全部味わってから

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全部味わってから

 ふたりは裏通りを出て表を横切り川沿いの道を歩き出した。こちら側は露店もなく、表の喧騒が嘘のように人通りもまばらだ。   蒼生は手首の少し上を掴まれたまま、川を渡る朱色の橋の前までやってきた。  やっぱり個人でつながる客はやべーヤツ多いっていう前情報どおりだと、少し後悔する。 「和也……さん、どこいくの」 「あなたの家です」 「どこか知らないじゃん」 「知らないですよ」  当然のように答えた和也。手首を掴んでいた手がするりと降りて、手を握られる。大きな、大人の掌。両親ともあまり繋いだ憶えがない。どこにも行かせないという意志を感じる。 「どうせ聞いたって本当のこといいやしないでしょ」 「この状況で本当のこというやついる?」 「だから、落ち着いてメシが食えるところ連れてく。同じ「帰らない」なら、俺の目の前にいれば、俺が落ち着くから」    橋を渡れば、川向こうもまだ大勢の観光客で賑わっている。  大通りから歩道を1本入ったところ、シャッターの降りている店らしき外観の、ビルの1階。 「ちょっと持ってて」 荷物を蒼生へ寄越して、和也は手際良くシャッターを上げた。白い木製のドア。ガラスに「霖雨 open soon」と貼り紙がしてある。店内のレトロなインテリアは白壁、木目、真鍮。オーガニック、インダストリアル。中庸。詳しくない蒼生でも知っている、お洒落のお手本のような内装だ。 「うちの店。まだ開店(オープン)前だけど」 「おじゃま……します」 「そこ座って。カウンター使っていいから」  オープン前の店は段ボールや梱包材がそこかしこに置かれ、お世辞にも片付いてる状態ではない。キョロキョロと周囲を見回して、蒼生は落ち着かなかった。  とりあえずいわれた通りに椅子に座って、大人しくしている。椅子は白がまだ「白」で、使用されて間もない感じだ。 「本当はソファなんか置いてのんびりできるスペースにしたかったけどなあ。この狭さじゃちょっと無理だから」  気がつくと袋から出された食事が一式、カウンターに並んでいる。シーザーサラダ、ルーベンサンド、クラムチャウダー、マカロニチーズ。ガス入りのミネラルウォーター。こんなに注文した記憶はない。 「多くね? 和也さんも食べるの?」 「そう。それと、俺はカズヤじゃなくて、平和の和って書いて、のどか」 「へえ……」  本名を名乗ってる人などいない。そんなことはわかってる。上目遣いで仰ぎ見て、蒼生は頷きながらクラムチャウダーをひとくち。少し冷めたアサリの身が、ゆっくり舌を滑り落ちてくる。 「あ……、いってなかったけど、待ち合わせしたのは俺じゃないよ」 「……えっ?」 意外すぎる言葉に驚いて、蒼生はチャウダーのカップをぽとんと落とした。 「どういうこと?」 「俺は待ち合わせをドタキャンされて、帰ろうとしてたら小さい子がたかってきた」 和也改め、和、と名乗った男がサラダをつついて、クルトンが落ちないようにゆっくり口へ運ぶ。 「俺そんなに小さくねえし。ていうかたかるっていうな」 「俺は可愛いっていってるの」  〈イ・オ〉では時々、複数の少年を呼ぶこともある。すらりとした美形の子や小悪魔のような可愛い子などさまざまな子をが集められた。自分はどちらでもなく、十人並で気取ってもいない。美意識も高くない。  蒼生自身は親しみやすく、笑顔が良いといわれたことは何度かあった。客に好かれるためになんでもするのに、笑顔など当たり前過ぎる。自分の見た目がいかに貧相でも、その場を楽しくやり過ごすための情報収集や知識の集積は怠らないこと。自分にはそのくらいしかない。 「可愛いとか……なにそれキモっ」 言われ慣れてる子はサラッとお礼の言葉が出てくるが、自分は親の口からも聞くことが稀な言葉だ。 「失礼だよそれ。素直に褒めてんのに嫌がられた」 自分の言葉に和が「ちっ」と小さく舌打ちをしたのが聞こえる。そして「照れくさいなら、にこにこしておけばいいんだよ」と知った様な顔で言う。  ──ウザッ。  思った言葉を蒼生は飲み込んだ。まだルーベンサンドもマカロニチーズも食べかけだから。  出されたものを、味わってから。
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