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二.故郷へ
『気門岳が何百年ぶりに噴火』
『押し寄せる火砕流に市民騒然』
その知らせが立道悠斗に届いたのは、運悪く幾度も噴火している妻との別れの時だった。
「あなたとはもう一緒に生きていく自信がないの。」
「遠回しにいうなよ。結局、人間好きか嫌いかどっちかだろ。それの後者だった。それだけのことだろ。」
その瞬間に、明美の眉がピクリと動いたことに、立道は後に戻れない予感がした。
「なんて言い方するのよ!」
「事実と憶測は正しく分けて伝えるもんだ。」
一度言ってしまった言葉は消えることはない。
何も言葉にならないという目つきで明美はにらむ。
ただ、最後は呆れたように口元をふと緩めた。
「そうね、あなたの言う通り、流石は新聞記者さんね。事実と憶測をごちゃまぜにしてたら商売にならないわよね。
そう、あなたのこと嫌いなのよ。さよなら。」
踵を返す明美の背に立道は吐く。
「嫌いなのよではなくで、厳密には嫌いになっただろ?」
今度ははっきり相手に聞こえるように立道は追い打ちの言葉を放つ。
「でも、よかった。こんな俺のことを一瞬でも好きだった時もあったってことで……。」
まだ、言葉は終わっていなかったが、遮るように、玄関先の観葉植物が遠慮なく飛んできた。
「さよなら。しがない新聞記者さん。」
誰もいなくなった無機質な部屋には無駄に時を刻む針の音だけが耳に残った。立道は勢いよく寝転び、テレビの電源を付ける。
『誰かを幸せにする、何かを支える、自分にはしょうにあっていない……。』
そう思ってふと眺めたテレビ画面の映像が鮮烈に飛び込んできた。
そこには久しぶりに見た故郷の山々が、赤く怒り狂う炎を吐き出す姿だった。
あっけにとられて見ていた矢先、手元の携帯電話が勢いよく鳴り響く。
「おい、生きているか?」
こんな、失礼な挨拶をする奴は一人しかいないと思いながら、無難な返事をする。
「はい、八神デスクなんですか?」
記者を束ねる責任者である、八神が直接電話してくる時は良い知らせはほとんどない。
「テレビ見ているか?〇〇県 島河市で何百年ぶりに火山帯が噴火だ。なぁ、お前にチャンスやるよ。画だよ。画ががほしいんだよ。読者が食い入るような画をとってこい。」
チャンスというワードが立道の心を曇らせた。ずっと結果を出せていない自分自身を見透かされているような気がした。
「いつまでも、ローカルの小っちゃえネタなど書いていてもお前に光はあたらないぜ。9回裏ツーアウト満塁、ここで一発逆転満塁ホームランしてこいや。」
今は社会部のデスクをしている八神だが、無類の野球バカだったこの男が以前はスポーツ部に所属していたことは、立道も知っていた。
「俺がですか?」
立道の出身地を知ってか知らぬか、八神は再び人を小ばかにするような言葉を投げつける。
「おいおい、代打要員は吐いて腐るほどいるんだぜ。そんな中から、直々に監督の俺がお前にめかけてやったんだから、ありがたく行ってくるのが筋ってもんだろ。」
電話の向こう側で、薄い髪の毛を必死で隠そうとてなづけている姿が想像でき、吐き気がした。
「分かりました。」
「おう、くれぐれも打ち込まれて大炎上なんか、シャレにならんからな。」
冷たく笑う声が耳をざわつかせる。
「はい。」気持ちがない返事を返し、
『八神くたばれ』という登録名が表示された画面を思いっきり切った。
ここでずっと腐るわけにはいかない。
手柄という自信に飢えている自分がいることは事実だった。
とにかく記事がトップにのれば俺の人生も……。
ただ、久しぶりに帰る故郷の空は、温かく迎えてはくれないだろう。舌打ちしながらも急いで荷物をバックに詰め込んだ。
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