いつかネバーランドで

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 中学三年のとき、修学旅行で三崎くんと二人で京都の町を自由観光した。  わたしは、同じグループの女の子たちに置いてきぼりを食らって一人ぼっちだった。前日に私を、自由行動に誘った男の子のことを、友達は好きだったらしい。もうあんたと一緒にいるのはたくさん、と、彼女たちは怒りで顔を赤くしながらどこかへ行ってしまった。  やりきれなかった。いつだってこうだ。わたしは特別に男の子に愛敬をふりまいているわけじゃないし、クラスの男の子とだってほとんどしゃべったこともないのに。  奏平に助けられて、学校に通うようになって、友達もできた。だけど、女の子に嫌われないようにするのはすごく大変だ。気をつけていたって、ふとしたきっかけで簡単にそっぽを向かれる。  わたしの〝友達〟は奏平しかいなかった。一緒にいて安心するのも、嫌われるんじゃないかってびくびくしなくて済むのも奏平だけだった。だからいいんだ。嫌われたってわたしには、奏平がいるから。  そんなことを思って、祇園の街を歩いていたら三崎くんのグループに遭遇した。隣のクラスだった三崎くんは、一人のわたしに気づいてグループを抜けてきてくれた。  ねえ高橋さん、ぼく行きたいお店があるんだけどつきあってくれない? あいつら、いやだって言うんだよ。  夏に入りかけの暑い日で、セーラー服がべったりと腕にくっついていた。たぶんうそだってわかったけど、わたしは素直にうなずいた。  そんなふうに二人きりになるのは初めてで、緊張して、トイレにも行けなかった。汗で下着が透けてないかなとか、眉毛ととのえてくるの忘れたとか、そんなどうでもいいことばかり気になった。  三崎くんも、静かだった。なんてことない顔をしていたから、わたしばかりがこんな気分なのかと思って悲しくなったけど、鼻の頭に浮いていた玉のような汗や、少しだけひきつっている口元を見て、あ、たぶんおんなじだ、ってわかった。なにを話したとか、一緒に食べたアイスの味とか、そんなものは何一つ覚えていないけれど、隣を歩く三崎くんの角ばった肩が、見上げたときの横顔ばかりが、焼きついた。  ――ああ、そうだ。一つだけ、覚えてる。  神社でおみくじをひいたあと、ぎこちなく、気恥ずかしそうに聞かれた。高橋さんじゃなくてさ、しぃちゃんって呼んでもいい?  あのとき三崎くんは、奏平の友達じゃなくなった。だけどわたしは、きゅうっとしめつけられる胸の痛みに、気づかないふりをした。そんなもの、わかっちゃいけないんだと、心の奥にふたをしたのだ。  ――咽喉が、渇いた。  ふらふら、歩く。どこを目指しているのか、わからなかった。さっきより咽喉が痛い。というよりも、熱い。なにか飲まないと、まずいかもしれない。そう思うけど、ここの世界でなにか口にするのは怖かった。  好きに、なるのだと、思っていた。いつかきっと奏平を好きになる日がくる、この気持ちが恋に変わるときがやってくると、ずっと、信じて疑っていなかった。奏平がわたしを見つめる眼差し。その意味に、気づかないはずがない。幼い頃から肌で感じ続けていた。それに応えられないはずがないって、本気で信じていた。  諦められると、思ったのだ。〝好きな人〟くらい、簡単に手放せると。それよりもたった一人の友達を――家族と同じくらい大事な人を失うことのほうが怖かったから。  だけどとじこめたはずの気持ちは、日増しに膨らんでいく。三崎くんが東京に行ってしまうと想像しただけで胸が千切れそうだった。  ――戻らなきゃ。逃げちゃ、だめだ。今度こそ、二人とちゃんと、話さなきゃ。  立ち上がる。もと来た道を戻る。二人がいるのに気づいたのは、そのときだ。  そうして、聞いた。無情に響き渡る、奏平の言葉を。 「俺が、死んでるからだよ」  奏平が、抑揚のない声で、そう告げるのを。  ――うそ。  頭が、真っ白だった。なにも、考えられなかった。  ――そんなの、うそだ。  ただ、二人の会話だけが繰り返し頭に響く。  それ以上聞いていられなくて、気づいたら、逃げ出していた。どこに向かっているのかもわからなかったけど、だけど止まりたくなかった。足を止めてしまえば、その言葉の意味を考えなくちゃいけなくなる。  覚えてるのは、バスに乗りたいと言ったことだ。奏平は歩いて行こうって言ったのに、わたしは荷物が重いからいやだって言ったのだ。じゃあ、歩いていたらそんなことにはならなかった?  視界が開けて、目の前にピーター・パンの大きなイラストが飛び込んできた。壁画の妖精たちが夜空を飛ぶピーターを見上げている。だけどピーターは、どこか遠くを恋い焦がれるように、眼差しを彼方へ向けている。  どこにも進むことのできない国の、永遠の少年。わたしの一番大好きだったはずの、男の子。  ベランダでわたしが泣いたりしたから。ピーター・パンみたいだなんて、そんな馬鹿なことを思ったりしたからだ。あの日、あの夜、わたしに出会っていなかったら。 「いや……」  両手で顔をおおって、うずくまる。いやだよ、奏平。そんなの、いやだ。わたしは信じたくない。  ――あの、赤い果実。ザクロ。  呆けたように、わたしはあたりを見回した。どこかに、あるはず。だってさっきから、どこからか甘い匂いが漂っている。わたしを誘うように、香りを濃くしているのを感じてる。  這うように、探しだす。  あれを、食べれば。そうすれば奏平と、ずっと一緒にいられる。奏平を、一人にしないで済む。  樹の根元にころがったザクロを見つけて奪うようにして掴み取る。それをぎゅっと胸におしあてて、わたしは崩れ落ちた。
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