第8話 声が、聞こえた。

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第8話 声が、聞こえた。

 それは決して、悲しい気持ちでも、寂しい気持ちでもなくて。  ただ、リディアがそこにいて、翔吾もそこにいることが嬉しかっただけ。  翔吾には言っていないけど、  ボクたちの分岐点は、刻一刻と、近づいている。  それは、翔吾のせいでも、ボクのせいでも、誰のせいでもない。  これはただの、  運命の  神様の、気まぐれなんだよ。  ◇◇◇◇◇◇◇  青空をバックに満面の笑みを浮かべるディーを見て、きゅう、と胸が痛くなる。  なんだかよく分からない気持ちが綯い交ぜになる。  気を抜いたら泣いてしまいそうだった僕は、「いこう」とディーの手を引っ張る。  そんな僕を、ほんの一瞬、不思議そうに見たものの、ディーは何も言わずについてきてくれて、またすぐに鼻歌が聞こえてくる。  お庭、と繰り返す歌が聞こえ始めた時、ふと、『イタイ、イタイ』と小さな声が聞こえた気がして、辺りを見回す。 「ユーリ?」 「ディー、どこかいたい?」 「? どこもいたくないよ?」  唐突な僕の質問に、こてん、と首を傾げたディーを反応を見る限りでも、いまの声はディーじゃない。  じゃあ、誰の……? 『イタイ。イタイノ。ミンナ、イナイノ。ミンナ、ドコ?』  弱々しくて、消えてしまいそうな声。  誰かを探す、小さな声。 「ディーは、ここにいてね」 「ユーリ?」  そう言って、ディーの手を離し、声の聞こえた方へと走る。 「ユリウス様?!」 「ディーをおねがい! キグリ!」 「はい、わたしはここに」  たっ、と走り出した僕に、少し離れた場所から見守っていたハンナとメイジーの驚いた声が聞こえる。  と同時に、キグリを呼べば、異変に気がついたのか、キグリはすぐ傍に来ている。 「ユリウス様、どちらに」 「あのへいのところ、だれかがけがしてる」 「……ユリウス様はリディアお嬢様と」 「ダメ! ぼくもいく」  見上げながらそう告げた僕を、キグリは一瞬、悩んだあと「失礼いたします」と抱きかかえてくれて、走ってくれる。 「決して、わたしから離れないでくださいね、ユリウス様」  抱きかかえられてるんだから、離れるも何もないんじゃ……。  真剣に言うキグリの言葉に、そんなツッコミをいれそうになるのを必死に抑えて、コクコクと頷く。 『……コワイ、コワイ……!』  僕たちの足音に気がついた声の持ち主が、怯えた声をだす。 「だいじょうぶだよ! こわくないよ」 「……ユリウス様?」 「こわくない。ぼくはいたいことしない。だいじょうぶだよ」  立ち止まってくれたキグリの腕の中から、声の持ち主に言葉をかける。 『イタ、イ』  消えそうな声に、「どこ?! どこにいるの?!」と声をあげれば、ほんの一瞬、キラ、と塀の付近が光った。 「あれは」 「ちかづいて、キグリ」 「ですがっ」 「だいじょうぶ。あのこは、ぼくたちにこうげきなんてしない」 「……ユリウス様?」  塀のすぐ脇に植えてある庭の木の根元が、ぼんやりと光っている。 「キグリ、おねがい」 「ユリウス様は、わたしの後ろへ」  光の元を指差せば、僕を地面におろし、背後にまわしたキグリが、声の主に近づいていく。 「これは……っ」 「けが、してる」  なんて酷い、とキグリが小さな声で呟く。  キグリ越しに見えた声の主は、動物園で見たナマケモノとそっくりな、身体のとても小さな生き物だった。  身体中に怪我をしていて、特に左手の先が酷い。 「キグリ」  くい、とキグリの服の袖を引っ張りながら、彼の名前を呼ぶ。 「このこ、たすけたい。たすかる?」  グッとキグリの腕を掴みながら、彼と今にも息絶えそうな生き物を見やる。  助けたい。助けてあげて。  必死にそう告げれば、キグリが小さく息を吐いたあと、何かを決めたように口を開く。 「お医者様をお呼びしましょう」 「!!」  にこりと微笑んだあと、キグリが自分の上着をぬいで、怪我をしたその子を包んで持ち上げる。 「もう、だいじょうぶだよ」  キグリの腕の中のその子に声をかければ、一瞬、目をあけたあと、静かに目を閉じた。 「……せんせい、このこ、たすかる?」 「ユリウス坊っちゃん」  医師が来るまでの間、ナマケモノみたいなその子の身体をぬるま湯と柔らかい布で拭いて、土埃と血で固まった汚れをおとしたけど、やっぱり小さな身体には、いくつもの傷があった。  毛で覆われているはずのところも、地肌が見えてしまっていて、そのうえで、そこにも怪我もある。  何度も手を止めてしまいそうになった僕にかわってキグリが拭いてくれようとしたけど、その都度、大丈夫、と申し出を断り続けた。 「魔獣に人間用の傷薬が効くかどうかは何とも言えませんな……ワタシの回復(ヒール)も魔獣に効くかどうか……」  そうか……やっぱりこの子、魔獣なんだ。  シュプレングル家がお世話になっている医師 ムロンド先生が、 傷口を消毒し、回復(ヒール)をかけながら言う。  ナマケモノにそっくりだけど、フタユビナマケモノの顔で、前足の指が3本で、尻尾があるミユビナマケモノの身体をしている。  馬と犬は見たことあるけど、その他の生き物を殆ど見たことなかったから、もしかして、とは思ったけど……やっぱりか。 「まじゅう……せんせい、このまじゅうは、ころされちゃう? このこ、わるいことしてないのに」  ぼぅ、と小さな柔らかい光を、ナマケモノ魔獣にあてるムロンド先生に問いかければ、先生は瞬きを繰り返したあと、僕を見やる。 「ユリウス坊っちゃん。魔獣がみな、殺されてしまうわけでは、無いのですよ」 「そうなの? じゃあ、なんでこのこはこんなにケガしてるの?」  小さな身体に、たくさんの酷い傷。  ムチで打たれたようなものから、切り傷。それから縄のあとのようなものまである。 「それはきっと、悪い大人の仕業でしょうなぁ」 「わるい、おとな」  悲しそうな表現でそう言ったムロンド先生の言葉を、小さく呟く。  野生の魔獣を捕まえて、いたぶって命をもて遊ぶ奴がいるのか。この国には。  いや、違う。この国、「にも」、か。 「ユリウス坊っちゃんは、この子を助けたいのですかな?」 「っ! もちろん!!」 「でしたら、奥方様かセフィリオ坊っちゃんのお戻りになるまでの間、この子のお傍にいてあげられますか?」 「うん! でも……なんでかあさまとリオにいさま?」 「お二人は、回復(ヒール)魔法をとても得意とされております。それこそ、ワタシが比べるなど失礼にあたるほどなんですぞ」 「……そう、なの?」 「ええ。ですから、おふたりが戻られましたら、この子のことをお願いいたしましょう」 「…………わか、りました」  少し前に聞いていたムロンド先生の評判。  国内でも有数の腕に入るほど優秀な先生をもってしても、魔獣の治療の経験はなく、相当難しいことらしい。 「人間の怪我でしたら、すぐに治してあげられるんですが……ごめんな、おチビちゃん」  おチビちゃんと言いながら、ムロンド先生がナマケモノ魔獣の身体を優しく撫でる。  額には汗が滲んでいて、先生は白衣の袖で時折拭う。  ここにいる間、ずっと先生の手は光を帯びていたから、回復(ヒール)をかけ続けてくれていたようだ。  部屋を出る頃にはムロンド先生がふらついていて、このあとは往診の予定も入っていないと言っていたから、キグリにお願いして休んでいってもらうことにした。 「ユーリ」 「ディー」  泣きそうな顔をしながら、ディーが部屋に入ってくる。 「そのこ、たすかる?」 「……かあさまと、リオにいさまにおねがいしたほうがいい、ってせんせいが」 「そっか」  応接室に用意した簡易ベッドに横たわるナマケモノ魔獣を、ディーが僕の影にかくれながらそっと見やる。 「こわくないよ?」 「こわいわけじゃないの。ただ……いたそうでかわいそう……」  きゅ、と僕の服を掴みながら言うディーに、「そうだね」と頷く。 「はやくげんきになるといいね」 「ん」  そう言って、ぎゅ、と僕の手を握った小さな手が、いまは何よりも、誰よりも、心強かった。
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