48人が本棚に入れています
本棚に追加
第16話 静かなるイアクシル邸
ユレェ祭。それは冬の盛りに控える一大イベントだ。その日を迎えたなら、修道院で厳かな式典が行われる一方、世間は家族同士で集まり豪勢な食卓を囲む。あるいは恋人同士で肩を寄せ合い、甘い言葉をささやく日でもある。
そんなお祭りムードだ。王都の中央通りには露店がひしめきあい、珍味から馴染みの品まで揃えて客を引き込もうとした。前日だというのに商魂の逞しさがキラリと光る。
「信頼と伝統のお菓子、グリーンアップルパイはいかが? 今ならお買い得で1ホール200ディナのご奉仕です!」
「コカトライスのモモ肉はいらんかね。薄氷製法だから新鮮そのものだよ!」
「香辛料が欲しけりゃウチに来な、オアツイ夜の前にピリッと刺激的な料理ってね」
オレ達3人の中で最も関心を示したのは、やはりというかアイシャだ。食い物が絡むと目の色を変えるのは、出会った当初からずっとだ。
「言っとくがな、今日はユレェ祭のための買い出しだからな。無駄遣いできねぇぞ」
「分かってますけど、ちょびっとくらい良くありません? 美味しそうなものが揃い踏みですよ!」
「しゃあない。100ディナだけだぞ」
「えぇ……。それっぽっちじゃ覇王イカ焼きとキレソーメンだけでお終いじゃないですか」
「そうか。じゃあ祭りの晩餐は草だけで構わんと」
「いやぁ最高! イカもソーメンも大好物ですから!」
露店のなかには軽食を扱う所もある。とりわけ香ばしさを漂わせる一角など、まさにそんな店だ。火鉱石にかけられたイカの足。串焼きにして、岩塩と赤い粉末を振りかけては白煙を立ち上らせている。
「うぅ……イカ焼きが80ディナに値上げとか。貧民を殺しにきてませんか……」
「香辛料を使ってるせいだろうな。この辺じゃ栽培できないから、材料費が跳ね上がってると。いわゆる付加価値ってやつか」
「んなもん要らねぇですよ。普通のヤツが食いたいです……」
アイシャは泣き言とともに食らいついた。しかし次の瞬間は眼を見開いて叫んだ。よほど美味かったらしく、不平不満なんか欠片も残されていない。
歩き食いするアイシャと並んでいると、エミリアが足を止めた。そしてオレの袖を引っ張って告げた。
「マスター。私も何か食べたい。ゲイルリザードの蒲焼」
「何いってんだ。残り20ディナじゃ買えないだろ」
「えっ……」
「1人100じゃねぇよ。予算は全員で100までだ」
事態を理解したエミリアは僅かに眼を細めた。そしてアイシャのイカ焼きに横から食らいつき、後は争奪戦だ。串を、イカの足を闘志むき出しにして奪い合う姿は、さすがに可哀想な見栄えだ。
これはオレが悪いのか、それとも貧乏が、ひいては国政が悪いのか。原因はさておき、このままでは周りに迷惑をかけてしまう。
「分かった分かった。蒲焼も買ってやるから、お前ら大人しく……」
「どけ! 邪魔だっ!」
にわかに通りは慌ただしくなった。それは人混みを掻き分けて走る奴のせいだ。怒鳴りながら道行く人々を押しのけて、やがてオレ達の前も通り過ぎて、向こう側へと消えた。
しかし騒ぎはここで終わらなかった。
「道を開けろ! 騎士団だ!」
「前を塞ぐな、退けッ!」
今度は甲冑の集団だ。お祝いムードを蹴飛ばすような金属音を撒き散らしつつ、さっきの男を追いかけていった。
「何だ今のは……」
「いい加減その口を離してください、イカはアタシのもんです!」
「そっちこそ1人で食おうだなんて虫が良すぎ。早く諦めて」
「まだやってんのかお前ら!」
それからは何事もなかったように歩き出した。別にオレは警備隊でも慈善家でもない。事件が起きたからと駆けつけたりはしない。
しかしそうは言っても、騒然とした空気が感じられると、気持ちは次第に事態解明へと傾いていく。
「どうしたんだろうな。今日はやたらと騎士団が駆け回ってるが……」
「離れなさいブタ女。この蒲焼きは私の可愛いおねだりで買ってもらったやつ」
「アンタだってアタシのイカ焼き食ったじゃないですか。だったらこっちにも食べる権利くらいあるでしょ?」
「お前らそろそろ切り替えてくんない?」
騒動の根っこを探してみたところ、それほど苦労なく見つける事ができた。買い物客とは明らかに様子の違う人だかりを辿ればスグだった。
眉をひそめる人々の視線は、とある看板に集中していた。
「あれは御触れか。何が書いてあるんだ……」
周囲ではやたらと溜息やら恨み節が漏れている。そんな不穏さに塗れた中で眺めた文面は、腹を突くかのような内容だった。
「今後はあらゆる診療を、国が管理する!? 許可のない医療行為には厳罰をもって処するものと……」
そのとき、路地裏から怒号が響き渡った。診療区と呼ばれる一角からだ。
「抵抗するな貴様! 大人しく出てこい!」
「うるせぇ黙れ! この診療所は、オレが長年貯め込んだ金でようやく建てたもんだ。騎士団が来たからっホイホイ明け渡せるかよ!」
「王命に逆らうとは良い度胸だ。ひっ捕らえてしまえ!」
抜剣の音、そして魔術のきらめきが中央通りまで届いた。それで周囲の空気も一層重たくなり、ボヤき声も目立つようになる。急な話だなとか、王家が金に群がりだしたとか、声を潜めて囁きあった。
いや、今はそれよりもボヤボヤしていられない。明日は我が身だろうが。
「アイシャ、エミリア、今すぐ屋敷に……」
「あと20ディナですか。これじゃ蜂蜜バナナ1本でお終いですね」
「私に妙案がある。店主に色仕掛けをかけて値切れば良い。そうすればソバローストくらい買えそう」
「だったらキレソーメンの方が美味しいし量もたくさん……」
「置き去りにするぞお前ら」
それからは懸命に駆けた。普段は何とも思えない距離なのに、屋敷までが酷く遠い。
息を切らしながら辿り着いた我が家は、特に異変など無かった。あらゆる物が出発前と変わらず、怪しい人影も見えない。
「どうしたんです師匠。唐突に帰ろうだなんて」
「もしかして発情した? 祭りの夜はムラムラすると聞いたことがある」
「えっ。そうだったんですか!?」
軽口には取り合わない。オレは息を整えきる前に伝えた。この差し迫った状況について。
「あらゆる診療をって、本当ですか?」
「間違いない。実際に揉めている所を見たし、恐らく通りを駆け去った男も診療所の人間だろう」
「駆け去った男?」
「覚えてないのかよ……。まぁいい、ここに騎士団が押し寄せてくるのも時間の問題だ。お前たちも覚悟しておけよ」
屋敷にまで手が伸ばされるのはいつ頃か。今日は無くとも明日はどうか。それを考えた所で分かりはしない。しかし2人はオレの不安をよそに、極めて頼もしい言葉を返してくれた。
「お任せください。一個大隊が押し寄せてきても撃滅してみせます!」
「安心して。上官兵卒問わず、永久の眠りをプレゼントしてあげる」
「いきなり闘おうとすんな。何かあれば必ずオレを呼べ。交渉の余地があるかもしれない」
「そんなの上手くいくんです?」
「いきなり殴りつけるよりかはマシだ」
窓の外を眺めてみる。冬晴れとも言える青空の下、遠くに王都が見えた。こうして眺めるといつも通りだが、内情は別物だった。今も向こうでは数々の悲劇が生まれてるはずだ。
「このお屋敷に来るのはいつなんでしょうね?」
それも連中の腹一つだ。こちらはただ審判の日を待つしかない。緊張感を抱きながら、ただジッと、風に弄ばれる枯葉のように。
そうして迎えた翌日、何も起きず。さらにまた翌日、やはり何も起きず。騎士団の一隊どころか、お遣いの小役人の1人すら現れはしなかった。その一方でネタネさんなどの患者は平然と現れ、薬を受け取るなり帰っていく。
全くと言って良いほどオレ達の日々は変わらなかった。
「師匠。ちょっと思ったんですけど」
「やめろ。言うんじゃない」
「あらゆる診療。ここはその枠組に含まれてなかった」
「やめろって言っただろ!」
まさかイアクシル診療所、医療行為と認められてない説が浮上。この事実を喜ぶべきか哀しむべきか、判断には酷く迷わされた。
最初のコメントを投稿しよう!