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05
はやる気持ちで改札を飛び出す。電車で何度も場所を確認したというのに、すぐには方向がわからなかった。
うろうろとしている途中、人だかりを見つける。あそこか、と疑いもせずに俺は走った。
何故か緊張で、胃のあたりが圧迫される。
「誰? なんかの撮影?」
「スタイルやば……てかAKIに似てるよね?」
「え、本物じゃん……」
駅からすぐ近くのビル前には、驚きと興奮が広がっていた。その場を取り囲んでいる人たちをかきわけられず、俺は一番後ろで足を止める。
人々の頭の間から、眩しさを振りまく人物をとらえた。
「これが、モデルのAKI……」
身にまとった上品なスーツは、足の長さを強調する。施されたメイク、嫌味になりすぎない程度に抜け感のある髪、厚みのある体、すべてが完璧に調和していた。
大きな手が髪をかきあげたり、ジャケットを動かす度に、涼しい風が吹くようだった。
初めて間近で見たプロとしての明に、俺は圧倒される。
「はーい、ちょっとチェックします」
スタッフからの声と同時に、少しだけ、空気が和らぐ。慌ただしく動き出したスタッフに近づくでもなく、明は何かを探すように辺りを見渡していた。
あ、目が合った、と思った次の瞬間、明はこっちに大きく手を振った。
「成海くん!」
「いや、手ふんなよ……」
さっきまでのクールな表情から一転、明の顔には飾らない笑みが広がる。
嬉しそうな明に手を振り返したかったが、振り向いたいくつもの顔が、誰? と語っていて俺は引きつった笑みを返すのがやっとだった。
こんな所で注目を浴びるなんて。
こっちに向かおうとしていた明だったが、スタッフに呼び止められ、体の向きを変える。
一瞬俺の方を寂しげに見た後、スタッフと会話を始めた。
明には悪いけど、助かったと息を吐く。もし明がいつもと同じように話しかけてきても、どうすればいいのかわからなかった。
「あの、すいません」
後ろから聞こえた声に、邪魔だっただろうかと急いで振り返る。しかしそこには、数日前に会った人が立っていた。
「あ、明がお世話になってる……」
「こんにちは。撮影の見学なら、こちらへどうぞ」
空港から俺と明を送ってくれた女性が、ついてくるようにと促す。まだチラチラと向けられる視線から逃げるように、俺は女性に続いた。
「あの、AKIとは昔、仲が良かったんですよね?」
「まぁ、はい……」
「今はどういった関係なんですか?」
「え?」
どういった関係。足を動かしながら、俺は一瞬思考停止する。明と俺がどういった関係なのかは、俺の方こそ知りたかった。
俺が答えを考えているうちに、一般人の人だかりから外れ、もっと近く、スタッフが集まっている所に着く。
難しい顔をしていたからか、女性は笑いながらごめんねと言った。
「ごめんね、深い意味はないんです。ただ、彼のあんな笑顔を見たのは初めてで」
「え、あぁ、そうですか……」
「それでね、無茶を言ってるのはわかってるんだけど、AKIの撮影を手伝ってくれないかな?」
「え? 俺が、ですか?」
撮影の手伝いってなんだ、と思うのより先に、俺が? と聞き返す。周りを見ても撮影に必要な人員も道具も揃っているように見えた。
「なに話してるんだ?」
グイッと腕を引かれ、後ろの体に軽く当たる。この香水の匂いは、と思いながら顔を上げると、眉を寄せ不機嫌そうな明がいた。
「AKI、次の撮影、一緒に撮らせてもらったらどうかな。今までにない表情を引き出せると思うの」
「……成海くんと一緒に?」
驚きを浮かべた明が俺を見る。
明と一緒に撮影なんて、自分が一番無理だとわかっている。自然と後ろに引いた足で今すぐ逃げ出したかった。
「もし成海くんが嫌じゃなかったら、俺からもお願いしたい」
「え、俺、素人だよ?」
「うん。でも、成海くんとじゃなきゃ撮れない顔があるのは、俺もわかってるから」
ありえないだろ、と思う俺に向けられる瞳は、真剣なものだった。俺だけを映す瞳に、身動きが取れなくなる。
「……わかった。上手くできるかわかんないけど、やってみます」
こんなに真剣な目と視線を合わせたら、首を横に振ることなんてできなかった。
吐きそうなほどの緊張で、ぎゅっとシャツの裾を握る。しかし自分の服ではないのを思い出して、すぐに力を緩めた。
「それでは、始めますねー」
一生自分に向けられることは無いだろうと思っていた本格的なカメラが、俺の前にある。
さっき明が撮影してた場所からほど近いスタジオで、新たな撮影が始まった。今度は腕時計の宣伝用の写真らしい。
「緊張してる? 成海くん」
「え? いや、うん」
しどろもどろに視線をさ迷わせる俺に、明は微笑む。大丈夫だと伝える微笑みを受けて、俺は少しだけ安心した。
明が信じてくれるなら、どうにかやりきるしかない。
俺の体が映るのは肩の一部くらいで、性別も年齢もわからないようにすると言われていた。
「ごめん、ちょっと我慢してね」
深いネイビーのワイシャツを羽織っている明が、俺と向かい合う。俺は着ている白のワイシャツのボタンをすべてしめているけど、明はひとつもとめていなかった。
シャツの間から、美しい腹筋が見え隠れする。
「え、俺、どうしたらいい?」
「成海くんはそのままじっとしてて」
向かい合って立っている明が近づいてきて、俺の体を抱きしめる。明の左手が、俺の肩に置かれた。
顔は見えないけどまとう空気を変えた明、そして醸し出される色気にあてられて、ゾクッと体が微かに震える。
頭を真っ白にしながらも、俺はただ、じっとしていることに集中した。
ガチガチに硬くなる俺の肩を、明が優しく撫でる。
「大丈夫、そんなに硬くならないで」
「っ」
耳元で発せられた声が、頭の中をかき乱す。
優しく抱きしめられている格好と、俺だけに聞こえる囁き声に、さらに鼓動を速くした。
「俺のことだけ考えて」
うっとりと、肌をなでつけるような声。体に熱が集まるのを感じるとともに、今、明はどんな顔をしているんだろうと思った。
これもすべて、撮影のために俺の緊張を解こうとやっているだけなのか?
明にとってはいつもと同じなのか? 俺じゃなく、他のモデルが相手でも。
明に気づかれないように、俺は密かに、理由の分からない痛みを胸に感じる。
シャッター音が何度も鳴るなか、俺の意識は明に支配されていた。
ピンポン、と鳴ったチャイムに、玄関のドアを開ける。部屋の前には、明の仕事仲間であり、俺を撮影に誘った女性が立っていた。
「こんにちは。忙しいところごめんね」
「こんにちは。いえ、わざわざありがとうございます」
「AKIは今日も取材でしたっけ」
「そうみたいですね」
撮影の日から一週間と少し。明は他の撮影や取材で忙しくしていた。俺も夏休みだからとアルバイトのシフトを多めに入れていたから、ここ最近は明とゆっくり話もできていない。
今日も忙しくしている明に代わり、俺が写真を受け取ることになっていた。
「AKIに渡しても良かったんだけど、重いから……この前は本当にありがとうございました」
「え、これって……」
てっきり数枚の写真を渡されるのだろうと思っていたのに、差し出された紙袋は予想外な重さだった。
中を見ると、二冊の本が見える。
「せっかくならと思って、フォトブックにしてみたんです。世界に二冊だけですよ」
女性はピースサインのように指を二本立てる。そして少し興奮気味に話し出した。
「彼、他のモデルとの撮影だと嫌がるんです。人気モデルといってもまだ若いからか、密着する撮影だとちょっと顔にも出ちゃったりして……。でもこの日の撮影は完璧でした。私たちのイメージ以上に素晴らしいものになったって、スタッフも喜んでるんです」
だから本当にありがとうございました、と頭を下げる女性に、俺も慌てて、こちらこそと頭を下げる。
まだどんな写真になったのかも見ていないのに、明の手伝いをできたことが、少し誇らしく思えた。
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