
振り向いた明に、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。突然の変わりようと近さに、俺は鼓動を速くした。
昔は俺のほうが背が高かったのに、今では明のほうが頭ひとつ分大きい。
忙しない心音を感じながら、こいつこんなに大きくなったのかと、離れていた時間を実感した。
「成海くん、会いたかった……あれからずっと会いたかったんだよ」
「……そっか」
「成海くんは? 俺に会いたかった?」
「……会いたかったよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
抱きついていた体が少し離れる。サングラスを外した明は俺の顔を覗き込んだ。
ずっと写真で見てきた整った顔がすぐ近くにあり、じわじわと首に熱が広がる。
「成海くんの部屋に泊まりたいなんて迷惑言ってごめん。でもこのひと月は、成海くんとできる限り一緒に居たかったんだ」
「べつに、迷惑じゃないよ。……俺も明と会いたかったし」
素直に口にするのは恥ずかしいけど、俺が知る彼に戻った明に、自然と気持ちを伝えていた。
嬉しそうな明がまた俺の体を抱きしめる。
「……なぁ、暑いから部屋入らないか」
「うん。でも、もうちょっと成海くんを堪能させて」
外国に住んでいる明とは違い、こっちはハグに慣れていないのだ。
堪能するという言葉の通り、俺の肩口に顔を埋め大きく息を吸う明。
俺はただ、緊張と恥ずかしさと、昔の明に会えた喜びで、体を熱くした。
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