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ギターを持って姿を現したおれに、奏平は意外そうでもなく、片眉を少しだけあげてこちらを見た。だけどそのまま、ふいっとまた、視線を、しぃちゃんの消えたほうへ向ける。
その、視線。しぃちゃんに一身に注がれた、その眼差し。
憧れた。羨ましかった。おれはお前に、なりたかったんだ。
「弾けよ」
「あん?」
「いいから弾けって。……なんでもいいから」
仏頂面でおれを見返し、なにか言いたげに口を開いた奏平は、けっきょく押し黙って、しぶしぶ芝生の上で足を組んだ。弾むような、軽快な旋律が、その指先から流れ出す。――“Change the world”。
目をそらして、うつむいてしまいたかった。だけど、目に焼き付けるように、ギターを抱える奏平の姿を、ひたすらに見つめる。
曲が終わり、余韻が漂う。やがて奏平は、お前も帰れ、とそっけない言葉でおれを刺した。
「……高校受験のとき」
聞こえないふりをして、そしらぬ顔で切り出すと、奏平は訝しげに眉をひそめた。
「志望校を変えたのは、しぃちゃんと一緒にいたかったからだ」
「……そんなこと、知ってるよ」
「だけどおれは、お前とも同じ高校に行きたかったんだ」
はじめてできた、友達だった。
自分のことにしか興味なかったおれの、小さな狭い世界を壊してくれたのは奏平だった。
おれの世界は、奏平に出会って変わったんだ。
「お前は本当に、馬鹿だな」
呆れたように、肩をすくめて苦笑する。
その目が潤んでいるのに、おれは気づいていて、だけど見ないふりをした。
「あいつを泣かせていいのは、俺だけだ」
「……奏平」
「お前が泣かせてみろ。たたって出てやるから」
別れを、切り出されているのだとわかった。
振り切るように背を向ける。奏平が立ち上がる気配は、ない。
根を張ってしまったような足を叱咤し、前に踏み出す。そのときだ。
「佑也!」
名を呼ばれ、おれはふりかえった。いたずらっこのように無邪気な顔で、奏平はにっと、笑った。
「またな」
頷く。そして、走る。もう二度と、振り返らない。振り返っちゃ、いけない。
――おれが〝しぃちゃん〟と呼びはじめて、しばらくして奏平は、そう呼ぶことをやめてしまった。おれが奏平と呼ぶようになっても、奏平は絶対に、おれを名前では呼ばなかった。面倒だったからじゃない。しぃちゃんに、佑也くんなんて呼ばせたくなかった。それだけだ。それほど、あいつは。
「意地っ張りめ……!」
一歩、また一歩、先に進む。前へ、前へ。
ずきん、と覚えのある痛みが再び後頭部に走る。
おれをのぞきこむ、人の顔が増えていた。けれど気にせず、よろめきながら上半身を起こす。じっとしていろと怒鳴る声が聞こえたけれど、かまっちゃいられなかった。
ひどく、騒がしかった。サイレンや、怒号や、悲鳴。たくさんの、ひとの行きかうざわめき。目の前で、二台のバスが横転し、黒い煙をあげている。救急車が到着し、人が運び出されていくのが見える。
どくんどくんと動悸がけたたましく鳴り響いている。そんな心臓の動いている感触が懐かしい。当たり前のことなのに、それだけでひどく、安堵する。自分の体がようやく自分の元に返って来たような。
それなのに、震えが止まらない。もくもくと立ち込めている煙から、目が離せない。
一筋の、あたたかいものが頬を流れた。
止まらない。次から次へと、あふれだして止まらない。どうして。でも。だけど。
「……しぃちゃん」
おれより先に、駆けていったしぃちゃん。あそこに、いる。わずかな息で、きっと生きながらえている。
確信があった。奏平はきっと、ただで死んだわけじゃない。隣にいたはずのしぃちゃんが死んでいなかったのはきっと、奏平がかばったから。
――お前が、しぃちゃんを守らないはず、ないんだよ。
奏平が願ったから、ここにいる。心の底から帰ってほしいと、あいつが望んでくれたから、おれも、あの子も戻ってきたのだ。
おれは、知ってる。これから直面しなくてはならない、現実を。なにが待ち受けているのか。なにを思い知らなくてはならないのか。だけど、だからといって立ち止まってはいられない。
決めたんだ。約束したんだ、あいつと。――大人になると。
涙を拭う。その足に力をこめ、おれは立ち上がった。
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