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明が俺の部屋にいる。彼のいちファンでもある俺は、不思議な気持ちで飲み物を置いた。 コップの中で茶色い麦茶が揺れる。 「明、これ好きだっただろ。よかったら……」 俺が差し出した箱には饅頭が並んでいる。実家近くにある和菓子店の物だ。 数秒、無言で饅頭を見つめる明に、俺はハッとした。 そうか、明は今はモデルなんだ。口に入れる物はきっと選んでいるだろう。 慌てて饅頭を片付けようとした俺に、明は満面の笑みを向けた。 「あそこのお饅頭だ! 好きだったの覚えていてくれて嬉しい」 「あぁ……でも、無理して食わなくてもいいから」 「無理なんてしてないよ! いただきます」 饅頭をひとつ取った明は、さっそく口に運ぶ。咀嚼しながら、幸せそうに目を細めた。 「久しぶりだけどやっぱり美味しいなぁ……あ、俺も成海くんにお土産持ってきたんだ」 「え? 俺に?」 うん、と頷いた明はトランクを開く。これと、あとこれも、といくつも物を取り出した。 「え、これってどれも高いんじゃ……」 「全部仕事で貰った物なんだ。いつか成海くんに渡したいと思ってしまっておいたから、たくさん持ってきちゃった」 確かに、明が取り出していく物は、彼がモデルをつとめたブランドのアクセサリーや、プロデュースした服などだった。 その中にある物を見つけ、俺は手を伸ばす。 「これ、明がCMに出てた……」 「あのCM、見てくれたの?」 俺が手に取ったのは、有名ブランドの香水だった。手が出せないわけじゃないけど、それなりに高価だから悩んでいた物だ。 明がモデルをつとめるブランドは高価なところが多く、服やアクセサリーは手が出なかった。 手に入るのは俺でも買えるような価格のスキンケア系が主だった。この香水もぎりぎり手が出せるかなと思っていた物だ。 「あぁ、日本でも放送してたし」 「そっか、成海くんに見てもらえて、嬉しい」 まっすぐ俺に満足気な笑みを向けてくる明。その笑顔が眩しくて、なぜか気恥ずかしくなる。 明には俺がファンであることは言っていない。 彼に関する情報をチェックし、毎日SNSを見ていることが知られるのは恥ずかしかったし、引かれたらと思うと怖くて言い出せなかった。 だから明が来る前に、彼が載っている雑誌などは見つからないところにしまっている。 明からはモデル業をそれなりに応援している昔の知人、くらいに見えているはずだ。 「あ、これはあっちの空港で買ったお菓子。なんか美味しいらしいよ」 「お、さんきゅな。母さんが夕飯用意してってくれたから、その後食べよう」 「やった、おばさんの料理久しぶりだから楽しみだなぁ」 嬉しそうに目を細める明は、さっきまでのそっけない人物とは別人だった。長時間のフライトだったし、疲れていたのだろう。 車ではこれからの一ヶ月に不安を抱いたけど、今では明との暮らしが楽しみになっている。 気づけば俺たちは昔のように笑いあっていた。 「成海くん、お風呂ありがとう」 「おー……」 かけられた声に後ろを振り向けば、髪を濡らした明がいた。タオルで髪を拭きながら歩いてくる。 その上半身は何も纏っておらず、俺は反射的に目を伏せた。何故か、見てはいけない気がする。 「成海くん?」 「いや、おまえなんか着ろよ……」 「あ、ごめん、いつものクセで」 昔は細かった腕が、逞しく成長していた。一瞬見えた腹筋は割れていたし、胸も厚みがある。 男の上半身なんて中高でたくさん見てきたというのに、俺は照れで視線をさ迷わせた。 いつものクセ、ということは、いつも風呂上がりはあの格好でいるのだろうか。 アスリートのように割れた腹筋、ハリのある肌に髪から落ちた雫がすべり──。 まだ目に焼き付いている引き締まった体が頭に浮かび、俺は急いで思考をストップさせた。 俺だってひとりの時は同じ格好で部屋にいるし、別に普通だろ、と言い聞かせる。 「はい、シャツ着たよ」 「ん」 シャツを着てタオルを頭に掛けた明が、俺の隣に座る。腕が触れてしまうくらいの近さに、俺はまた戸惑った。 「成海くん、明日は何か予定あるの?」 「レポートに必要な本借りにちょっと大学行ってくるな。明は撮影じゃないのか?」 「うん、俺は休み。……成海くんの大学、俺もついて行ったらダメかな?」 「図書館なら生徒以外も入れるから大丈夫だけど……久しぶりの日本だし、行きたいとことかないのか?」 「成海くんと一緒がいい」 ストレートに一緒にいたいと言われて、俺はまた体温を上げる。端正な顔に見つめられて心音が速くなった。 明に見つめられて平常心でいられる人なんて、きっといない。 「そ、そういえば、明はなんでモデルやってるんだ? 有名大学も目指せるくらいの成績って聞いたけど」 「あー、最初はスカウトされたから始めたけど……続けてるのは成海くんの目に入ればと思って」 「え、俺?」 「目に入れば、俺のこと覚えていてくれるでしょ?」 モデルをやっている理由に、まさか自分がいるなんて思ってもいなくて、驚きで明を見つめる。 一瞬、冗談なんじゃないかと思ったが、明は真剣な顔で俺を見つめ返した。 人気モデルとして活躍している明は、俺のことなんて忘れているかもしれないと思っていた。けれど、あれからずっと、明の中には俺がいたんだ。 どうしようもなく嬉しくて、にやけてしまう顔を隠すために、急いで俯く。 「……ねぇ、成海くん、どうして俺から顔を背けるの?」 「え? いや、そんなことしてないって」 「今だって目を合せてくれないじゃん……久しぶりに会って、幻滅した?」 「いや、それはない! ただ、なんか照れてるだけで……」 「照れ? ……成海くんは俺といると照れるの? どうして?」 「どうしてって言われても……」 明があまりにも格好良いからだろうか。それとも、いまだに俺に懐いてくれているからだろうか。 じりじりと近づいてくる明から距離を置こうと後ろに下がる。しかし広くもない部屋だから、すぐに壁に追い詰められた。 座ったまま明は両腕をのばし、俺を囲うように壁に手をつく。逃げ場を失った俺は明と壁に挟まれ、閉じ込められてしまった。 「と、とりあえず離れないか? 近すぎる気が……」 「近いとダメなの? ねぇ、成海くん、教えて」 もう俺は下がっていないのに、明はさらに体を寄せてきた。体が屈められて、顔が近づく。 息が触れてしまいそうな距離に、俺は何も考えられなくなる。 あ、明の目、なんかさっきまでと違う。真剣で、甘ったるくて、まるでこれは──。 ぼんやりそんなことを思っていると、明の頭からタオルが落ちた。 「っ!」 落ちたタオルに意識を引き戻された俺は、勢いよく立ち上がる。明の腕を跨いで、慌てて風呂へと向かった。 「わかんないから風呂入る!」 「あ、逃げた!」 うるさい足音をたてながら、俺は脱衣所へと逃げ込む。顔も首も熱くて、風呂に入る前にのぼせそうだ。 「……あんな明、知らない」 俺の記憶にある明は、無邪気に柔らかく笑う少年だ。あんな、熱のこもった目は知らない。 いや、モデルの明は、ああいった表情で写真を撮ることがある。でもそれは、俺じゃなくカメラに向けられるもので──。 どくどくとうるさい心音を落ち着かせるように、俺は大きく息を吐き出した。
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