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3 寒いギャグを連発すんなよ
9月に入ったばかりなのに、大寒波が来た。
窓を開けてベランダに出れば、肌をあぶるような残暑の日差し。ところが家の中は、二の腕をさすり、首を縮めるほどに寒い。
寒すぎる。
「梨がなし」
「イクラって、いくら?」
「鶏肉を取りに行く」
「カニ、食べっかに」
冷房がいらないほど、キンキンに冷えたギャグのオンパレード。
こんなとき、テレビではよく、ヒューと寒風が吹く効果音をつけるけれど、今の俺の気持ちとしては、ゴオオォ~という、南極で吹き荒れるブリザード。
どうした? リリー。
変なスイッチでも入ったのか?
寒いギャグを連発すんなよ!
それは、おやじのすることだ。
誰にもかまってもらえないおやじが、気を引きたいがために発する、渾身の低レベルギャグ。
“おやじの、おやじによる、おやじのためのギャグ”ではないか!
存在だけで輝きを放つマドンナリリーが、絶対に踏み込んではいけない領域。開けてはいけない禁断の扉。
同じ言葉を操るなら、リリーには、高尚な短歌や俳句がよく似合う。妥協して、世相を斬る川柳ぐらいにしてほしい。
いきなりギャグに走るなんて、血迷ったとしか思えない。
よもやよもや、『おやじギャグ講座』というものが、カルチャーセンターや通信講座に、存在するのではなかろうか?
魔が差して受講し、食べ物でギャグを作る課題でも出たのか?
美しさはもう磨きようがないから、思い切って、ギャグに磨きをかけようとしているのか?
「暑いの? 亮くん」
リリーが、エアコンのリモコンを取った。
一瞬、俺の顔を見たはずなのに、残念ながらその瞳には、土気色になった震える唇が映らなかったようだ。
狭いアパートが、氷の世界になっているというのに・・。
『アナと雪の女王』という、ディズニーの大ヒット映画があったけれど、ふと、『リリーとギャグの女王』というタイトルが浮かんで、俺は打ち消すように頭を振った。
まさかこれが・・、
(♪ありの~、ままの~)
姿を見せたんじゃないよな?
「寒いの?」
リリーが聞き返す。
♪すこ~しも寒くないわ~
そう言えばいいのだろうか?
★ ★ ★ ★ ★
正直、どう反応していいのかわからない。
目尻に涙をためて、笑えばいいのだろうか?
頬をヒクヒクさせながら、
「天才だな。ギャグの神さま降臨」
ほめちぎればいいのだろうか?
そんなことをすると、とち狂って、さらに冷房いらずのギャグを言いはしないか。
会社の上司が放ったギャグなら、忖度して笑う。
口角を無理に引き上げ、
「ギャグ選手権があれば、ぶっちぎりの1位ですね」
昭和のサラリーマンみたいに、揉み手までして大いに持ち上げ、
「最新のAIにも負けない出来ですね」
忠実な部下としての点数を上げるけれど、妻の場合は、どう対応するのが正解なのか。
「結婚は最初が肝心。甘やかすとつけ上がるから、今のうちに、しっかり手綱を締めておけ」
俺が結婚報告をしたときに、ガールフレンドすらいない独身上司が、さも経験があるような口ぶりで話してたっけ。
説得力に欠けるけれど、確かにその通りだ。
新婚のときに、軌道修正をしないと手遅れ。リリーのおやじ化に、歯止めが利かなくなる。 道を間違えた妻のナビは、夫の役目。今のうちに、ルート変更をしなければならない。
目的地を、“おっさん”に設定してはいけないのだ。
★ ★ ★ ★ ★
そういえば大学時代に、俺の友達・悠平が、
「なんてこった、パンナコッタ」
カフェで頼んだスイーツ、パンナコッタで、暴風雪クラスのギャグを放ったことがある。
俺たちのいたカフェの一角が、一瞬にして、極寒のシベリアになった。
あのとき、マドンナリリーは手の甲を口元に当て、ふふっと上品にほほえんだあと、
「わざわざ三枚目に、自分を落とさなくてもいいのに・・」
やんわり、さとしていた。
なんせ、悠平は二枚目だ。
俺と違って、毛先がサラサラと風になびく、ジャニーズみたいな爽やかイケメンだ。
ジャニーズはジャニーズでも、アイドル10年の、作り笑顔とはじけるノリが痛々しくなってきた、ベテランじゃない。CDデビューしたばかりの、レモンを絞ったようなフレッシュさ。
笑ったときに、白い歯がキラリと光るまぶしい男なのだ。
そんな奴が場を冷やすから、逆にモテなくなる。周りを囲んでいた女子が、カチンコチンの冷凍状態で、1人2人と去って行く。
ギャグというものは、世間に捨て置かれ、見向きもされなくなったおっさんと、背伸びをしても、イケメンの水準に届きもしないブサイクな男の必須科目。
ユーモアのある人間だと、見た目以外で自分をアピールするための最終兵器なのだ。
本来なら、俺が身につけなければいけない技術。
美男美女に、ギャグはいらない。
マドンナリリーの忠告で、それから悠平は静かになった。
スーパーモテ男へと、変身していったのだ。
★ ★ ★ ★ ★
「取っつきにくい?」
エアコンの温度を1度下げると、リリーはいきなり質問してきた。
「え、何が・・?」
「あたし、話しかけづらい?」
そりゃあ、そうだろう。緊張もせずに、美人と話ができるのは、視力が0.1以下の奴か、美人ばかりを相手にしているトップ俳優ぐらいなもんだ。
そんなことより、今、“あたし”と言ったか?
“わたし”とは言わないんだ?
いつから、あたしって言うようになったんだろう?
美人が言うと、何だか煙草をくわえた夜の女みたいに見えてくる。
「話しかけづらいって、取引先の人が言ってた」
高嶺の花とは、そういうもんだ。
「美人の宿命だよ」
「気さくに話しかけてほしいのに・・。その点、亮くんはいいよね」
暗にブサイクと言われた。
はっきり言われるより、ショックが大きい。
確かに、俺は子供に大人気だ。ガチャピン風、アンパンマンもどきだから、周りと垣根がまったくない。
まさかリリーは、わざとあたしと言い、おやじギャグで、一般ピーポーとの垣根を崩そうとしているのか?
悠平には、三枚目に自分を落とさなくてもいいと忠告しておきながら、自らは美人の看板を下ろし、下々のところまで、落ちようとしているのか?
「無理に、自分を変えなくていいんじゃないかな? 自分とかけ離れたキャラを作ると、苦しくなってくるよ」
おっさんキャラになる必要はない。
まさか、地じゃないよな?
★ ★ ★ ★ ★
世界4大美人。
楊貴妃、クレオパトラ、小野小町、そして立花百合子。
俺は、マドンナリリーが、小野小町の生まれ変わりだと信じている。
和歌を詠んだ平安美人が、
「牛がうしろにいる」
「ブタがぶった」
「サルが去る」
令和になって、ギャグなのかダジャレなのか、よくわからないものを作ろうが、前世は小野小町だと信じている。
ベランダに干していた洗濯物を取り込みながら、リリーはうれしそうだ。
うふふと、はにかんだ笑いではなく、ケッケッケと、肩を上下させているところが、若干引っかかるけれど、家庭に笑顔があるならいいか。
ここは夫として、広い心、温かい目で妻を見たほうがいいのかもしれない。
強引な軌道修正は、角が立つ。
夫婦間に、亀裂が入る。
夕食がたこ焼きどころか、あたりめだけになる可能性がある。それか、俺が週7で作ることになる。
帰宅のブーや、爪楊枝のシーシーハーハーに比べれば、おやじギャグの1つや2つは屁でもない。
「亮くんも、動物で何か作ってみて。得意でしょ? おやじだから・・」
いやいやいや、その言葉、聞き捨てならない。
“おやじだから・・”
そのひと言が、余計だ。
俺は血圧や血糖値を気にして、黒酢を飲むような年齢ではない。夜中に何度もトイレに行って、寝不足になることもない。腹はまだ、太鼓腹にはなっていないのだ。
リリーが取り込んだ洗濯物の中に、クマ柄のTシャツが見えた。
そこでひとギャグ。
「クマが出て、くまった」
自分で言って、自分でクックックッと笑った。駄作すぎると、意外に笑える。
「はぁ・・?!」
リリーの眉間にシワが寄った。急に、二の腕をさすりだす。
「さむぅ・・。猛吹雪のレベル」
その言葉、そっくりそのまま返してやる!
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