寺の者

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寺の者

 僕の町には、『寺』という名字の家族が住んでいる。  その名前の割に、いわゆる『お寺』とは何の関係もないらしい。  そして、僕の町には『寺』さんに関する古い言い伝えがある。  それは、『寺の者を、決して怒らせてはならない』というものだ。  とは言ったものの、寺さんだって、時には怒ることもある。  では、寺さんを怒らせるとどうなるのかというと、実のところ、特段何も起こらないのだ。  怒らせたところで、何がどうなるわけでもない。    しかしそれは、寺家の、それとお兄さん、つまり、『寺家の』に限った話である。  『寺家』にはもう1人、ちょうど僕と同い年で、同じ中学に通っている、15歳の女の子がいる。  実はこの『寺の者』とは、『寺家のまだ成人していない者』のことを指すらしく、この『寺の者』だけは、絶対に怒らせてはいけないのだという。  僕と『寺の者』はクラスは違うが、保育園の頃からの知り合いなので、たまに話すことがある。特段仲がいいというわけではないが、仲が悪いわけでもない。  彼女は笑わず、いつも無表情だ。  怒ってはいないようだが、あまり気分がよさそうには見えない。    果たして、『寺の者』を怒らせたら一体どうなるのか。  誰も本当のことは知らないが、かつて数百年前に一度、『寺の者』を怒らせてしまったことがあったらしい。  その時、一体何が起きたのか。正確にはわからないが、言い伝えによると、『すべてがなくなった』そうだ。  家から何からすべてのものがなくなってしまい、かなりの数の人が亡くなったらしい。  かつてこの地で、一体何が起きたのか。  正確に記憶している人々はとうの昔に皆死んでしまったが、人々の心の中に残ったその出来事は、親から子へ、そして子から孫へ、代々受け継がれてきたのだ。  ある日、僕の友達である浦野(うらの)という奴が、『寺の者』を怒らせてみようと提案した。  もちろん僕を含め、その場にいた全員が彼を止めたが、誰の意見を聞くこともなく、浦野は寺家へと向かったので、仕方なく僕たちも彼に続いた。  浦野は勝手に寺家に上がり込み、階段を駆け上がり、『寺の者』の部屋の戸を勢いよく開けた。 「おい! お前! 何が『寺の者』だ。調子に乗りやがって。お前を怒らせてはならないらしいなあ? じゃあ怒らせたらどうなるっていうんだよ。え? ほら、怒ってみろよ! ほら! 怒れよ!」 『寺の者』は馬鹿らしいといった表情で、浦野を見つめていた。 「おい、だから怒ってみろってんだよ!」 『寺の者』は表情ひとつ変えず、浦野を見つめている。 「あ、そういえば、さっきお前のお父さんとお母さんに会ったんだけど、邪魔だったから二人とも殺しといたわ……、え?」  その時、突然『寺の者』の目つきが変わった。  僕たちは恐怖のあまり、その場から動けなくなってしまった。  何かがおかしい。何かが違う。上手く言い表せないが、とにかくそれは、明らかに人間の目ではなかった。  やがて町の人々が大声で何か言っているのが聞こえた。    窓の外を見てみると、大雨が降り、雷がいくつも落ち、直径20cmはあろうかというほどの巨大な(ひょう)まで降っていた。  まさか……。さっきまであんなに晴れていたのに……。 「地震だ!」  誰かがそう叫ぶのが聞こえた。もの凄い揺れだった。僕は必死で部屋の柱にしがみついた。 「死ぬ……、死ぬ……」    ……揺れが収まった。どれほどの時間揺れていたかはよくわからないが、僕はなんとか死なずに済んだようだ。    僕はふたたび、窓の外を見てみた。  川が氾濫し、人や物が次々に流されていってしまった。  遠くで、火山が噴火するのが見えた。  少し離れたところで、地面が割れ、人々がその中へと飲み込まれていった。  海が逆流してきた。津波だろうか。あたり一面があっという間に海のようになってしまった。  暑い。気温が一気に上昇したようだ。夏とはいえ、この暑さはさすがにおかしい。焦げてしまいそうだ。  これはすべて、浦野が『寺の者』を怒らせたことが原因なのだろうか。  そうなのだとしたら、僕たちはとんでもないことをしてしまった。  何としてでも、浦野を止めるべきだった。  何としてでも、『寺の者』を怒らせるべきではなかった……。  僕はちらっと、『寺の者』の方へ視線を動かしてみた。  『寺の者』の顔や腕が真っ赤になり、湯気が立ち昇っている。  ふと、『寺の者』と目が合った。  怒っているのではなく、笑っているようにも見えた。  その時、誰かが急いで階段を駆け上がってくる音が聞こえた。  「おい! どうした! 大丈夫か!」   寺家のお父さんとお母さんだった。    実は先程の浦野の話はすべて嘘だったのだ。  寺家のお父さんもお母さんも、殺されたりはしていない。  あくまで『寺の者』を怒らせるための浦野の嘘だったのだ。  浦野が大声で泣き喚きながら、必死で何度も何度も謝ったところ、なんとか『寺の者』から許しを得ることができた。  しかし、それはあまりにも遅すぎた。  窓から外を見てみたが、それは既に、僕の知っている町ではなかった。  あらゆるものがめちゃくちゃに破壊され、あるはずのものがなく、ないはずのものがある、まさに、めちゃくちゃな状態になっていた。  町は完全に破壊されてしまったが、これはすべて僕たちのせいだ。僕たちは一生、この十字架を背負っていかなければならない。    「ごめん。ついカッとなっちゃって。まだだいぶ体が熱いから、しばらく涼んでくるわ」    『寺の者』はそう言って、家の裏の方へと消えていった。  テレビのニュースを見てみると、異常災害はこの町だけではなく、世界各地で発生していたようだ。    世界中で洪水が起き、雷が落ち、雹が降り、地震が起き、火山が噴火し、地面が割れ、津波が襲ってきたのだという。  世界各地で同時に起こったこの異常な天災に関し、人々は『地球の怒り』という風な表現をしていた。 『地球の怒り』、『寺の者の怒り』 『寺』、『テラ』 「……もしかして、(テラ)っていうのは……」  今度は急に気温が下がってきた。真夏だというのに、すっかり真冬のようになってしまった。 ――「ごめん。ついカッとなっちゃって。まだだいぶ体が熱いから、しばらく涼んでくるわ」  『寺の者』が怒っていたのは、およそ数分ほどだろう。  たった数分でこれだけの被害だ。彼女の言う『しばらく』とは、一体どれほどの長さなのだろう。  そしてその『しばらく』によって、一体この世界はどうなってしまうのだろう……。  その時ふと、あの言い伝えが頭に浮かんだ。 『寺の者を、決して怒らせてはならない』
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