優しい彼は言いました「恋を知らないんですよ、それが」

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優しい彼は言いました「恋を知らないんですよ、それが」

「どうして、この時に、気づいちゃったんだろって思ったんですよ……こんな惨めな気持ちになるなら気づかなきゃ、良かったって……」  千夏はとあるBarにいて、カクテルを飲んでいた。 かなり濃いめのお酒で、酔いたくてたまらなかった千夏には都合がいいお酒だった。 きゅっと千夏は目をつむる。酔いで口が止められない。こんなこと、初めて会う男に話すことじゃないのに。  千夏の隣には、スーツの男がいた。長髪であったが一本にまとめており、清潔感と同時になんとも言えない色香を漂わせた男だった。甘い香りもするが、千夏には何の香りか分からなかった。相当酔っていたせいだろう。  少しでも不用意な口を閉ざそうとするが、相手が優しく語りかけてきた。 「いいんですよ……私に教えてください、あなたの恋を」 「変な人……こんな話を聞きたがるなんて」  たまたま隣にいただけで、話を聞いてくれる……傍から見て、かなり希有な存在だ。しかも普通だったら歯の浮くようなセリフでも、説得力があるほどの容姿と声をしている。故にドキリとしたのも事実だが、千夏は平静を装う。  千夏の言葉に男はどこか寂しげな笑みを浮かべた。 「恋を知らないんですよ、それが」 「え」 「そういうのと無縁なところで生きてきたモノで」 「なるほど……」  フツーの世界で生きていないんだろうか……そんな馬鹿なと思いつつ、千夏はまたカクテルをあおった。 すると悲しい記憶がぶりかえして、目が潤む。  今日、千夏は誰にも知られずに失恋した。本人ですら失恋したと気づいたのは、今日だった。  千夏には慎太郎という友人がいて仲良くしていたのだが、別の友人の香奈から、慎太郎に告白をしたという話を聞いた。 そして、慎太郎も受け入れたと……。  香奈は明るい調子でこう言っていた。 「千夏と慎太郎、すごい仲が良かったから、もう付き合ってるかと思ったけど、そうじゃないみたいだから、告白しちゃった」 「そ、そうなんだ……香奈は慎太郎のこと好きだったんだ……」 「うんー。だってイケメンだしー、良い人よね」 「良いヤツだよ、うん……」  優しくて明るくて、優柔不断だけど、良いヤツだ。 「じゃあ、香奈にぴったりかなー!って思ったの」 「ぴったりかー」  なんだか気が遠くなってきた。香奈より自分の方が慎太郎と長く居て、お互い楽しい時間を過ごしていた。 悩みだって打ち明けられていたし、少しでも時間が空けば一緒にいたいと……。  ふと、千夏は天井を見た視線をとめた。自分に対してびっくりしすぎて、まばたきしてしまう。  不思議そうな様子で、香奈は言った。 「どうしたのー千夏……スゴイ顔してるよ」 「いや、ナンデモナイ……ナンデモ……」 「ほ、ほんとう?」  香奈は心底心配しているようだった。千夏はその場にいられないような気分になり、そそくさと香奈に言い訳して、その場を去る。  千夏はこのとき、気づいてしまったのだ。 自分は慎太郎に恋をして、何も行動しないまま、失恋していたと。心臓がズキズキするほど痛かった。無性に自分のふがいなさにくやしくなり、泣きそうになり、すべてを忘れたかった。都合が良いことに、次のバイトが決まっていて、お金に余裕があったのが、徒になった。  千夏は夜の繁華街のBarで、飲み倒しはじめたのだ。 そして飲み続けながら、Barでたまたま隣になった男に、 弱音を吐き続けていた。 「せめて、失恋したかったですよ……告白してダメなら、踏ん切りつくことあるじゃないですか」 「もし友人の告白より先に告白して、成功してたらとは思わないんですか?」 「その未来が思い浮かばなくて……なんだろ、ホント恋愛的な何かがなかったから」  慎太郎が自分をどう思っていたのだろう。そう考えると虚しくなってきた。友人的な魅力しかなかったから、こんな事になっているのだろう。まったくもって思考の無駄だった。  千夏は自暴自棄の気持ちが止められず、それでも限界の理性で、表には出さないようにした。 「ごめんなさい、そろそろ帰る……」  ぼそりと言うと、終電がとうに終わった時刻で行き宛てもないのに、会計のために入り口へ向かう。しかし泥酔した足では歩くにもおぼつかない。けつまずきそうになった瞬間、隣で座っていた男がいつのまにか自分を抱き留めていた。 「あ、ありがと……」  男は静かな声で、囁いた。 「そんなに辛いなら……私で遊びませんか?」  何だろうか、思考が、かき混ぜられるような声だった。 魅入られたように千夏は、男を見つめる。  これはお礼ですと、男は言った。 「だから、あなたは、ただ溺れればいい……」  酔っているとはいえ、変なお酒を飲んだ気はない。 それに、どんなに酔っていても、記憶はしっかりとあるほうなのに。男の言葉があまりに甘い蜜みたいで、千夏の意識はとろとろと曖昧になっていた。
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