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客引く子供といい大人
和とふたり分あったとはいえ、蒼生は結構食べてしまった。お腹がいっぱいになり、少し眠くなって、帰宅することが面倒になりカウンターでつっぷしている。
一方でカウンターの中、和はハンドドリップでコーヒーを入れていた。
「ジュリは、砂糖とミルクいる?」
少し濃いめに入っていると和が説明する。顔を上げた蒼生の鼻を、甘みを含んだカカオに似た香りが掠めていく。
「俺、ジュリじゃない」と、突っ伏したまま蒼生は答えた。
「じゃあなんて呼べばいい?」
和は捲っていたロングカーディガンの袖を下ろし、スヌードを外してリラックスした様子で軽く腕組みしている。
「…あお。俺の名前」
答えたと同時に、自分のスマホが着信する。ロック画面を見て、つまらなそうに操作を続けた。
「で、あおくんは、子供のくせに客引いてるの?」
「大人ならいいの?」
「それは肯定したと同じだよ」
嫌な言い方だと、蒼生は思った。それに、子供のくせにといった割には感情が揺れた様子がない。
「アプリで探したり。紹介専門の業者みたいな? ひともいる」
こちらも平然と話し続けて様子を見る。うるさいこというなら、さっさと帰ってしまえばいい。
「話しの合う人と会って『遊んで』るの。たまにお小遣いくれるひともいる。それのなにがいけないの?」
「いけないとか俺のいうことじゃない」
「急に投げやりだな」
怒られたら嫌味のひとつでも言おうとしていたが、肩透かしを食らってしまった。入れたミルクをくるくると、転移行動のようにスプーンでかき混ぜる。
「あ、聞かれる前に言っておくけど、父親は夜働いてるし、母親は入院してる。不自由はないけど、お金がほしい。それだけ」
お金がほしいのは事実だし、蒼生の年頃ならおしゃれをしたり、お金もいろいろ必要になってくる。端的には珍しい理由ではない。
「そう」
「俺おかしいこと言った?」
「いいえ」
蒼生は鼻で笑われた気がしていた。
「なにそれ。笑うとか心外なんだけど」
「笑ってないでしょ。そんなに自分のことペラペラ喋って大丈夫なの? 俺が悪い人かもしれないのに」
「そうかもだけど……、なにかあってもここで営業してるなら簡単に逃げられないもん」
「それ答えになってるか?」
今度こそ、和は笑っていた。蒼生は気まずくなりながら、コーヒーを飲む。
──お客と違って、なんだか噛み合わない。
初対面の時は自分もなんとかやり過ごそうとしていたし、正直いってどんな会話したのか記憶が曖昧だ。
カウンターに立つ、和という名の男が話すのを虚な目で聞きく。スマホに来たメッセージをちらっと見た。
『今度会うときは脚を見せてよ……』
「怒ってます?」
和は使いやすく整理されたキッチンでコーヒーを淹れていた。蒼生を自宅近くへ向かうバスに乗せた後、海を望む丘の一軒家にいる。コーヒーは浅煎りの豆を使って、普段より薄めにされていた。
「いまさらいい大人に怒るか。知り合いのお子さんなのかなんなのか知らないけど、遊んでる暇ある?」
「『遊ぶ』とか、いい方よ。あれはメシ食わして送ってやっただけ。途中で抜けたのは悪かった。ごめん」
コーヒーはカップへ注がれ、和から相手の男に手渡される。男は目がくりっと丸く、大きな二重。ふっくらした唇が開いてゆっくりコーヒーを飲み込む。
「今週は俺も、仕事終わったら行くから」
和はカップを両手で抱えたまま、ソファに身体を沈め寄り添う。隣の男の柔らかな栗色の髪が揺れる。
「和、寝るなよ」
「起こしてよ」
「ずっと寝てろ」
男は呆れた顔で笑っている。和も笑った。
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