第7話 褒められる。それ大事。

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第7話 褒められる。それ大事。

「ううう……」  僕も、ディーも覚えは早いらしいけど、やっぱりまだ3歳ちょっとだし。  なんてことを思っていたのも、束の間。 「まあ、まあ、まあ、まあ! おふたりとも、すっかりお上手になられましたねぇ」  にこにこにこ、と優しさ全開の笑みで、褒めてくれる読み書き、いわゆる国語のビンス先生が今日はディーと僕を褒めてくれた。  褒められるなんて、何年ぶりだろう。  覚えてる限り、やってもいないミスを押し付けられたり、理不尽に切れられたりした記憶しか出てこないや……うわ、ツラい。  うん。褒められるってやっぱり大事だわ……。  胃の痛くなる錯覚に襲われながら、先生が帰ったあとも嬉しそうに宿題をしているディーを見る。  へにゃ、と笑っては先生に褒めてもらったところを嬉しそうに、楽しそうに眺めるディー。  その様子は、どこからどう見ても、誰がどう見ても、天使でしかない。癒やされるわー。  なあ運営。この天使に、悪役令嬢になる要素なんて、どこにも見当たらないんですが、どこをどうやったら悪役令嬢になるんですかね?!  思わず、じい、と見つめていれば、僕の視線に気がついたディーがきょとん、と首を傾げる。 「なあに?」 「ううん、なんでもないよ」 「うん?」  ふふ、と笑いながら答えれば、ディーもふふ、と笑う。  その様子は、まるで。 「うっわ、天使」  ぼそり、と聞こえた声に、「わかる」心の中で全力で頷いた直後、「いったぁ?!」と小さな叫び声が聞こえる。 「静かにしなさい、ハンナ」 「だってメイジーが蹴っ?!」  うん、蹴ってたね。脛。  視界の端の方で、素早い動きをしてたメイジーの足が見えたよ。  ……踵でイッタよね? 今。  うわ、痛そう。  そんなことを思わず思いながら、ふたりを見やる、  素知らぬ顔をしたまま立っているメイジーと、そのメイジーに抗議の声をあげるハンナ。 「ふたりともたのしそうね」 「なかよしなんだよ」  二人の一連のやり取りを見て、楽しげに笑うディーにそう返せば、「わたしとユーリみたいだね!」とディーはさらに笑う。  そんなディーを見て、ハンナが「はうわっ?!」と謎の声をあげ膝から崩れ落ちた直後。 「ユリウス様とリディアお嬢様のお勉強中です。ふたりとも外に出ていなさい」  眉間にしわを寄せたキグリにふたり揃って部屋を追い出されたのは、まあ、言うまでもない。 「ねぇ、ユーリ」 「んー?」 「おひるごはんのまえに、ちょこっとおにわにいきたいの」 「にわ?」 「うん。いっしょにいこー?」 「ん。いいよ」 「やったぁ!」  ディーよりも先に宿題が終わって本を読んでいた僕を、どうやら待っていたらしい。  しっかり帽子を持ってきていて、ディーの準備は万端だった。 「あ」 「ん? あ!」  手をつなぎ、庭に出て数分後、広い我が家の庭を一人で切り盛りしている我が家の庭師の姿を見つける。 「ヴァンじいー!」 「おやおや、こんなおいぼれ爺のところにずいぶんとまぁ可愛いお客さんだ」 「きちゃった!」  ぶんぶん、と手を振りながら近づいてくるディーを、ヴァン爺は目尻をさげて見守る。  ヴァン爺、と皆に呼ばれてはいるけれど、ヴァンさん、決してお爺さんではないと思う。  だって、うちのじいちゃんばあちゃんよりよっぽど若いし、『祖父母』のイメージからだいぶかけ離れてる。いや、かけ離れすぎている。  推定60代後半。じいちゃん、なんて表現とはほど遠い肌ツヤ、馬力。  この前だって、一人で肥料を大量に運んでたし、筋肉すごいし。  ヴァン爺も一応魔法が使えるらしい。  土魔法に特化してるってちょっと前に聞いたけど、この庭園の中は殆ど魔法を使わずに手入れと造園をしているって言ってた。普通に凄すぎる。 「あ、でも、おでしさんがほしいっていってたなぁ」 「おでしさん?」  なぁに? それ、と僕の呟きにディーが反応する。 「ヴァンじいがせんせいになって、いっしょに、にわをていれするひとがほしいってことだよ」 「いっしょに! わたしたちもできる?」 「んー……」  期待に満ちたディーの顔に、んー、と言葉が詰まる。  僕は出来るだろうけど、流石に候爵令嬢が庭いじりをするのは難しいだろうし……。かといって、適当なことも言いたくないし。  うーん、と唸り声をこぼしながら悩み始めた時、ふと、「そうですねぇ」とヴァン爺が口を開く。 「リディアお嬢様も、ユリウス坊っちゃんも、これからたくさんのことを覚えなきゃならないですからなぁ。どうしても、どうしても気分転換がしたい、となったら爺とまたお話をしてくださったら、爺は嬉しいですなぁ」  ぱちん、と片目を瞑ってそう言ったヴァン爺に、ディーが目をキラキラとさせながら元気に頷く。 「して、お嬢様に坊っちゃん。どこかへ行く途中だったのではないですかな?」  にこやかに、そう告げてくれたヴァン爺に、ディーが「そうだった!」と大きな目をさらに大きくしながら僕を見やる。 「ユーリ、あっちにいきたい!」 「うん、いいよ」  くん、と僕の手を引っ張ったディーとともに、ヴァン爺に別れを告げて、再び歩き出す。  3歳児の低い視線で見る庭は、延々に続いてるんじゃないかと錯覚しそうになる。  そんなこと無いって分かってるんだけども。 「ディー、どこまでいくの?」 「もーちょっと!」  ぶんぶん、と掴んだままの僕の手を前後に振りながら、ディーは歩く。  ヴァン爺が作ってくれた通路からはみ出してもいないし、キグリが付いてきてるし、ディーに危険は及ばないはず。  そんな事を思いながら、ディーの即興であろう鼻歌をBGMに散歩を続ける。 「ねえ、ユーリ」 「んー?」  タンポポに似た花、チューリップみたいなやつ。  ―― 「お兄ちゃん! 見てみて!」    小さい頃、妹の散歩に付き合って歩いた道とは、ほど遠いのに、ふいに、妹の小さい頃が浮かんできて、「にてるなぁ」なんて、小さく呟く。 「ユーリ?」  立ち止まった僕の名を呼ぶディーの後ろの空が、青い。 「まぶしい」 「ユーリ?」  ディーの髪色とは違う水色。  その水色は、ずっと見てきた日本の空の色と同じだ。 「みてたはずなのになぁ」  同じはずの、覚えてるはずの、あの空が、思い出せない。  コンクリートの建物が、空へ空へと伸びていたあの淀んだ空が、いまは、全く思い出せない。  「これからたくさん見ればいいんじゃない?」    苦い記憶しか思い出せずにいた僕に、僕の中で、ユリウスが名案だと言わんばかりの顔で笑う。 「……そうだな」  くくっ、と誰にも聞かれないほど、小さな声で笑った僕に、ユリウスが満足そうな顔をしながら頷く。 「ユーリ」  ディーに呼ばれた声に、「んー?」と返せば、目があったディーが嬉しそうに笑う。 「たのしーね!」  青空を背景に、満面の笑みで言ったディーがキラリと光ったように見えて、なんだかひどく泣きだしたい気持ちになった。
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