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第11話 衝撃的な恩師
出かける前、革袋に解毒薬を詰める。注文されたのは5点。それを背負い、屋敷から出た。普段であれば客を招いて売る所だが、相手を思えばこちらから出向く必要があった。
「ちょっと王都まで行ってくるから、留守番を頼む」
庭を掃除中のアイシャに一声かけて、街へと降りていった。快諾の返事と、「お土産買ってきて下さい」との言葉を背に受けながら。
最近になって、ほんの少しずつだが薬が売れるようになってきた。もしかすると王都での行商が良い結果に結びついているのかも知れない。だとしたらアイシャの手柄だろう。
「もっとも、今回の客に限っては別の理屈だと思うがな」
1人で歩いていると、やたら周囲の風景が目についた。すでに夏の気配など微塵もなく、草木は秋の色味を帯びている。冷え込むのもそう遠くはないだろう。そんな事を考えながら、都へと続く道を降って行った。
「ここだよな、お届け先は」
あいまいな記憶だけが頼りなので、思わず塀の向こう側を覗き込んだ。そこそこに広い庭と古びた家が見えるだけで、名前を示すような物はどこにも無かった。
学院時代の講師の住所だなんて、覚えている方が不自然だろう。間違いなら間違いで良い。何軒か聞いて回れば辿り着けるハズだ。
「すみません。マーダイル先生はご在宅ですか? 薬をお届けに参りました」
塗装の禿げたドアノッカーを軋ませつつ、2度叩く。返答はない。それなのにドアは静かに、そしてゆっくりと、オレを招き入れるかのように開かれた。
隙間の向こうに人の気配は無かった。しかしこの肌にまとわりつく様な感覚は久しぶりだ。懐かしさと同時に鬱陶しさが包みこんでくる。意図せず長い溜め息が漏れた。
「居るんでしょう、先生。入りますよ」
屋内に一歩足を踏み入れた瞬間、頭上から微かな風が吹くのを感じた。殺気の感じられない何か。それをもう一歩踏み込むことで避けた。間をおかずに背中の方から鳴ったのは、床に堅い物が突き刺さる音だ。
「フザけてんですか、それとも敵味方が分からなくなるくらいモウロクしたんですか?」
その場で振り返ると、確かにマーダイルは居た。老人特有の丸い背中や、快活な笑みが見える中で、右手に光る刃だけが異様だ。
「相変わらずよのう、イアクシルよ。体術の冴え、そして小憎(こにく)らしい暴言」
「急に襲ってきた相手を敬えと? 今のが命中していたら、アンタは殺人者になってましたよ」
「ぬかせ。この程度で死ぬ男でもあるまいに」
「私は商談に来たのですが、違うようでしたら帰ります」
「待て待て。話ならある。すぐに茶を用意させるから、奥まであがれ」
「では少しだけ」
オレは、先を行くマーダイルの数歩後に続いて、館の中を進んだ。いくつかの廊下を曲がると、右手から壁が消えた。中庭に差し掛かったらしい。少し驚かされたのは、1人の見慣れない女性が佇(ただず)んでいたからだ。
だいぶ若い。恐らくアイシャよりも若年だろう。体つきは小柄で、全身は黒を基調としたメイド服を着込んでいる。肌は雪のように色く、長い栗色の髪を後ろ縛りにしている。
その容貌は、地黒で赤髪のマーダイルに全く似ていないので、親族ではなさそうだ。もし仮に血族だったとして、腿が露わになるほど短いスカートを履かせる様な男だったろうか。
そこまで読み切ると、自分の口元が緩むのを感じた。
「世間から『衝撃のマーダイル』と呼ばれる男も、女遊びだけは止められないのですか」
「馬鹿を申せ。この歳になって欲情などするものか。手を出したことなど一度としてないわ」
「そうなんですか。てっきり愛人か何かだと」
「あれは元生徒よ。戦闘術の極意が知りたいとしつこくてな。だから雑用係として置いておるのよ」
「その割には不自然な格好ですね」
「あやつの趣味じゃ。足を出してないと気が狂いそうになるとか。まったく女心とは複雑怪奇よのぅ」
通りすがりにマーダイルは、その女に茶の用意を申し付けた。女の方は、あるか無きかの声を出しただけ。切れ長の眼からは感情が読み取れなかった。それがオレには少し不気味に感じられたが、普段通りらしく、マーダイルは気にした風ではなかった。
それからは奥の部屋までズイズイと進み、やがて広い一室までやって来た。背の低いテーブルセットがあり、互いに向き合って座った。
「すまんのう。わざわざ来てもらって。こちらから伺っても良かったのだが」
ありきたりな前置きには、頷く事で応じた。
「さて、頼みの品は用意してくれたかね?」
「もちろんです。解毒薬5点で、300ディナになります」
マーダイルは薬瓶のひとつを開封し、臭いと色を確かめた。続いて唸るような声が漏れる。
「うむ、非の打ち所無し。お前さんは薬師としても一級品のようじゃな」
「ところで先生、薬なんて何に使うんですか?」
「それを薬師が申すのか。求められれば売るのがそなたの仕事だろうに」
「学院には正式な治療師が大勢います。あるいは、学生に手当てさせれば実践になるでしょう。薬の出番が見当たらないんです」
「サバイバル調練に必要でな。身一つで1週間生き残るというものだが、毎回誰かしらは毒物に当たる。死なせる訳にはいかんので、薬を常備せねばならんのじゃ」
「治療師を同行しないんですか?」
「そうすれば甘えが出る。調練にならんよ」
その頃になって先程の女が入室した。お茶を配る時、全く音を出さないあたり、中々の手練だと感じた。
「のうエミリアよ。折角のお客様だ、もう少し良いものを出さぬか」
「無理。これが精一杯」
小さな口から出た声は、やはり小さい。そして感情も感じさせなかった。
「はぁ、不景気じゃのう。茶くらい思う存分に味わいたいものぞ」
マーダイルがカップを手にして、口元に運ぼうとしたその時だ。その傍で突然、殺意の暴風が吹き荒れた。次の瞬間には冷たい白刃が眼の前を駆け抜けていく。
「隙ありッ!」
大声とともに繰り出された刺突は、虚しく空を切り裂いた。マーダイルは自然な動きで、まるで刃物なんか存在しないかのように振る舞い、回避してみせた。
「甘いわ、少しは工夫せよ。こんな使い古された手で討てる訳なかろう」
「惜しかった。あとちょっとで首を狩れた」
「そのちょっとを詰めるのに、果たして何十年かかる事やら」
「先生、長生きして。それと老衰まぎわまで現役で居て」
「やれやれ。やたら図々しい事をホザきおって」
この師弟関係を見て、コイツらアホなんだと思った。日常生活に殺意が付きまとうだなんて、とても正気とは言えない。
「さて、マーダイル先生。商談は終わりましたし、そろそろ失礼しますよ」
巻き込まれては敵(かな)わん。その一心から席を立とうとしたが、強い声に止められた。
「待つのだイアクシルよ。まだ本題が終わっておらぬ」
「薬なら渡しました、お代もいただいてます」
「違う。それとは別にあるのだ」
眼光が鋭い。放たれる覇気は、齢80に届く男とは思えないほどに強い。丸まった背筋も、いつの間にかピンと伸びていた。
「ワシの技を継げ。そなたであれば3年も掛からず体得が……」
「お断りします」
「即答に過ぎるわ。拒むにしても、もう少し気持ちを汲んではくれぬか?」
「私は薬師です。別の道を歩もうとは思いません」
「母の家業を継ぎたい、だったか」
「理由を覚えておいでなら話は早い」
「その志は認める。認めるが、そなたの天賦(てんぶ)の才が惜しいぞ」
「申し訳ないですが、ご期待に沿えません」
オレはマーダイルの背後に控えるエミリアという女に眼を向けた。技を継がせるならソイツにすれば良いのにと思う。
だがそんな流れが、迂闊(うかつ)にも大きな誤解を生んでしまった。
「どうした。エミリアが気になるのか?」
「別にそういう訳じゃないですよ」
「ならばこうしよう。エミリアを一晩好きにして良いので、ワシの技を継いで貰えんか」
「フザけんな! 伝承したいならソイツにやらせろと思っただけですよ!」
ここでエミリアという女は、さっきと変わらない調子で答えた。オレとの温度感は炎と氷くらいの開きがある。
「私は嫌。型にハマりたくない。自由に戦ってこそ意味がある」
取り付く島もないとはこの事か。
「この調子よ。最近の若いもんは皆こうなんじゃろうか」
「人選の問題です。もっと探しまわれば良いじゃないですか」
「誰にでも会得できるのなら苦労はないわ」
「じゃあ話は終わったという事で」
「まぁ待て。エミリアは中々の美人じゃろ。本当に断るのか?」
予想通りの展開が来た、と思った。都では有名な「衝撃のマーダイル」という異名は、実のところ強さに依るものではない。この男、とにかくしつこいのだ。
話が長い、くどい、なかなか帰らないの三拍子。常軌を逸した粘り強さが衝撃的だと、人々は口を揃えて噂する。オレがわざわざ出向いたのは、そんな理由からだった。
「何度も言わせないでください。そもそもですよ、お弟子さんだって、そんな無茶な約束を了承しないでしょうが」
「エミリアよ。そなたはどうなのじゃ?」
その時、反射的にもエミリアと眼が合った。オレはこの瞬間を忘れる事はないだろう。
オレを見つめていた薄目は、ゆっくり歪んだかと思えば、三日月のような形になった。怖い。素直に不気味だと思った。
「この人強い、私よりもずっと。それに割と格好良い。控えめに言って交尾したい」
「そうかね。お前さんがそこまで褒めるのは初めてじゃな。よほど気に入ったようじゃ」
「おいやめろ! 自分の貞操をもっと大事に扱え!」
「まぁまぁ。若いうちは向こう見ずなものじゃろう。たまには間違いの1つでも……」
「やってられっか! オレはもう帰ります!」
怒り任せに逃げようとしたが、それは許されなかった。本当に衝撃的なしつこさだと思う。
「待て待て。首を縦に振るまで、この館から出られると思うな!」
「帰さない。交尾するまで逃さないから」
「寄るなバカ師弟ども!」
それからの追撃はとにかく執拗だった。飛び交う手投げナイフ、煌めく白刃、たまに鈎縄(かぎなわ)なんて奇策まで飛び出す始末。
その猛追をどれだけ避けたろう。100だか200だかを凌いだ頃に、ようやく敷地外へ逃れる事が出来た。さすがに都の往来で騒ぐ気は無いのか、パタリと追撃の手が止んだ。
そうして自宅に逃げ帰ると、屋敷では満面の笑みを浮かべるアイシャの顔があった。そこでお土産の話を思い出し、手ぶらである事を告げると、大いに泣かれた。
「酷いですよ師匠ぉ……自分だけオアソビを堪能してきただなんて」
「お前、このボロボロの格好を見てそう思えるのか」
「売上金を全部はたいてハードに遊んできたんでしょう」
「そうじゃねぇよ、オレはな……」
「それでまたクソ貧乏やるってんだから、夜だけじゃなく昼間までもドMじゃないですかぁ!」
「聞けよこの野郎!」
今日は厄日というやつだろうか。自宅に戻っても疲れるとか、どこまで巡り合わせが悪いんだろう。
ともかく、あの連中には二度と関わるまい。床に崩れて泣きじゃくるアイシャを見下ろしながら、そう心に決めた。しかし現実は無情にも、浅からぬ縁が繋がってしまった事を、追々知ることになる。
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