正しい匂い

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正しい匂い

親友の匂いが、変わった。愛人のそれに、変わった。 関係性の変化ひとつで、感じ方さえまるで違ってしまうのだから、人という生き物はわからない。 そもそもそんな真理が分かっていたら、私が彼と一夜を明かすことはなかったはずだ。でも、事実として昨日の夜はもう変えられない事実として私の前に横たわっている。 「灯里、柔軟剤変えたの?」 起きがけ。 めっきり判然としない頭で、私がタバコを口にくわえていると、枕にデコを埋めたまま、彼が寝ぼけ声をあげる。 露わになったそのごつごつとした肩が、昨夜の熱りを思い起こさせる。ここがホテルの一室であったことも、今になってやっと、現実味が湧く。 わたしは一層強く、煙をふかした。それが空中に解けていくのを、ずっとみつめる。 最後まで、見届ける。 「違うよ、別になにも変えてない」 「そっか。じゃあタバコでも変えたの?」 「ううん、ずっとメビウス。たぶん、夜のせいじゃない」 こんな場所で、朝を迎えるとは思いもしなかった。 きっかけは昨夜のことだ。 たまたま旦那が出張で留守にしていたので、外で夕飯を済ませようとしたところ、大学時代の男友達であった彼と、道端で再会した。 それは、たぶんなんの意味もない、ただの偶然。ドラマで切り抜かれるような、特別なワンシーンではなかった。 冷静になれば、そう思える。 けれど、その時はまるで台本でもあるかのように、自分の意思とはたぶんほとんど無関係に、私の身体は快楽へと流れていった。真っ直ぐ続くはずだった平穏な道から、外れていった。 そして、今である。 私は、思うより平然としていた。 だから平気な顔で、出張中の旦那に「おはよう」などとメッセージを送れる。 後悔、というのは特にない。 世間からみれば堕落している、ただれている、もしそうだとしても、実際に落ちてしまえば、なんということはないのだ。 そこには昨日から地続きの今日がある。 「これからどうしようか」 しばらくして、彼が言った。 色んな意味に聞こえた。 指輪を薬指に嵌めんとしながら言うのだから、彼が私に望む関係は窺える。 「いいんじゃない、別に。わざわざ決めなくても」 お茶を濁した。 そうしながら、私の指は旦那に意味なくスタンプを送りつける。 本当は、彼を愛したい。旦那だけを愛するのが正しい。正義の光が差す方向がどこかぐらいは分かる。 逸れないように、これまで生きてもきた。 でも、愛したいというのは、つまり、愛せていないことに他ならないのではないかと。 私はここへきて気づいてもしまった。 そうして愛したい「彼」が、旦那か親友だった彼か、どちらをさすかさえ分からなくなった。 結局、その日の私たちは全てを曖昧に置いたまま、解散することになった。 家路へと着く。 私は思いついて、柔軟剤を変えることにした。 気持ちで変わってしまった匂いを、強制的に切り替えるため、決して旦那の前で見せないため。 この先に待ち受けるものが、破滅か平穏に似た日常があるのか、今の私には分からない。 でもとりあえず。帰ったら、早速今ある全ての服を洗濯しようと思う。
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