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ほのかな月明かりの他はなにもない闇の中で、わたしは、小屋の壁に背をつけて座っていた。奏平と三崎くんは、中でおばあちゃんと話している。だけどわたしはもう何も聞きたくなかった。聞いて、この世界の仕組みを知ったところでどうにもならない。おばあちゃんのもつ冷気にあてられて、吸い込まれそうになるだけだ。
――ああ、もうそれにしてもタカハシむかつく!
耳元で、敵意に満ちた声がよみがえる。わたしを憎んでいた、奏平の彼女だったあの子の声。
彼女――すみちゃんが合唱部のお友達と、放課後の音楽室で話しているのを立ち聞きしてしまったときだ。ぴりっと体に緊張が走って、わたしはその場で息を潜めた。
「しょーがないじゃん、幼なじみなんでしょー? 小一のときから一緒だって聞いたよ。同じマンションなんだって? すごいよね。マンガだよね」
「でも、倉田とつきあってるのはすみじゃん。気にすることないって」
「そういうことじゃないの!」
そうとう癇癪がたまっていたらしいすみちゃんは、なにを言われてもおさまる気配がなかった。お友達が苦笑するのが、漏れ聞こえた。
「高橋さん、ねえ。まあ、ちょっとうじうじしてるっていうか、いい子ちゃんぽいところもあるけどさ。去年同じクラスだったけど、むしろ印象薄くて、いいも悪いもそんなにないな、わたし」
「だから、そういうところがむかつくの」
すみちゃんは、はあっ、と聞こえよがしにいらだたしげな息を吐いた。
「そうだよ。知ってるよ。悪い子じゃないの。むしろいい子だよ。そんなの、あたしが一番よく知ってるっつーの。去年とか、めっちゃ粗探ししたもん。本気でやなやつだったら、こんなにむかつかない」
「……どういうことよ?」
「タカハシ、かわいいじゃん? なんていうか、ふわっとしてて、女の子らしくって、守ってあげたーいって思わせるみたいな。でもって、性格も悪くないじゃん。だけどさ、天然の媚びがみえるわけ。倉田に対してもそうだよ。彼女できたんだよかったねーとか言いながら、あたしに気ぃつかって多少距離おいたりするでしょ。でもそれがちょっとさみしいですみたいな顔するでしょ? しかも、あたしにもなんっのわけ隔てなく接してきたりするじゃん。それがむかつくの!」
「あんたそれ、ただの八つ当たり……てか、やっかみ?」
「そうだよ。あの子に文句つけると、あたしがただ僻んでるみたいに見える。あの子をきらいだって言うあたしのほうが悪者になるの。いやな子だったらよかったよ。大手をふって悪口言えるもん。だけどあの子相手だと、ただの陰口になっちゃうんだよ!」
すみぃ、と悲鳴をあげるような声と、ずずっと、鼻をすするのが聞こえた。
「だからあたしは、あえて言ってやる。あんな子、大きらい。むかつくし、卑怯だよ。あたしはちゃんと倉田に好きって言った。あの子とは違う!」
やがて泣きじゃくる声が聞こえてきて、わたしはようやくその場を離れた。
いいな、って少し羨ましくなった。わたしにはあんなふうに慰めてくれる友達、いない。一緒にお弁当食べたり寄り道したり、そういう子はいるけれど、涙を見せられる友達はいない。そんなのは昔から、奏平だけだった。
なんでだろう。あの立ち聞きをしてからわたしはすみちゃんのことがちょっと好きになった。とりつくろうことをあまりに知らないすみちゃんと、友達になれたら楽しかったかもしれないと。
あまりの静寂に、まるで世界にたった一人取り残されたようだった。だけど、不思議と恐怖は感じない。こんな闇夜では、初めて奏平に会ったときのことを思い出すから。電気もつけず、月明かりだけの空の下、ベランダで小さくなっていたときの心細さと、不意に姿を現した男の子の姿。
打ち解けてきたころに奏平は、どうして学校に行かないのかとわたしに聞いた。それはそれまでのおしゃべりと、何も変わらないトーンだった。だからわたしは、素直に、友達ができないからだと答えられた。
「じゃあさ、おれ、あしたからおまえのこと、毎朝、迎えに来てやるよ」
「えっ、いいよ、そんなの。班もちがうし」
「だいじょうぶだよ。おれんとこの班長、おまえんとこのと仲いいし、一緒に行けばいいんだよ。頼んでやるからさ」
「でも」
「で、あした、おまえのクラスに行って友達しょうかいしてやるから。ぜったい、だいじょうぶだから。な、決まり。そうだ、学校おわったら、おれんちにも来いよ。ギター、聴かせてやる。びっくりするぜえ、おれ、すっげえうまいんだ」
得意げな奏平に、わたしは囁くくらいの声で、なんで、と呟いた。なんでそこまでしてくれるの。なんでそんなに優しいの。
奏平は、不思議そうに首を傾げるだけだった。
「だってもったいないよ。学校、楽しいのに。心配すんなって、ちゃんと友達できるまで、おれが一緒にいてやるよ」
そして。
その約束を奏平は、決して違えることはなかった。運動会も、修学旅行も、夏祭りの屋台も、遊園地も、わたしの知らなかった外の世界を全部教えてくれた。奏平を通して見る世界は、どれも煌めいて優しい温もりに満ちていた。
わたしには、奏平が一番なんだ。
一番に大事にしなくちゃいけないのは奏平だってわかっていたはずなのに。
「……なにしてんだ、そんなところで」
ドアが開いて、奏平が顔をのぞかせた。
「あんまり外にいないほうがいいって、ばあさんが言ってたぞ」
奏平は立ったまま、決してわたしの隣にこようとはしなかった。
「奏平。……わたしたち、幼なじみなんかじゃなきゃ、よかったのかな」
奏平が身じろぎするのがわかる。咽喉が渇いて息苦しかった。閉塞感に、目の前が真っ暗になりそうだった。
「普通に、同級生として出会えていたらわたしは、……三崎くんじゃなくて、奏平のことを好きになれたのかなぁ?」
いつだろう。わたしはこれと同じことを奏平に言った。あのときも奏平は、石膏像のように真っ白になって責めるようにわたしを見た。
お前がそれを、言うのかと。
衝動的にわたしは、走り出していた。三崎くんが叫ぶのが聞こえたけれど、振り払うように森の奥へ奥へと進んでいく。ときどき、子供の姿を見かけた。枝にハンモックをぶらさげてのんびり寝ている子や、敬二くんに見つからないよう息を潜めている子供たち。そのすべてを行き過ぎて、わたしはとにかく走り続けた。
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