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秋の始まりは夕焼けに照らされて
文化祭が始まった。2日間の日程の両日とも一般公開されていて、校内は大勢の人で賑わっている。1日目は、突然迎えた非日常に浮ついた気持ちのままあっという間に終わってしまった。私のクラスの劇は午前午後で1回ずつ、計4回の公演を行う。ソロでピアノを弾くのとは違う神経を使わなければいけないから、1日目で既にぐったりとしてしまった。急に残暑がぶり返したような気候もあって、そもそもバテ気味なのもあるだろう。教室では出演するメンバーがメイクやヘアセットの準備をしている。私も一応舞台の端ではあるけれど人目につく位置で演奏するので、衣装として白いワンピースに着替えていた。伴奏者といえば黒い衣装を着ることが多いけれど、劇の世界観に合わせてのことだった。髪は家でハーフアップにまとめてきたし、身支度も済んでいるので少し教室を離れて息抜きをすることにする。今から興奮状態でいたのでは、今日1日もたないだろう。
人の合間を縫って向かう先は、廊下の突き当たりの扉だ。重い扉を開けると非常階段に出ることができる。外に出ると喧騒が遠のいて、それだけで息がつける心地がした。秋を連れてくるような、少し温度の低い風が程よく吹いている。
気持ちがほぐれていくのを感じながらぼんやりしていたところに電話がかかってきた。早々にクラスのメンバーから呼び出しかな、と思ったけれど、意外にも明莉ちゃんからだった。
「もしもし、どうしたの?」
「突然ごめんね!いまどこにいる?」
「今ね、3階の非常階段で休憩中だよ」
「おっけー!すぐいくからそこで待ってて!」
一体何があったのだろう。疑問を口にする間も無く電話は切れてしまった。そして言葉通り明莉ちゃんはすぐにやってきた。
「なんか、来てもらっちゃってごめんね」
ここに長居する予定はなかったし、私が教室の方へ戻ればよかったなと今更ながら申し訳なくなってきた。
「何言ってんの!私が勝手に押しかけたんだから。はい、これを差し入れしたくて!」
水色の瓶がレトロで可愛らしい、ラムネだった。明莉ちゃんのクラスは縁日をやっているから、そこから持ってきてくれたのだろう。
「いいの?」
「そりゃ、もちろんだよ!ただ、走ったときに振っちゃったから、開けるときは気をつけてね」
「ありがとう!嬉しいなぁ」
「今日も演奏頑張ってね!お邪魔しないようあたしはもう戻るから」
「ほんと、ありがとうね。私ももう行かなきゃだから、一緒に戻るよ」
明莉ちゃんと話すことで、より身体から力が抜けて軽くなった気がする。これならなんとか乗り切れそうだ。
騒めきが天井高く昇っていく。体育館はいつもの学校にはない熱気に包まれている。人いきれの中で、音もこもって聴こえた。目立たないように鍵盤にそっと触れる。チューニングをする楽器があるわけでもないのに、ラの音を鳴らしてみた。もやもやと漂う喧騒の中を静かに貫いていくように、ピアノの音はまっすぐに伸びてゆく。オーケストラが演奏しはじめる前に、チューニングで鳴らすラの音が好きだ。次第に音がひとつに集まって溶けていくところがいい。あの感触を思い浮かべる。自分の意識をひとつに集めていく。舞台袖には出演するクラスメイトが控えている。2日目だから、リズムができてきてグッとリラックスしたムードだ。開演の合図が鳴る。
いいムードに包まれたまま、ときにはアドリブまで飛び出す盛り上がりようだった。私も、昨日よりみんなの呼吸を感じながら演奏できた手応えがあった。残すは夕方の1公演のみ。この調子でいこう!と監督の満足げな宣言で、午前の部は解散となった。
身の回りを次の公演に向けて整え、体育館を出ると渡り廊下の壁に寄りかかるようにして明莉ちゃん、木村くん、春の3人が並んでいた。
「みんな、待っててくれたの?」
「もちろん!ねえ、和朔ったらすごいんだね。そりゃ、分かってたけど。本当には分かってなかったみたい」
「うんうん。俺も感動しちゃった!あんな風にいろんな音がするピアノは初めて聴いた」
明莉ちゃんと木村くんがすぐさま駆け寄ってきてくれた。目を輝かせ、いつもより早口に話す様はまるできょうだいのようにそっくりだ。
「ありがとうね。みんなが応援してくれたおかげでうまくいったよ!」
「おつかれ。まだ1回あるけど、みんなから差し入れ」
春は2人とは違って平常運転でのんびりとこちらに歩み寄り、片手で無造作にミニブーケを差し出した。
「えーいいの?ありがとう!」
受け取った花束から、ふわりといい香りがした。オレンジ色のガーベラをメインにしたブーケは小ぶりにまとまっていてとても可愛らしい。
「園芸部の出店、初めて行ったけど本格的な花屋さんって感じで素敵だったよ」
明莉ちゃんは、すごくたくさんお客さんがいて、売り切れないかハラハラしちゃったと様子を教えてくれた。
園芸部は毎年校内で育てている植物の一部や、地域の花屋さんから仕入れた切り花などを取り揃えた花屋を出店している。安いけれど割と質の良いものが販売されるというので密かな人気を誇っているのだとか。
「みんな、ありがとう。すごく嬉しい」
「喜んでもらえて何よりです!」
よかったねー、とこれまた仲良く視線を合わせる2人を見て、青春だなあなんて思う。自分も一緒に過ごしているのに、ついつい外から眺めてしまうのは悪い癖、なのだろうか。今日はこれからみんなで少しぶらぶらと見てまわってお昼まで一緒にいる予定だ。他のクラスも見つつお昼を調達しようという算段である。
「明莉ちゃん、クレープ食べたくない?」
「えー、食べたいけどさ。お腹すいたからまずご飯系食べようよ」
仲睦まじい会話を聞いていると、木村君は本当は明莉ちゃんと2人でいたいんだろうな、なんてことをつい考えてしまう。でも、みんなでいるときは気を遣わないことにしていた。4人でいる時間が大切だと、その思いはみんな一緒だと、お互いにわかっているから。ときには信頼関係を築くのに時間を要しないこともあるのだと、私はこの3人と出会って知った。出会った当初から真正面から向き合ってくれる、嘘のない人たちだ。大人になってからもこういう出会いを得られるのだろうか。今が恵まれているとわかるから、時々不安になる。
「別人みたいに見えたよ」
「え、なに?」
春がぽつりと溢した言葉は、どうやら私に向けたものらしい。ぼんやりとしていたから途中まで聞き逃してしまっただろうか。聞き返すと、律儀にゆっくりと言い直してくれた。
「和朔が、舞台の上にいるとき別人みたいだった、って」
「ええ、そうかなあ」
「うん。役者じゃないけど演技してるというか。場面ごとに全く違う世界を創りあげているって感じかな。俺には和朔が主役に見えたよ」
「なんだか照れちゃうなあ。劇を気に入ってくれてありがとう」
結局、クレープ屋さんの匂いに誘われるがままにみんなしてご飯前にクレープを買ってしまった。明梨ちゃんはしょっぱいもの欲を満たすべく、ベーコンエッグが包まれたおかず系にチャレンジしていた。甘じょっぱくてなかなかいける、らしい。木村君はガトーショコラと生クリーム入り、春は地元の青果店とコラボしているという、桃クリームを選んでいた。私はというと、散々悩んだ挙句に定番のチョコバナナにした。ずっしりとした甘さが今はすごくありがたい。
「春は、午後シフト入ってるんだっけ?」
木村君が眠たげに欠伸をしながら問いかけた。
「もうお勤め終了」
「じゃ、少し練習するか」
「おっけー。でもその前にしょっぱいもの食べたくなってきた」
「うむ。分からんでもないな。2人はどうする?」
「あたしクラスに戻らなきゃだな」
「私もあんまり食べると眠くなっちゃうし、やめておく」
クレープの後に男子2人に付き合ってご飯を食べられる気はしなかったので遠慮しておく。
「じゃあまた後夜祭ライブで、かな?」
「だね。ふたりとも、頑張って!」
「ありがと!」
最後の公演では、みんなに贈ってもらったお花をピアノの上に飾ってみた。小さくてもパッと華やかになる。その明るさが、心強かった。今ごろ木村君と春はリハーサル中だろうか。それにしても、ライブでタンバリンのサポートが必要になるっていったいどんな曲をやるのだろうか。
これで最後。このクラスのみんなで舞台を作れて良かったなと心から思った。夏休みもかなりの時間を練習に費やすことになったけれど、それこそ春が言っていたみたいにひとりひとりが別人に変身する瞬間を共有するというのはとても面白い経験だった。幕が降りると舞台上の空気が緩んだ。誰からともなく舞台の中心にみんなが集まる。揉みくちゃになろうとお構いなしにお疲れ!と肩を叩き合っていると、じんわりと涙が出てきた。
じゃ、後夜祭まで時間がないから急いで撤収!と、お疲れであろう監督からビシッと指示が飛んできた。いつまでも浸っていたい気分だけれど切り替えて舞台上の片付けを始める。
衣装を着替える暇もなく、片付けを終えたクラスメイトたちと舞台から会場へと移動する。舞台袖では後夜祭の出演者たちが待ち構えていた。木村君と春の姿もあった。思わず駆け寄る。
「ふたりとも、がんばってね!」
「ありがと」
「おつかれー、後は任せといて!」
木村君と、春と順番にハイタッチをした。なんだかベタだけれど高揚感からか恥ずかしさはなかった。2人の衣装は涼しげな浴衣だ。木村君がグレーの無地、春は濃紺の縞模様を着ていた。他に2人浴衣の男子がいるからその人たちがバンドメンバーなのだろう。みんなよく似合っている。校内中の女子たちの注目の的になることは間違いないだろう。早く明梨ちゃんと合流して場所取りをしなくては。
大勢の生徒たちが集まり始めている体育館の中でなんとか明莉ちゃんと合流した後、なるべく前列を目指して生徒の群れの中に突入していった。もちろん明莉ちゃんのリクエストだったけれど、私も折角だから近くで見たかったのだ。より正確にいうと、大勢の人たちよりも遠くから応援するなんて、ちょっと友達としてのプライドが許さないといったところだろうか。私のことはお見通しな明莉ちゃんが聞いたら、それも100%の本音じゃないんでしょ、と言うだろけれど今はこれて勘弁していただきたい。なんとか最前列まで辿り着くと、程なくして体育館の照明が落とされ、対照的に舞台の上が煌々とした明かりに照らされた。
メンバーが次々と位置につくと、なんの合図があった訳でもないのに館内がしんとした。この場にいる皆が場を、時間を共有するとはこういうことなのか。そしてその中心にいるのは春と木村君である。最前列にで見てたって中心までの距離は遠い。
宣言通り、春はタンバリンを演奏していた。それも、とても軽快で上手なのだ。
「なんたる意外性…」
明莉ちゃんも目が離せなくなっているようだ。というのも、私たちが陣取った場所は舞台の上手側で、丁度ベースの横にいる春の立ち位置に近いのだ。あまりに上手なので、かえって面白く見える気がするのは私だけだろうか。しばらくは真面目に見ていたけれど、一曲が終わると、とうとう吹き出してしまった。ちらりと春の方を見やると、ムスっとしているご様子だ。こちらが笑っているのがバレているらしい。
「ここでお知らせです。ベースの高野君がギタリストの道を極めたいという野望を叶えるべく、パート替えをすることになりました。新しいベーシストは、今華麗なるタンバリンを披露してくれた水野君です。みんなよろしく!」
「ええっ!」
見事に明莉ちゃんとハモってしまった。春は得意げにニヤリと視線を投げてくる。
「春がベース弾けるなんて知らなかった」
ベースの高野君はさっきまで弾いていた楽器を春に手渡すと、舞台の反対側まで歩いて行って、そこに置いてあったギターを背負った。手慣れた調子で調弦していく。意外なことに春のベースを持つ姿もとても自然だった。
曲が始まるとあっという間に引き込まれた。春はうまかった。最近練習を始めたとか、そういうレベルではないことがありありとわかる。全体の音をよく聞いてバランスをとる余裕があるし、それでいて、影になりがちな低音楽器でありながら強烈な存在感があった。春が弾いているということが特別にきこえさせているのだろうか。多少はあるかもしれないけれど、それにしても有り余るほどのセンスを感じた。
「これを内緒にしてるのはずるいなあ」
「うんうん、そうだよね」
いつのまにか口に出してしまっていたらしい。明莉ちゃんが相槌を打ってくれてハッとした。今は後夜祭を終えて体育館の渡り廊下のところで春と木村君を待っていた。終演後クラスメイトたちに囲まれていたし、しばらく待つことになりそうだ。待つ方はこんなに落ち着かないものなのだな、と午前中に待っていてもらった喜びを改めて噛み締める。心がざわざわとしている。春のことを良く知っているだなんて思っていなかった筈なのに、新たな一面を知ってしまったことでこんなに動揺するなんて。西陽が渡り廊下の窓から差し込んで眩しい。
「これは裕太が足止めくらってるパターンだね。呼んできちゃおうか」
「でも、みんな木村君たちと話したいんじゃないかな」
「和朔ったら、ここが肝心なんだからね。春の1番近くにいるのは私なのよって見せつけてやらなきゃ」
「ええ、でも」
「そんなことないかもしれないし、って?」
「うん。そういうの嫌がる気がするし」
「私は、実際どうかは関係ないと思うな。こういうことって、そのつもりで振る舞ってるうちに現実的が追いついてくるものだよ。信じれば叶うってよくいうけど、何もじっと念じていればいいってわけじゃない。実現するように行動しなくちゃ」
「なるほど。明莉ちゃんって大人だね」
「何言ってんの!和朔のほうが大人だと思うよ。私は単に負けたくないだけだから」
負けたくない、とはなんとも明莉ちゃんらしい。
「ふふ、行ってみようか」
「うん、その調子で突撃しちゃお!」
体育館の中はまだ大勢の生徒でごった返していた。そこここで集まって写真を撮ったり、歌ったり、誰かを胴上げしていたり。カオスな様相だ。明莉ちゃんは、その中の一角にめざとく木村君の姿を認めたらしい。混雑した体育館を迷いなく進んでいく。私はその背中を追いながら、早速気持ちが萎んでいくのを感じていた。今行かなくても、この後約束をしているのだからいいじゃないか、とか。やっぱり春は嫌がるんじゃないか、とか。
「あっごめんなさい」
ボーッとしていたせいで、一年生の集団とぶつかってしまった。相手もごめんなさい、と返してくれて少しホッとした。が、それも束の間、今度は明莉ちゃんを見失ってしまった。どうしよう。この混雑のなか見つけられるだろうか。1人になると人混みは急にその存在感を増して感じられた。騒めきがひとまとまりになって耳に飛び込んでくる。めまいがしてきた。見つからなさそうであればまた廊下に出て待っていればいい。そう分かっていても、頭がぼんやりしてしまって戻ることもできずに完全に足が止まってしまった。
「かずさ!」
行ったり来たり、もやもやと漂う喧騒のなか、真っ直ぐに届く声があった。鋭く緊張感がある声に、一緒誰だろうかと思ってしまった。
「春?」
周りの生徒たちも、強ばった声色に驚いたらしい。注目が集まったその先に、春の姿を見つけた。春は周囲の目線に目もくれず、こちらに向かって足速にやってくる。突き動かされるみたいに、私の足も動き始めた。こちらを捉えて離さない春の視線を受け止める。周りのざわめきもすぐに戻ってきたけれど、春だけがはっきり見えた。何故、そんなに切実な瞳をしているの。
「和朔、大丈夫?」
「ええと、大丈夫、だけど」
春は珍しく落ち着かない様子だ。私の両肩に手を置いた状態で心配そうに顔を覗き込んでいる。
「和朔ごめんね。はぐれちゃったのに気づかなくて」
木村君と明莉ちゃんも後を追ってやってきた。みんな合流したことで冷静になってきたらしい。春は手を離してふう、と息をついた。私も二重にホッとした。みんなと合流できたし、春がこんなに至近距離にいて、どういう表情をしたらいいかわからなかったから。
「私がボーッとしてたのがいけないから。こっちこそお騒がせしてごめんね」
「春、珍しく慌ててどうした」
「いや、なんかさ」
木村君はからかうようにニヤニヤとしていたけれど、春はまだどこか本調子ではないようで、わしゃわしゃと髪をかき回した。
「なんか、遠くに和朔を見つけたとき、顔色は悪いし妙に儚げに見えて、消えちゃいそうだなって咄嗟に。拒絶されたみたいで、反射的にこのままじゃいかん、と。自分でも何言ってるか分からないけど」
今度は私が動揺する番だった。確かに私は苦労してみんなを探さなくても、1人で帰ってしまえばいいのではないかとまで考えていた。3人は一緒にいて、自分だけ取り残されたことにへそを曲げていたのだ。よく考えれば私はここでなんとしてもみんなについていく、なんてキャラではなかったじゃないかと。顔に出ていただろうか?それにしても、偶然でなかったとしたら春はなんで鋭いのだろう。不意に心細くなって、春の浴衣の袖を掴んだ。ハッとしたような視線が注がれる。
「いまを捕まえられた?」
そっと落とされた言葉は強く私の心を打った。捕らえられたのは、私のほうか。
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