第16話 静かなるイアクシル邸

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第16話 静かなるイアクシル邸

 ユレェ祭。それは冬の盛りに控える一大イベントだ。その日を迎えたなら、修道院で厳かな式典が行われる一方、世間は家族同士で集まり豪勢な食卓を囲む。あるいは恋人同士で肩を寄せ合い、甘い言葉をささやく日でもある。  そんなお祭りムードだ。王都の中央通りには露店がひしめきあい、珍味から馴染みの品まで揃えて客を引き込もうとした。前日だというのに商魂の逞しさがキラリと光る。 「信頼と伝統のお菓子、グリーンアップルパイはいかが? 今ならお買い得で1ホール200ディナのご奉仕です!」 「コカトライスのモモ肉はいらんかね。薄氷製法だから新鮮そのものだよ!」 「香辛料が欲しけりゃウチに来な、オアツイ夜の前にピリッと刺激的な料理ってね」  オレ達3人の中で最も関心を示したのは、やはりというかアイシャだ。食い物が絡むと目の色を変えるのは、出会った当初からずっとだ。 「言っとくがな、今日はユレェ祭のための買い出しだからな。無駄遣いできねぇぞ」 「分かってますけど、ちょびっとくらい良くありません? 美味しそうなものが揃い踏みですよ!」 「しゃあない。100ディナだけだぞ」 「えぇ……。それっぽっちじゃ覇王イカ焼きとキレソーメンだけでお終いじゃないですか」 「そうか。じゃあ祭りの晩餐は草だけで構わんと」 「いやぁ最高! イカもソーメンも大好物ですから!」  露店のなかには軽食を扱う所もある。とりわけ香ばしさを漂わせる一角など、まさにそんな店だ。火鉱石にかけられたイカの足。串焼きにして、岩塩と赤い粉末を振りかけては白煙を立ち上らせている。 「うぅ……イカ焼きが80ディナに値上げとか。貧民を殺しにきてませんか……」 「香辛料を使ってるせいだろうな。この辺じゃ栽培できないから、材料費が跳ね上がってると。いわゆる付加価値ってやつか」 「んなもん要らねぇですよ。普通のヤツが食いたいです……」  アイシャは泣き言とともに食らいついた。しかし次の瞬間は眼を見開いて叫んだ。よほど美味かったらしく、不平不満なんか欠片も残されていない。  歩き食いするアイシャと並んでいると、エミリアが足を止めた。そしてオレの袖を引っ張って告げた。 「マスター。私も何か食べたい。ゲイルリザードの蒲焼」 「何いってんだ。残り20ディナじゃ買えないだろ」 「えっ……」 「1人100じゃねぇよ。予算は全員で100までだ」  事態を理解したエミリアは僅かに眼を細めた。そしてアイシャのイカ焼きに横から食らいつき、後は争奪戦だ。串を、イカの足を闘志むき出しにして奪い合う姿は、さすがに可哀想な見栄えだ。  これはオレが悪いのか、それとも貧乏が、ひいては国政が悪いのか。原因はさておき、このままでは周りに迷惑をかけてしまう。 「分かった分かった。蒲焼も買ってやるから、お前ら大人しく……」 「どけ! 邪魔だっ!」  にわかに通りは慌ただしくなった。それは人混みを掻き分けて走る奴のせいだ。怒鳴りながら道行く人々を押しのけて、やがてオレ達の前も通り過ぎて、向こう側へと消えた。  しかし騒ぎはここで終わらなかった。 「道を開けろ! 騎士団だ!」 「前を塞ぐな、退けッ!」  今度は甲冑の集団だ。お祝いムードを蹴飛ばすような金属音を撒き散らしつつ、さっきの男を追いかけていった。 「何だ今のは……」 「いい加減その口を離してください、イカはアタシのもんです!」 「そっちこそ1人で食おうだなんて虫が良すぎ。早く諦めて」 「まだやってんのかお前ら!」  それからは何事もなかったように歩き出した。別にオレは警備隊でも慈善家でもない。事件が起きたからと駆けつけたりはしない。  しかしそうは言っても、騒然とした空気が感じられると、気持ちは次第に事態解明へと傾いていく。 「どうしたんだろうな。今日はやたらと騎士団が駆け回ってるが……」 「離れなさいブタ女。この蒲焼きは私の可愛いおねだりで買ってもらったやつ」 「アンタだってアタシのイカ焼き食ったじゃないですか。だったらこっちにも食べる権利くらいあるでしょ?」 「お前らそろそろ切り替えてくんない?」  騒動の根っこを探してみたところ、それほど苦労なく見つける事ができた。買い物客とは明らかに様子の違う人だかりを辿ればスグだった。  眉をひそめる人々の視線は、とある看板に集中していた。 「あれは御触れか。何が書いてあるんだ……」  周囲ではやたらと溜息やら恨み節が漏れている。そんな不穏さに塗れた中で眺めた文面は、腹を突くかのような内容だった。 「今後はあらゆる診療を、国が管理する!? 許可のない医療行為には厳罰をもって処するものと……」  そのとき、路地裏から怒号が響き渡った。診療区と呼ばれる一角からだ。 「抵抗するな貴様! 大人しく出てこい!」 「うるせぇ黙れ! この診療所は、オレが長年貯め込んだ金でようやく建てたもんだ。騎士団が来たからっホイホイ明け渡せるかよ!」 「王命に逆らうとは良い度胸だ。ひっ捕らえてしまえ!」  抜剣の音、そして魔術のきらめきが中央通りまで届いた。それで周囲の空気も一層重たくなり、ボヤき声も目立つようになる。急な話だなとか、王家が金に群がりだしたとか、声を潜めて囁きあった。  いや、今はそれよりもボヤボヤしていられない。明日は我が身だろうが。 「アイシャ、エミリア、今すぐ屋敷に……」 「あと20ディナですか。これじゃ蜂蜜バナナ1本でお終いですね」 「私に妙案がある。店主に色仕掛けをかけて値切れば良い。そうすればソバローストくらい買えそう」 「だったらキレソーメンの方が美味しいし量もたくさん……」 「置き去りにするぞお前ら」  それからは懸命に駆けた。普段は何とも思えない距離なのに、屋敷までが酷く遠い。  息を切らしながら辿り着いた我が家は、特に異変など無かった。あらゆる物が出発前と変わらず、怪しい人影も見えない。 「どうしたんです師匠。唐突に帰ろうだなんて」 「もしかして発情した? 祭りの夜はムラムラすると聞いたことがある」 「えっ。そうだったんですか!?」  軽口には取り合わない。オレは息を整えきる前に伝えた。この差し迫った状況について。 「あらゆる診療をって、本当ですか?」 「間違いない。実際に揉めている所を見たし、恐らく通りを駆け去った男も診療所の人間だろう」 「駆け去った男?」 「覚えてないのかよ……。まぁいい、ここに騎士団が押し寄せてくるのも時間の問題だ。お前たちも覚悟しておけよ」  屋敷にまで手が伸ばされるのはいつ頃か。今日は無くとも明日はどうか。それを考えた所で分かりはしない。しかし2人はオレの不安をよそに、極めて頼もしい言葉を返してくれた。 「お任せください。一個大隊が押し寄せてきても撃滅してみせます!」 「安心して。上官兵卒問わず、永久の眠りをプレゼントしてあげる」 「いきなり闘おうとすんな。何かあれば必ずオレを呼べ。交渉の余地があるかもしれない」 「そんなの上手くいくんです?」 「いきなり殴りつけるよりかはマシだ」  窓の外を眺めてみる。冬晴れとも言える青空の下、遠くに王都が見えた。こうして眺めるといつも通りだが、内情は別物だった。今も向こうでは数々の悲劇が生まれてるはずだ。 「このお屋敷に来るのはいつなんでしょうね?」  それも連中の腹一つだ。こちらはただ審判の日を待つしかない。緊張感を抱きながら、ただジッと、風に弄ばれる枯葉のように。  そうして迎えた翌日、何も起きず。さらにまた翌日、やはり何も起きず。騎士団の一隊どころか、お遣いの小役人の1人すら現れはしなかった。その一方でネタネさんなどの患者は平然と現れ、薬を受け取るなり帰っていく。  全くと言って良いほどオレ達の日々は変わらなかった。 「師匠。ちょっと思ったんですけど」 「やめろ。言うんじゃない」 「あらゆる診療。ここはその枠組に含まれてなかった」 「やめろって言っただろ!」  まさかイアクシル診療所、医療行為と認められてない説が浮上。この事実を喜ぶべきか哀しむべきか、判断には酷く迷わされた。
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