いつかネバーランドで

15/15
前へ
/15ページ
次へ
 ギターを持って姿を現したおれに、奏平は意外そうでもなく、片眉を少しだけあげてこちらを見た。だけどそのまま、ふいっとまた、視線を、しぃちゃんの消えたほうへ向ける。  その、視線。しぃちゃんに一身に注がれた、その眼差し。  憧れた。羨ましかった。おれはお前に、なりたかったんだ。 「弾けよ」 「あん?」 「いいから弾けって。……なんでもいいから」  仏頂面でおれを見返し、なにか言いたげに口を開いた奏平は、けっきょく押し黙って、しぶしぶ芝生の上で足を組んだ。弾むような、軽快な旋律が、その指先から流れ出す。――“Change the world”。  目をそらして、うつむいてしまいたかった。だけど、目に焼き付けるように、ギターを抱える奏平の姿を、ひたすらに見つめる。  曲が終わり、余韻が漂う。やがて奏平は、お前も帰れ、とそっけない言葉でおれを刺した。 「……高校受験のとき」  聞こえないふりをして、そしらぬ顔で切り出すと、奏平は訝しげに眉をひそめた。 「志望校を変えたのは、しぃちゃんと一緒にいたかったからだ」 「……そんなこと、知ってるよ」 「だけどおれは、お前とも同じ高校に行きたかったんだ」  はじめてできた、友達だった。  自分のことにしか興味なかったおれの、小さな狭い世界を壊してくれたのは奏平だった。  おれの世界は、奏平に出会って変わったんだ。 「お前は本当に、馬鹿だな」  呆れたように、肩をすくめて苦笑する。  その目が潤んでいるのに、おれは気づいていて、だけど見ないふりをした。 「あいつを泣かせていいのは、俺だけだ」 「……奏平」 「お前が泣かせてみろ。たたって出てやるから」  別れを、切り出されているのだとわかった。  振り切るように背を向ける。奏平が立ち上がる気配は、ない。  根を張ってしまったような足を叱咤し、前に踏み出す。そのときだ。 「佑也!」  名を呼ばれ、おれはふりかえった。いたずらっこのように無邪気な顔で、奏平はにっと、笑った。 「またな」  頷く。そして、走る。もう二度と、振り返らない。振り返っちゃ、いけない。  ――おれが〝しぃちゃん〟と呼びはじめて、しばらくして奏平は、そう呼ぶことをやめてしまった。おれが奏平と呼ぶようになっても、奏平は絶対に、おれを名前では呼ばなかった。面倒だったからじゃない。しぃちゃんに、佑也くんなんて呼ばせたくなかった。それだけだ。それほど、あいつは。 「意地っ張りめ……!」  一歩、また一歩、先に進む。前へ、前へ。  ずきん、と覚えのある痛みが再び後頭部に走る。  おれをのぞきこむ、人の顔が増えていた。けれど気にせず、よろめきながら上半身を起こす。じっとしていろと怒鳴る声が聞こえたけれど、かまっちゃいられなかった。  ひどく、騒がしかった。サイレンや、怒号や、悲鳴。たくさんの、ひとの行きかうざわめき。目の前で、二台のバスが横転し、黒い煙をあげている。救急車が到着し、人が運び出されていくのが見える。  どくんどくんと動悸がけたたましく鳴り響いている。そんな心臓の動いている感触が懐かしい。当たり前のことなのに、それだけでひどく、安堵する。自分の体がようやく自分の元に返って来たような。  それなのに、震えが止まらない。もくもくと立ち込めている煙から、目が離せない。  一筋の、あたたかいものが頬を流れた。  止まらない。次から次へと、あふれだして止まらない。どうして。でも。だけど。 「……しぃちゃん」  おれより先に、駆けていったしぃちゃん。あそこに、いる。わずかな息で、きっと生きながらえている。  確信があった。奏平はきっと、ただで死んだわけじゃない。隣にいたはずのしぃちゃんが死んでいなかったのはきっと、奏平がかばったから。  ――お前が、しぃちゃんを守らないはず、ないんだよ。  奏平が願ったから、ここにいる。心の底から帰ってほしいと、あいつが望んでくれたから、おれも、あの子も戻ってきたのだ。  おれは、知ってる。これから直面しなくてはならない、現実を。なにが待ち受けているのか。なにを思い知らなくてはならないのか。だけど、だからといって立ち止まってはいられない。  決めたんだ。約束したんだ、あいつと。――大人になると。  涙を拭う。その足に力をこめ、おれは立ち上がった。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加