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今晩、どう?
【今晩、どう?】
今晩どうですか、
と真顔で尾上は言った。
なんだか違うな、と思ったので、ぶっきらぼうに、どうだ、やるか。と言ったが、やっぱりしっくりこない。
爽やかな笑顔で、万丈、一発やるか!と言い直したが、それにも納得がいかなかった。
…いらっ、とした。
洗面台に両手をついて、正面にある鏡を覗き込む。人相の悪い中年男が、睨んでいた。本人は全く睨んでいるつもりはないのだが、見えてしまうのだから仕方がない。
ああ、参ったな、
強面をさらに強調させながら鏡を見つめる。
尾上は性欲が淡白な訳ではないし、どちらかと言えばドスケベだ。
溜まったら出したい。
ムラムラしたらヤりたい
単純な構造の下半身が訴える。
が、一発抜くと言う行為が、こんなにも難しいと思ったのは初めてだ。
尾上は、万丈の家に居候をしている。
古い家だから、隣の部屋で誰かが何をしているかなんていうのは、自分の部屋にいても解る。
尾上の部屋の右が万丈の部屋で、尾上の部屋の左が万丈の母親の部屋である。一発、自分でシコってやろうかと思ったが、尾上にだって羞恥心位存在しているのだ。
他人の家で一発抜いて、バレてしまったら
非常に恥ずかしいと思う
(ああ、やりてえな。あいつと一発やれば、とにかくスッキリするんだ)
はあああ、大きなため息をつく。以前なら、3日に一度は万丈から誘ってきたのだ。今晩どうですかと涼しげな笑顔でスマートに誘ってきた。
尾上はそれに頷けば、処理は出来たのだ。
それが、1ヶ月前からお預け状態である。
きっと奴の事だ、魂胆は見えている。
(言わせたいんだ、俺に今晩どうですかと言わせて大笑いをする気だ)
万丈は意地が悪い。
思った以上に意地が悪い。そして尾上も自分で思っていた以上に結構シャイだった。
なんだか、以前だったら言えていた事が、言えない。やれていた事がやれない。
人が見てようが、見ていまいが、やりたきゃやったし、母親にばれようが、そんな事、関係なかったが、今はとにかく嫌だった。
やりてえなあ、そう思うけれど、口に出して、こちらから言ってやるのがとにかく恥ずかしい。
うーん、と悩んだ尾上。
その時
ピカリと名案が浮かんだのである。
その朝、
万丈が目を覚ました時、枕元に何かが置いてあるのに気がついた。
焦点の合わない目で無言で睨む。
それはなんだか汚いメモ用紙だった。
鎖骨のあたりをぼりぼり引っ掻きながら、手に取って広げて見る。
そこには
今晩どうですか。
そう、米粒位の文字が真ん中にちんまり踊っていた。
その朝、万丈食料品店の薄い壁から、万丈の次男の大笑いと、派手な怒鳴り声が万丈の馬鹿笑いを止めようとやっきになっている音が、商店街中に響き渡った。
その夜、尾上の思惑通り、一発のみならず二発も三発も抜けた事にも間違いはないが。
尾上が一層恥ずかしい思いをしたと言うのは、計算外なのであった。
【今晩、どう?】
おまけ
後日
笠松くんからお電話がきました。
笠松「あ、尾上くん?君さ、万丈くんにお誘いのお手紙出したんだって?万丈くん、面白がってコピーくれたよ。尾上くん結構お馬鹿さんだよねえ。」
尾上「(ガチャン!、と電話を切って、そばにいた万丈に振り向いて)万丈ぉおお!」
万丈「…(温い目で笑顔)」
おわり
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