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ライラックにさよならを
あたしたちは、星のかけらに為ってゆくのです。甘いあまい、星のかけらに為ってゆくのです。
***
千代子様は、あたしの通う女学校で一番人気のあるお方でした。すれ違えば誰もが振り返り、そのあまりの美しさに立ち尽くしてしまう。片手には常に本をお持ちになっていて、己の聡明さが滲み出ていました。同じ本を読むことで千代子様に近づきたいと思う生徒たちはみな、授業が終わるとすぐに探しに出かけましたの。
千代子様は誰ともお戯れになることはなく、孤高の存在でした。千代子様をお慕いする者たちの間では、すでに誰かと「エス」の関係を結んでいるのではないか、と噂されていました。
あたしたちにはどうやっても手が届かない。たとえそうなのだとしても、千代子様を追い続けていたのでした。
そのうちあたしは、あたしが「千代子様をお慕いする集団の一人」であることに不満を抱くようになりました。あたしは、他の皆が知らない彼女の声を知っています。屋上で一人で歌う、千代子様のあの玲瓏な声を、私以外知っているはずが在りませんでした。
千代子様との間に何か特別なものが欲しい。
そう気づいた時からあたしは、彼女を「リラ様」と呼ぶことにしました。あたしだけの、彼女の呼び名。
―エスの掟―
お互いは唯一無二の存在であり、他の子とは
仲良くならないこと。
***
ある日の放課後、友人と帰宅しようとしたあたしは、靴箱に一通の手紙が入っていることに気づきました。
友人の一人が
「ハルにもついに、『エス』のお相手が出来るのではなくって?」
と、目を輝かせてそう云いました。
もしそうなのだとしたら、きっぱりと断ろうと思いました。あたしはリラ様以外には全く興味がありませんもの。
「早く中身をみて御覧なさいよ」
と友人に急かされ、あたしはあまり気乗りしないまま封を切りました。中には半分に折り畳まれた一枚の紙が入っていました。
それを広げた時、あたしの身体には電流が走りました。
リラ様の字に違いなかったのです。あたしはリラ様の書かれた文字をみたことはありませんでした。けれど、この美しく凛とした文字はリラ様のものに間違いないのです。あたしには、はっきりとわかるのです。
あたしは屋上に向かって駆け出していました。友人が何か云っていたような気がしましたけれど、それどころではありませんでした。いつもリラ様がお歌の練習をしている屋上。今日の空は雲ひとつ無く澄み切っているから、必ずいらっしゃるはずです。
勢いよく屋上の扉を開けると、やはりリラ様はそこにいらっしゃいました。少し驚いたような、しかしいつも通りとてもお美しい顔で佇んでいらっしゃいます。
「どうして……」
あたしは思わず呟いていました。
リラ様はあたしの目を真っ直ぐにみて、そして少し微笑んで云いました。
「ハルさん、わたくしの妹になっていただけないかしら」
あたしはこのとき初めて、リラ様の笑顔を見ました。鈴のような声が、透き通った空気の中を通り抜けてゆきました。
「わたくしには、あなたしか居ませんの。あなたはきっと――必ず、わたくしに新しい景色を見せてくれる。わたくしを連れ出してくださいまし」
あたしの憧れていた存在は、この日からあたしのお姉様となりました。あたしたちは「エス」の関係で結ばれることとなったのです。
―エスの掟―
憧れによって模倣し鏡像性を示し、同一化を
願うこと。
***
放課後を屋上で過ごすことが日課となって、もうずいぶん経ちます。お姉様は最終学年の先輩。同じときを過ごせば過ごすほど、別れが近くなってゆくことを感じていました。
最近のお姉様は、金平糖がお好きなようでした。小さな袋に入ったそれを持ってきては、まるで小さな子供のように目を輝かせながらお召し上がりになっています。
お姉様は凛としているだけでなく、可愛らしい一面も持ち合わせているのだと、この関係になってから初めて知りました。あたしはお姉様を少しずつ知っていく度に嬉しく、そして僅かながら悔しくも思っていました。こんなにも大好きなお姉様について知らないことがまだまだあるなんて。そう思うとあたしは、あたしが嫌になることがあります。それでも、お姉様が好いてくださる「あたし」を嫌うことは、何だかお姉様に悪いことをしているようで憚られました。
「ハル、ちょっと聞いてくださる?」
お姉様の瞳は、悲しみの色を孕んでいるようにも見えました。神無月の冷たい風が、お姉様の髪を揺らしました。
「わたくしの友人たちはもう、卒業が決まってしまったの。教室の机がひとつ、またひとつと減ってゆく度に、わたくしは寂しくなるの……」
ああ、お姉様との別れのときももう近いのか、とあたしは思いました。女学校を出れば、結婚し子供を産むのが当たり前。縁談の決まった者から卒業してゆくのが女学校の通例でした。
「わたくしは、結婚なんてしたくありませんわ。もっと学びたいし、もっと貴方と一緒に居たい。愛はもっと自由であるべきよ。わたくしは、わたくしは……」
お姉様の手の中から、金平糖がひとつ、ふたつ、ころころとおちてゆきました。
あたしは拾おうと立ち上がりましたが、お姉様は転がったそれをじっと眺めていらっしゃいました。
「……まるで、星みたいね」
あたしたちは、甘い星のかけらをずっと見つめていました。
―エスの掟―
助け合い、お互いの成長を促すこと。
***
「もう、これ以上先延ばしにすることは無理みたい」
その一言で、あたしはすべてを悟りました。
「ハル、あなたならこうなったときどうするかしら」
お姉様は、悲哀の奥であたしに期待をしているようでした。連れ出して、と頼まれたお姉様のお気持ちが、今なら少し分かるような気がします。
「あたしは、あたしなら、お姉様と一緒に居ることを選びますわ。他の何を失っても、あたしはお姉様を選びます」
お姉様は、あの日のように微笑まれました。眼には涙が浮かんでいるようにも見えました。
「それでこそ、わたくしの妹ですわ」
―エスの掟―
相手のすべてを受け入れること。
***
永遠は喪失でしか表現できない。永遠のながさは、あたしたちが決める。
あたしたちは、星になっておちてゆきます。
―エスの掟―
永続的であること。
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本文中「エスの掟」は、ウィキペディア内の「エス(文化)」より引用した。(URLが貼ることができないため、このような形で示している。)
ただし、この項の編集者が参考にしたと思われる論文についても記しておく。
"雑誌『尐女の友』にみる「尐女」文化の構造" 著者:今井あかね
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