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初めまして、末永くよろしく。
その長く深い口付けは先程まで飲んでいた赤ワインの味がした。
ドレスを腰まで落とした下着姿の上半身を押し付けられ酒を飲み過ぎたことを少しだけ後悔しつつ、何故俺は初対面の女に押し倒されているのだろうと思索する。
事の発端は約二時間ほど前に遡る。
爺さんが興した北條グループは全国に飲食店を展開するフランチャイザーで、ファミレス感覚で入れるイタリアンや若年層も利用しやすいフレンチレストランが一般的に知られているが、和食や中華など多岐にわたり事業を広げている。俺はそこの三代目だ。
三代目というのは良くも悪くも注目される。七光りだなんだと言われることなんて当たり前で、海外進出のため親父が社長の座を退き国内は俺が任されているが27歳という年齢から陰口を叩かれることのほうが断然多く、メディアにも顔を出していることが気に入らないという社員も多いと聞く。
だからといってイチイチ気にするようではトップなんて務まらない。
顔が良い若社長と持て囃されるならそれを利用して自分が広告塔になればいい。売り上げや事業拡大に使えるものは何だって、それこそ自分を売ることだって厭わない。
だから今日、爺さんがよく参加する異業種交流会に参加するよう命じられたのもチャンスだと思っている。各業界の偉いさん方が集まっているパーティーだ。俺の顔を、名前を、一人でも多くの有力者に売り込みたい。
「是非こちら、ご自宅でもご賞味ください」
赤ワインが入った紙袋を手渡してきたのはワイン輸入会社を営んでいるという男で俺より少し年上といったところか。ウチとの取引が叶えば一気に売り上げも伸びると踏んでいるのだろうが、まだパーティーの最中に荷物になるようなものを配るのは如何なものか。見れば挨拶をした相手全員に配っているようで、女性は特に困惑していたり、断る者もいるようだ。
異業種交流会といっても何度も開かれているこのパーティーに来るメンツは大方決まっているのだろう。今の男や俺のような若造には皆あまり興味もないのか、見知ったもの同士でいくつかのグループを作り飲み食いしているようで、たまにテレビや雑誌で見たと話しかけてくる人がチラホラいる程度。顔の知れた爺さんと挨拶回りでもしたほうが効率が良いだろうと考えたがその爺さんは遅れてくるという。手持ち無沙汰の俺はなんとなく周囲の会話を漏れ聞いていたのだが、さっきから参加者達がやたらと気にして噂している人物がいるようだ。
「あんな美人これまで参加したことあったか?」
「見ない顔だね……一人で来たんだろうか?」
「かなり若そうだけどどこかのご令嬢?」
本当なら俺のデビュー戦、もっと注目して欲しかったものだがその人物もどうやら話題になるほど若いらしい。いっそその人物と関われば俺も皆の目に留まるのではないだろうか。
そう思い、広い会場内を見渡す。
秘書や付き人と見られる人達を除けばオッサン七割、オバサン二割、残りはその息子・娘といったところか。あまり華やかとは言えない顔ぶれの中、会場の片隅で酷く不機嫌そうに立ち尽くす若い女性を見つけた。絶対に彼女だ。
艶やかな黒髪を上品にまとめスラリと長い手足が際立つシンプルながら上質なドレスを身に纏う彼女は、表情から冷たそうな印象を与えるもののかなりの美人で、しかしどこか幼さの残る雰囲気も同居しておりおそらく年下だろうと思われる。誰かを待っているのか、時折周りをチラチラと見ては腕時計を気にしていた。
「何か飲み物でも取ってきましょうか?」
いつもの営業スマイルで話し掛けると、彼女はキョトンと目を丸めてからすぐにニコリと笑顔を見せた。
「お気遣いありがとうございます。ですが人を待っておりますのでお気になさらず」
先程までの表情よりもずっと魅力的で思わず気持ちが高揚したが、瞬時に次の手を考えなければいけない。
この若さならきっと何処かの令嬢が親について来たんだろう。ならば話を繋げてその親に顔を売りたい。なんならこの女性に気に入られでもすれば色々スムーズだろう。
「それは失礼。それにしても貴女ほど美しい女性が壁の花なんて勿体ないですよ」
「ふふ、お上手ですね」
「いやいや本音です。あ、貴女もコレ、貰ったんですね」
ワインの紙袋を掲げると彼女は苦笑して頷いた。
「実はこの会には初めて参加したもので話し相手もいなくて……歳の近そうな若い方がいて気になっていたんですよ。お名前を伺っても?」
俺の問いに彼女が一瞬眉間にシワを寄せたように見えたのは気のせいだろうか。
「……二階堂葵と申します。今日は祖父に参加するよう言われて来たのですが……祖父と話したがる方が多くてなかなか一緒にいられなくて」
二階堂といえば日本で知らない人は居ないのではないか、少なくとも何かしら商売をしている人なら耳に入る名前だろう。
国内のみならず世界にも進出している大手ホテルチェーンの頂点に立つのが二階堂宗正。彼の影響力は同業に留まらず、果ては政界にもパイプがあると聞く。ウチも飲食をやっているのもあり、二階堂グループのホテルに出店することは憧れにも近い目標である。
宗正に子や孫がいるとは聞いたことが無かったが――――他に思い当たる“二階堂”は居ない。
「葵さん」
この女性が二階堂グループの隠し球だとしたら近付かない手はない。幸い他の参加者達にはまだ知られていないようだから今がチャンスだ。
「こんなこと信じてもらえるかわかりませんが、貴女の美しさに一目で惹かれてしまいこのまま立ち去るなんて出来ません。もし良ければ少し中庭で話しませんか?」
「遠慮しておきます」
俺の言葉を葵は間髪入れず跳ね返してきた。
自慢じゃないが女に振られたことは人生で一度も無い。予想外の反応に二の句が継げずにいると、吐き捨てるような追撃。
「逆玉乗りたいならせめてまず自分が名乗りなさいよ三下が」
「……え?」
「そもそも一目惚れで口説きたいなら私の名前なんてどうでもいいでしょう? 下手過ぎるのよ」
確かにそうだ、失敗した――などと納得している場合ではない。天下の二階堂相手に下手を打つなんて。すぐにリカバリーしたいが女性が自分相手にこんなに攻撃的な様を見るのは初めてで動揺する。
ん? しかも俺、三下って言われた?
「あ……」
考えろ。考えろ――頭をフル回転させても上手く言葉が紡げずにいると、背後からよく知った声が聞こえた。
「尊、ここに居たのか」
俺をこの会に呼んだ張本人の登場に内心ホッとした。爺さんならこの状況を好転させられるだろう。
「おや? ……おぉ、葵さん! 写真では見ていたが随分と大きくなって!」
「えっと……?」
暫く振りに会う親戚のような言葉を掛けた爺さんは、訝しげな目で見る葵に「すまんすまん」と笑って続けた。
「私は北條照義。ムネ……キミのお爺さんとは幼馴染なんだよ」
爺さんが二階堂とそんな繋がりがあったなんて初耳だ。葵も知らなかったようだが、爺さんが名乗ったことで警戒は解いたようだ。
「そうだったのですね。祖父から聞いておりませんで……失礼いたしました」
「ははは、そう改まらないで結構。それにしても既に二人が顔見知りだったとは話が早い」
「と、言うと?」
爺さんが俺を今日呼んだのは彼女に関することなのだろう。心なしか葵も身構えているようだ。
「もうみんな揃っていたか。待たせたね」
現れたのは二階堂宗正。誰かしら使えそうな相手に顔を売りたいとは思っていたが、まさかその最たる人物といきなり対面するとは流石に緊張する。間近で見たのは初めてだがパッと見は至って好々爺。しかしやはり未だ現役で人の上に立っているだけありどこか貫禄がある。
「初めまして、尊くん」
「あ、は、初めまして! 北條尊と申します!」
「何も緊張することはないよ、私はただの老いぼれだからね」
穏やかに笑う宗正。その横で葵が俯いている。
「もしかしてもうテルから話したのかい?」
「いや、ちょうどこれから話そうかと。尊と葵さんがどうやら知り合いだったみたいでな」
俺が否定しようとすると、葵が口を挟んだ。
「いえ、今日が初対面だったのですが、私が一人でいるところを尊さんが気に掛けてくださったんです」
ね、と微笑みかけてくる葵はさっき俺を三下と蔑んだ女と同一人物とは思えない控えめな態度だ。
「なんだ尊、葵さんが気に入ったのか?」
面白そうに笑う爺さんだったが、どこか嬉しそうな表情。
「実は今日お前に来てもらったのは葵さんと会わせたかったからなんだよ。尊ももう27だ。そろそろ家庭を持つのもいいんじゃないかと思ってね」
家庭を持って一人前なんて古い考えだとは思うが、実際社会では結婚しているかどうかで判断される場面は意外と多い。適当な女と適当に結婚することを考えたこともあったが、利用するに値しないなんの付加価値もない女と結婚するのはデメリットのほうが大きいと考えて思い直していた。その点において葵はこれ以上ない好条件。それに美人だから俺と並んでも様になるだろう。
「葵もだよ。今年24歳になるだろう? いい年頃だ。変な男に引っかかるくらいなら尊くんと結婚すればいいと思うんだ。テルの孫とは思えない好青年じゃないか、悪い話じゃないだろう?」
「おじい様、そうは仰ってもまだ24歳です。会社でも基盤が出来ていないですし――」
そうだ。俺にとってはまたとない良縁だが、葵にしてみれば俺は逆玉という下心を持って近付いてきた信用ならぬ相手。多分敵意しかないだろう。手放しで受け入れられないのもわかる。
「大丈夫、葵はよく頑張ってくれているよ。だからここらで気を張らずにいられる居場所を作って、仕事とのメリハリをつけるのはどうだろうかと思ってね。尊くんと結婚すると決まれば葵には今進めている新規事業を任せたいと思っているんだが……」
宗正の言葉に葵は態度を一瞬で翻した。
「そうでしたか。実は今から尊さんとは二人きりで中庭にでもと話していたんですよ。見知らぬ男性でしたので悩んでいたのですがとても素敵な方ですし、おじい様がそう薦めて下さるお相手でしたら安心して仲良く出来ますね」
語尾にハートマークでも付いていそうな浮ついた声の葵は、俺の腕にギュッと自分の腕を絡めて寄り添ってきた。爺さん達が満足気に頷く。
「それは良かった! 葵さんは別嬪さんだからウチの尊を気に入ってくれるか心配だったんだが」
「何を仰いますか、北條様によく似たとても素敵な男性です」
気を良くした爺さんがそっと俺のスーツのポケットに小さく畳んだ紙幣を数枚忍ばせてきた。これで巧くやれということなんだろう。
「行きましょう、尊さん」
「え? あぁ……」
葵の態度の急変に戸惑ったが、腕に当たる柔らかい感触を振りほどくのは少し惜しかったから俺はそのまま腕を引かれ会場を出た。
思えば今日の会場となっているホテルも二階堂のものだ。芸能人の結婚式や各種授賞式などでも多く利用される場所で、足を踏み入れたのは初めてだがラグジュアリーな建物が囲む中庭は外国人も好みそうな日本庭園で美しい。その中庭をスケルトンエレベーターから見下ろす形で、俺は葵に腕を引かれ客室フロアへと向かっていた。
「中庭に行くんじゃ……」
「こんな話人目のつく所でするわけないじゃない。上に部屋取ってあるからそこで話すわよ」
可憐に腕を絡めてきた女性は何処へ行ってしまったのか。冷たい目で一瞥する葵はさっきとはまるで別人だがこちらが本性なのだろうか。そういう態度で来るなら俺だって猫は被らない。
「何を話すって言うんだよ」
「私とアンタの結婚についてに決まってるじゃない」
「結婚って本気で――」
ポーン、という音と共にエレベーターが止まる。いいから来いと連れ込まれたのはごくスタンダードなシングルルームだった。
「……素面で話すことでもないわね、これでいい?」
結婚話なんてむしろ酒に酔った状態で出来ないと思うのだが、葵は会場で受け取っていた赤ワインを出した。
「いいけど……」
「何か?」
部屋を見渡す。やはり特に広くもないし別室もない。二階堂のご令嬢が泊まろうという部屋ならばどれだけ豪華なのかと思ったが。
「……あぁ、ココ? 私が良い部屋取ってどうするのよ。お客様にお金を落としてもらわないと」
それもそうか。ただの箱入りとも違うのかもしれない。
酔えと言わんばかりにグラスになみなみと注がれたワインを目の前に差し出され、他に場所もなくベッドに並んで腰を下ろした。
「おじい様が言うなら仕方ないわね。私と結婚出来ることを光栄に思いなさい」
「なんで急に? 俺のことが気に入らないんだろう?」
「当り前じゃない。アンタだって名前や肩書だけで寄ってきた女を気に入る?」
「バカな女が集ってきたなと思うな」
「同じよ」
きっとこれまでも似たようなことが沢山あったのだろう。この刺々しさはそんな男から身を守るための鎧なのかもしれない。
「悪かったな」
「……ちゃんと謝ることは出来るのね」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「ナルシスト勘違いクソ野郎」
「お嬢様の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったな」
だけどそんな評価の低い男と結婚しようと思うのは何故だろう。黙っていても良い男は寄ってきそうだし、今慌てて結婚しなくても宗正の孫なら将来は安泰だろうに。
「私、面食いなのよ。それでもアンタでいいと言ってるんだから感謝なさい」
「面食いなら俺以上の相手はいないんじゃないか? 良かったな」
「鏡見たことある?」
27年間顔が良いと言われて生きてきたのに葵のこの態度はなんだ。美醜の感覚がズレているのだろうかとも考えたがこの態度は自分に自信を持っている証拠だ。自分が美人だと自覚があるなら俺を認めない理由がわからない。
「もしかしてアレか? 太ってるのが好みとかすげー年上が好みとか……」
「違うわよ。というかそこはどうでもいいじゃない。好みじゃないけれど結婚するなんてよくある話よ」
だから結婚しましょう、と続ける葵だったが、俺は正直こんなじゃじゃ馬乗りこなす自信は無い。
「……アンタは私と結婚することでメリットがある。同じように私にもあるの」
「イケメンと結婚出来ること?」
「違うっつってんでしょ。私は面食い、アンタは違う。でもいいのよ」
「そんなに否定し続けなくても……」
何杯目かのグラスを空ける。互いに居心地の悪さは感じているのだろう、かなりのハイペースで酒が進む。
「二階堂というカードを持てる上に美人を娶れるなんてこの上ない幸せでしょう?」
確かに葵の言う通り、この態度さえ目を瞑れば俺に損はない話。仕事のために自分を切り売りすることに抵抗はなかったのだ、このまま縁談がまとまればパーティーでの目的は容易く達成する。
だけど……――――
「悪いな、やっぱり俺は自分がイケメンだと思うからさ、お前とは結婚できねーわ」
なんて嘘だけど。
二階堂を味方に出来るならどれだけ暴言を吐かれたって結婚くらい出来る。でもきっと葵だって本心では俺と結婚したいわけじゃないだろう。最初に示した渋い反応、あれが本音のはず。
「……私じゃダメなの……?」
鼻をすする音がして横に座る葵を見ると、俯いて肩を震わせていた。
「え!? いや、そういうわけじゃ……」
「だったら!」
グン、と突然体重を掛けられたと思った次の瞬間にはもう葵に押し倒される体勢になっており、流れるような動作でネクタイをほどかれた。
「結婚くらいしたっていいじゃない!」
酒も入っていて思うように力が入らず上手く宥められずにいると、馬乗りになった葵は俺の上でドレスを脱ぎ始めた。服の上からも思っていたが、でけぇ……
「――じゃねぇ! ストップストップ! 待って!」
「何よ、そんなに魅力ない……?」
「いや、めちゃくちゃ魅力的だよ認めるよマジでこのまま脱がせたいし!」
焦って思わず余計な本音まで洩らしてしまったが、実際こんな状況で美人に迫られてその気にならない男なんて居るのだろうか。
「じゃあ……」
そして押し当てられた柔らかい唇。そのまま続けられると色々ヤバい。
「わからねーんだよ、お前がそんなに結婚したがる理由が。だってお前……俺に興味ないだろう?」
「…………」
上半身は起こしたものの馬乗りのままの葵がぽつりぽつりと話し出した。
「私は……ずっと二階堂の、おじい様の孫として育ったわけじゃないから……」
葵の母親は若くして結婚前に妊娠したが、宗正に認められる前に夫となるはずだった相手――葵の父親は交通事故で亡くなってしまったらしい。そのまま喧嘩別れのような形で実家を飛び出した母親はずっと家柄のことは伏せて一人で葵を育てたが、葵が高校に上がる前に過労で倒れそのまま帰らぬ人となってしまったという。母親の葬儀で初めて祖父である宗正と出会い、宗正の一人娘の娘、即ち唯一の孫ということで引き取りたいと申し出てきたそうだ。
「――だから私はおじい様の期待に応えなければいけないの。恩を仕事で返さないと。きっとそのために私を育ててくれたのよ」
「だからって……」
「それに、私は今おじい様の会社で跡継ぎとして仕事してる。どれだけ頑張っても私の立ち位置は正当に評価してもらえない。だったら使えるものは何だって使って認めてもらうための足場を固めないと……」
同じなのか、俺の状況と。跡取りというだけで努力もなくこの席にいるのだと評されるのは辛いものだ。
「結婚したら新規を任せてくれるって言ってた。そこで結果を出して私は……」
中学生で唯一の頼りだった母親を亡くすのはどれほどの悲しみだろう。その上急に現れた祖父に引き取られ、これまでとは全然違う環境に身を置かなければいけない。その状況なら心無い言葉をぶつけてくる者も相当いただろう。その中で自分の居場所を作るために努力を続けてきたというのか。
ポタポタと温かい涙が俺のシャツを濡らす。
「目の前に……此処にチャンスがあるのに逃がすわけにはいかないのよ……」
哀しみというよりは悔し涙のようだ。涙をいっぱいに溜めた瞳には強い志が見える。
「……まずは服を着ろ」
「どうしてっ」
「あー、そうじゃない。ホラ……仕事のために簡単に脱ごうとするな、俺と結婚するんだろう?」
「!」
女の涙は好きじゃないが、それは安っぽい涙に限った話だ。
葵を俺の腹から下ろしドレスを着せて向き合った。
「政略結婚だろうが俺は不倫だ愛人だなんて絶対許さないぞ? 今後好きな人が出来たっつっても離婚はしない。世間体はめちゃくちゃ気にするタイプなんだ。それでもいいか?」
「うん……! えぇ、必ず守るわ。仕事さえさせてくれるなら私のことは好きにしていいから」
「そんな顔でそういうこと言うな……」
「大丈夫よ――貴方にしか言わないし、こんなことしたの初めてよ。あ、何か変だった……?」
「変とかそういうんじゃなくて」
「キスなんて初めてしたから正解がわからなくて」
「初めて!? 彼氏とか居ただろ?」
これほどの美人に手を出さないとかあるか?
「……高校入るタイミングで生活も急変して恋愛なんてする余裕なかったから……」
拗ねたように目を逸らす葵はしおらしくて不覚にも可愛いと思ってしまった。少し崩れてしまった髪を手櫛で直すその姿は普通の23歳の女性だ。この気高く孤高のお嬢様はきっとこれまで強い言葉とその佇まいで武装して弱みを見せぬよう生きてきたのだろう。宗正ももしかしたらそれを見抜いて結婚を勧めたのかもしれない。
「今後のことはまた改めて話し合うとして――とりあえず俺は寝たい」
腕時計に目をやるともうパーティーはとっくにお開きとなっている時間だった。最近残業が多かったことに加えハイペースでの飲酒で相当眠たい。タクシーで帰ってもいいが酔いが回ったのか体が重たくて動く気になれなかった。
「泊まってっていいよな? ……夫婦になるくらいだし一緒に寝るか?」
冗談めかした提案だがぶっちゃけるともう自宅に戻るのが怠いだけだ。葵は覚悟を決めたように頷いた。
「……そう、よね。私メイク落として着替えてくるから先に寝てていいわよ……」
案外男と同じ部屋に寝ることに抵抗はないのだろうか、それとも結婚相手として選んだ以上受け入れただけなのかはわからないが、あっさり俺の宿泊を認めバスルームに消える葵。
彼女と結婚するのか――――
趣味も住んでいる場所も知らない相手だが、俺は本当に葵と上手くやっていけるのだろうか。出来れば俺がイケメンということも認めて欲しいものだが。眠たかったはずなのに色々なことが頭に浮かんで眠れない。
「あれ? まだ起きてたの?」
スッピンになった葵はメイクをした顔よりは少しだけ幼くて、だけどやっぱり綺麗だ。
「――葵」
声に出して名前を呼んでみるとなんとなく気恥ずかしくなった。そんな俺の気持ちを察したのか葵がクスリと笑う。
「不束者、なんて思ってないから言うつもりはないけれど……末永くよろしくね、尊」
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