三.飲み込んだ炎

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「人間の顔じゃなか……、人間の顔じゃなかぞ……。」 隣で項垂(うなだ)れている者が絞り出したその言葉に立道は耳を疑った。 病院内は、しがない記者一人をつまみ出す余裕もないほどに、 修羅場と化していた。  19〇〇年6月3日。深夜23時。 17人の重症者が運び込まれた島河市の第一中央病院では、夜遅くから院長らが会見。 『まるで炎をのみ込んだような状態』と病状を説明した。 患者の大半が口と肺を結ぶ気道が火傷ではれているため呼吸が困難な状態。ある者はのどの切開手術を受け、ある者はのどに酸素吸入用のチューブを入れる応急処置を受けた。 火砕流による火傷は、一挙に高熱の空気が迫るため、全身火傷のほかにも、のどに火傷を負うのが特徴。 熱風が肺まで達するような場合、12時間以上の生存は難しくなるという。 「次の負傷者運び込みます!」 「酸素がたりません!」血走る目の看護師。 「痛い、痛い!水をくれ!」と叫び廊下を転げ回る負傷者。 「今、水を飲んじゃだめ!」再び絶叫する看護師。 悲惨な現場を今までも見てきたことはないといえば嘘になる。 ただ、これ以上の取材現場は果たして今までの経験上あっただろうか。 いつも冷静に、事実と憶測を分けて記事を書くことが記者の基本。 それだけは、崩さずにいれた自身を立道は誇りに思っていた。 しかし、その姿勢が一気に崩壊しそうになる惨劇が目の前で繰り広げられていた。 立道は、何とか砕け落ちそうな自身の足を奮い立たせる。 だからこそだ。 だからこそ、この()を望んでいる読者がいる……。 それを俺のこの手で……。背中がゾクリした。 負傷者の体を冷やすためのカチ割り氷や放水で、フロアは水浸し。 その間をすり抜け、意気消沈している負傷者めがけてじわりと近づく。 一般の取材陣は、おそらく被災現場に走る。 そんなライバル達と同じような行動をとっていたら いつまでたってもトップ記事は書けない。 それよりも必ず負傷者がいる。 その悲しみや慟哭を記事にした方が、読者の心をひきつける。 立道はそんないやらしい考えに蓋をし、 修羅場と化した院内をハイエナのように、ネタをあさる。 「現場はどのような状況でしたか?」 一瞬、信じられないというような眼差しが立道を捉える。 後で知ったことではあるが、今回の被災で市民が マスコミに対して不快だった理由。 『相手を見下した横柄な態度、言葉の暴力』 『何者かも名乗らず突然マイクを突き付けた』 『避難途中に呼び止められてしつこくインタビューされた』 『家族を亡くし家を焼かれて悲しみに打ちひしがれている時に、今のお気持ちはなどど無遠慮なインタビューを受けた』 どれも、立道自身に当てはまる事と後悔したのは、被災が終息した後だった。 「やめてください!」 いきなり後ろから肩をつかまれた立道は、その声の方を振り向いた。 真っ黒な顔面の中で、白目だけが異様に光っている。 その消防服に身を包んだ男は怒りの目で、立道を睨んでいた。 「どこの記者の方ですか!ここは病院ですよ、被災者の気持ちも考えてください。今はこんなことをしている時ではないんです!」 一瞬その声をきいて、立道は懐かしさを覚えた。 消防服に刺繍されたネームプレートを確認する。 「あ、あんた……。」 立道は懐かしいその男の顔を覗き込もうとした。 「……。とにかく、病院から出て行ってください!」 駆けだした消防士の背が遠ざかる。 懐かしさと同時にあの頃の妬みの気持ちが ふつふつと湧いてきたことに立道は気づいた。 片や正義感が誰よりも強かったあいつは、夢をかなえ故郷で市民の命を守る。 片や世間を斜に構え、逃げるように故郷を離れた俺は今ではしがないブン屋。 面白い、面白いじゃないか。 何よりもあいつは俺の事を気づかなかった。 はなはだ眼中にないということか。 立道は悲鳴が鳴りやまない院内を見渡した。 俺が特ダネ書いて目に物をみせてやる。
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