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第15話 森の恵み
シトシトと降り注ぐ雨が朝の光景を濡らす。こんな陽気だ、さすがに肌寒くなってきた。レンガ造りの暖炉には火口となる枯葉に枝、薪も十分なまでにセッティングされている。そこに魔力を通わせた火鉱石を放り込めば、すぐに暖かな火が灯る。
何かと困窮する毎日だが、燃料だけは使い切れないほどにある。館の周囲が森で囲まれているおかげだった。
「師匠、おはようございまぁす」
「おうアイシャ。お前も火に当たるか?」
「火ですか? 今日って寒いんですかね」
「そうか。何でも無い」
話しかけて思い出す。コイツは真冬のブリザードでもケロッとしている変人だ。今も両手足の素肌を晒しているのに平然としており、気温の変化に気付いている風ではなかった。全身をとりまく、ほの赤い闘気が外気を絶妙に遮っているおかげらしい。
「おはようマスター。暖炉つけたんだ」
「おうエミリア。寒いなら当たれよ」
「そうする。あぁさむさむ……」
エミリアは側までやって来ると、オレの身体にすり寄ってきた。十分なスペースがあるのに。邪魔くさくて半歩退けば、同じ分だけ詰めてくる。じゃあもう半歩と足を踏み出してみると、今度はなにかにぶつかった。
「うぅ、さむさむぅ……!」
反対側からはアイシャだ。
「お前、平気なんじゃねぇのかよ」
「いやいや、よく考えてみたらメチャ寒くってですね。アタシも温まろうかなって」
こうして左右から圧力を受ける羽目に。朝っぱらから鬱陶しい。
「狭いだろ、お前ら離れろ」
「それはムリ。寒くて死にそう」
「そうそう。こうやってムニムニ寄り添ってると暖かいですから」
「うるせぇよ。特にアイシャは平気だろうが」
一応、指先まで温まったので朝食を用意した。特に手間は必要なく、カッチカチに固まった黒パンと干し肉のひとかけらを並べるだけ。かなり侘びしい食卓だが、これでも一時期よりは改善されたものだ。
「うぅん、塩辛い! でも朝っぱらから肉を食えるだなんて贅沢ですねぇ」
アイシャが恍惚とした顔で干し肉を噛み締めた。やたらと、長ったらしく。コイツは本当に伯爵令嬢かと疑いたくなる一幕だ。
そんな隣席をよそに、エミリアは手が止まっている。パンを指先で千切って、そのままだ。
「ねぇマスター、聞いてもいい?」
「なんだよ、改まって」
「ここら辺は森が近いから、食べ物ならそこで調達できるはず。どうして獲りにいかないの」
そうきたか、説明するのは少し面倒だ。周囲の環境に母の件。内容をまとめていると、答えるより早くアイシャが吹き出した。心底ゆかいな様に、口元を手で隠しながら。
「エミリアってば、そんな事も知らないんですかぁ? 同居人失格ですよマジで」
「まだここに住んで1ヶ月足らず。知らないことが多くて当然。それを揶揄するのはバカ野郎の証」
「はぁ? 朝っぱらからよく回る口ですね。寒いんでしょう、口の中に熾き火でも突っ込んでやりましょうか?」
「お前らうるせぇぞ」
「師匠も言ってやってください! 先輩をもっと敬えとかそういうの」
「ともかく飯を食え。事情については、実際に森の中で説明する」
「森へ行くのね。ご飯がいっぱい獲れる」
「食えるもんがあれば、だがな」
その時、窓の向こうで人の気配がした。不審に思って除いてみれば、雨の降りしきる中を駆け去る何者かを見た。全身をローブで包み込んでおり、後ろ姿で誰かと判別するのは不可能だった。
「どうしたんです、師匠?」
「いや別に。気のせいだった」
多少心に引っかかるものはあったが、それも外出の準備を終えた頃には忘れてしまった。
森へ行くのに苦労なんか無い。広大な畑を横切り、茂みをまたげば目的地だ。手つかずの原生林は、もうひと雨降りそうな空を覆い隠してしまい、別世界のような錯覚を与えようとした。
「エミリア。お前が期待する食材はなんだ?」
「木の実、果実、キノコ。他には鳥とかウサギなんか」
「じゃあ1つずつ説明しよう。まずこの辺にはいくつか集落がある。そこには目利きが大勢いるから、木の実だとか目ぼしい物は取り尽くされてるぞ」
「でも森は広い。手つかずの場所があるはず」
「じゃあ食えそうだと思うもんを持ってこい」
「待ってて。今夜は素敵な食卓にしてあげる」
勇ましい言葉と鼻息を残して、エミリアは目にも留まらぬ速さで疾走した。そして大した時間を待たず戻ってきた。両手には一抱え分のキノコが満載だ。
「早ぇな。首尾は?」
「木ノ実も果実も見当たらない。びっくりするくらい」
「だから言ったろ。食えるもんは目利きのオッサン達が回収済みだ。ろくに残ってないんじゃねぇか?」
「でもほら。キノコキノコ」
「左からシラヨミタケ、ニガスギタケ、ダカツキノコ。全部毒有りだな」
「なん……てこと!?」
「素手で触ったのか。手を洗ってこい。かぶれたら薬をくれてやる」
肩を落としたエミリアは、近くの湖へと向かった。収穫したキノコ一式も捨てるように言いつけてある。
「師匠。前に毒キノコを解毒薬と一緒に食ってませんでした?」
「そんな事もあったな。ちなみにそれらは風味が豊かで、食ったら美味いと聞いたことが有る。しかし毒が強力だ」
「だったら捨てずに持って帰っても良いんじゃ?」
「今は諸事情から、解毒薬を温存したいんだ」
しばらくするとエミリアが戻ってきた。気持ちを切り替えたのか、再び鼻息を荒くしている。
「まだ。私はまだやれる」
「それは鳥やウサギの事を言ってるのか?」
「新鮮な獣肉。それが有るだけでだいぶ違う」
「そうか。だったら周りの様子に気を配ってみろ、何か気付くことは?」
オレはそう促しつつ、自分も周辺に顔を向けた。鬱蒼と茂る森は、ただずっと静寂の時を刻み続けている。
「静かすぎる……! そんな、鳥たちは? 虫たちは?」
「みんな避難してるぞ。ヤベェ奴らがやって来たってな」
「どうしてこんな事に。あり得ない」
「これはな、すげぇ昔の話なんだが。当時森を支配してたアンニュイベアっつう魔獣がいたんだ。そいつを母さんがブチのめしたそうでな。それ以来こんな感じだ」
「師匠、それ初耳ですけど。しかもアンニュイベアってSランクじゃないですか。百人単位で討伐するやつ」
「オレも昔話として聞いただけで詳しくは知らんが、本人談では『分からせてやった』そうだ」
「一体何が起きたんですか、おっかねぇ……」
「その結果として、魔獣だけでなくあらゆる生物が怯えるようになった。人間が襲われないで済む反面、狩猟が出来なくなったと言うわけだな」
「虫ですら声を潜めるだなんて……ありえない……」
「そいつらは、オレ達の気配に圧倒されてるだけだろうよ」
エミリアは両手を下ろして項垂れた。さすがに観念したらしい。
「残念、心の底から。森の豊かな恵みを味わいたかったのに」
「んなもんねぇよ。理解したら帰るぞ。今日は注文が入ってるから忙しいんだ」
「そうなんです? 朗報じゃないですか」
「マーダイル先生から解毒薬の追加を頼まれたんだ。しかも大量に。おかげで在庫がやべぇ」
それから3人並んで戻ろうとしたんだが、1人アイシャだけが逸れた。フラフラとした足取りで、何かに誘われるかのように。
「どうした。置いてくぞ」
「いえね、ちょいと美味そうな匂いを感じまして」
「どっかの冒険者がキャンプでもしてんだろ。ほっとけよ」
「でもでも、匂いだけなら無料ですからぁ」
「本当。良い匂いがしてる、美味しそう」
「エミリア、お前もかよ」
2人は糸で引かれでもしたのか、怪しい足取りで森の奥へと向かった。これは放置できない。あいつらが他所様に迷惑をかける前に止めなくては。
「アイシャ、エミリア、戻ってこい!」
茂みをかき分けて追いかけた先には、想定以上の人数が集まっていた。大きな焚き火に大きな鍋。どこかの村が祭りでも開いてるのか。しかし村人にしては身なりが物々しく、気配も荒い。もしかすると冒険者だろうか。
そう思った矢先の事。鼻につく声が響き渡ると、オレの心はズシリと重たくなった。
「アーーッハッハ。誰かと思えばガチクソ貧乏人のイアクシルじゃないですか」
「ゴーワンかよ。何してんだこんな所で」
「たまには下層民どもと混じって宴でもと思ってねぇ。ついつい人を集めすぎてしまいましたよ」
「そうかい、邪魔したな」
「おっと。1杯くらい付き合ってはいかがです? 遠方から取り寄せた珍味で、大豆を元とした調味料をふんだんに使っています。それを森の恵みと共に食すだなんて、なかなか経験できる事ではありません」
「森の恵み?」
鍋の方をチラリと見てみる。気泡をたてながら湯気を放つ茶色の汁。浮き上がる乱切りの野菜に混じり、所々に見える茎やカサ。それを見てアァと思う。
ゴーワンはアイシャたちにも振る舞うと言った。うちの連中は疑いもせず、半笑いで受け取ろうとしたので、首根っこを掴んで止めた。そしてすかさず鍋から距離を取る。恨みがましい視線を向けられたが、今は制止の方が先だった。
「ゴーワン、悪いことは言わねぇ。その中身は全部捨てろ」
「ウフフフ。貧乏をこじらせると、そんな発想を持つようになるんですねぇ。嫉妬心から人の楽しみに水を差すだなんて。人間、そこまで落ちたらお終いってものです」
「オレは止めたからな」
「何とでもおっしゃい。見よ、これが成功者に許された高級すぎる贅沢ですよ!」
ゴーワンはそんな決め台詞を吐くと、木椀に満載したスープを食べ始めた。何度も吐息を吐きかけては豪快にすする。最初の1杯目は驚くくらい手早く完食された。
「んんん素ン晴らしい! これぞ勝利の味! 成功者の特権! 生涯のライバルが指を加えて見る中とあっては甘美極まります!」
「旦那、アッシらも食って良いですかね」
「よろしい。私の庇護に感謝しながらありがたく食べなさい」
「すまねぇです。そんじゃあ遠慮なく」
方々で歓声が上がる。そして鍋の中身はみるみるうちに目減りし、大勢の腹の中へと消えた。何も疑わない辺り、無知は罪だと言いたくなる。
「な、なんだ。身体が、しびれて……!?」
ゴーワンはうめき声を溢すなり上等なスーツにシワを刻んで、泥の上に倒れ伏した。
「だから言ったろう。鍋を捨てろと」
「貴様……謀ったな!」
「ちゃんと止めただろ。それでも食ったのはお前だ」
「これは、毒キノコなのか……?」
「見て分かんねぇかよ」
辺りを見れば、取り巻きどもも大同小異。症状に違いはあっても何かしら発症しているようだった。
「うぐ……急に腹が」
「あシャシャしゃ! 鍋うめぇ鍋うめぇぞアーーッシャッシャ」
「ゲホッゲホ! 喉が焼けるみたいだ……!」
幸いにも即死したヤツは居ない。だが手当が遅れれば危険だろう。そんな中で、とりわけ症状が強めのゴーワンが掠れた声をだした。
「い、イアクシル……助けろ」
「助けろ、とは?」
「解毒薬だ。よこせ」
「今は品薄でな。100ディナでどうだ」
「ここぞとばかりに足元を見おって……学友の危機なのだぞ!」
「言っとくが、顔見知りの義理は警告しただけで果たしたぞ。今はビジネスの話をしている」
「呪われろ! 100だ!」
銀貨が1枚飛んでくる。しかしここで終わりにすべきなのか。
「お前の取り巻きどもはどうする。雇った冒険者に毒を盛って死なせたとなれば、お前は立派な犯罪者に……」
「ありったけ持ってこい! 全部買い占めてやる!」
「はいよ、まいどあり」
その言葉通りに屋敷から全ての解毒薬を持ち出し、配ってやった。回復するなり逃げ去っていくゴーワン達。結果、1500ディナもの臨時収入が手元に残った。
「これも森の豊かな恵みに入るのか?」
軽口に返答はなかったが、2人は事態を飲み込むと満面の笑みで喜んだ。そして街へ繰り出し肉に野菜に果実にと、両手が埋まるほどに買い込んだ。
「森の恵み、最ッ高ーー!」
そうアイシャは叫んだり、飛び跳ねたりと忙しくした。
ちなみにオレはというと、マーダイル分の薬まで売っぱらってしまったので、数日の間は徹夜を強いられた。懐は豊かでも眠りは貧しい、そんな冬入りだった。
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