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第2話 2人暮らし
ただ今は自室で製薬中。隣にアイシャの真剣な顔があり、食い入るような視線をオレの手元に送っている。少しばかり酸えた臭いが漂っていても気にした様ではない。
「よし。すり鉢に薬剤1が出来た。これはまだ中間体だ」
「ほうほう。この赤黒い粉はチューカンタイなんですね」
「こいつを予め作成しておいたゲル状の薬品にまぶして、かき混ぜる。ねちっこい音がするまでだ」
分量は正確に。細やかにサジを使い分け、2種の薬品を適量だけ取り出して混ぜ合わせた。粘着質な音がネッチネッチと鳴る内に、ゲルは赤みがやや強くなった。不快な臭いが消えた頃には完成だ。
「よし出来たぞ。ちょっとなめてみろ」
「えぇ! こいつをですか!?」
「別に毒物じゃない。ついでに薬にもならんがな」
「はぁ、そっすか……」
アイシャは観念した顔になって、慎重に手を伸ばした。小指の先でゲルに触れ、震えを隠そうともせず口元へと持っていく。そこで深呼吸を2つ挟むと、覚悟を決めたのか両目をつむって指を咥えた。すると次の瞬間、閉じたまぶたが大きくまん丸に開かれた。
「……美味しい! 焼豚の味!」
「ソックリだろ?」
「見た目はグロいのにめっちゃクソ美味いですよ、流石は師匠!」
「フフン。伊達に天才薬師と呼ばれちゃいないさ」
味さえ分かれば見た目は問題にならなかった。アイシャはさっきまでの躊躇など忘れたように、2口3口とむしり取って食べ進める。オレはというと、その間にひと抱え分の薬草を台の上に乗せた。
「この草も食えるヤツだから。薬品をおかずにして食えよ、クッソ苦いからな」
「えっ」
「腹が膨れたらとっとと寝ちまえ。歯磨きを忘れんなよ」
「待って」
「さぁてオレも食わせてもらおうかな、いただきま……」
「待ってくださいよ!」
アイシャの声が悲痛だ。言いたい事は聞かずとも分かるが、すっとぼけるに限る。
「どうした、何か不満か?」
「師匠。まさかこれが晩御飯だって言わないですよね? 食事は別にあるんですよね?」
「そんな用意があると思うか」
「あんまりだぁ! こんなもん人間の食事じゃないですよ! 収容所だってもう少しマシなもん出しますってば!」
打ちひしがれて床に倒れこむアイシャ。オレはその背中を眺めながら草を頬張ってみた。滲み出る液はどこまでも青臭く、意地悪い程に苦い。言い出しっぺですら顔をしかめてしまうレベルだが、焼豚の味を馴染ませれば食えない事もなかった。
「チクショウめ、貧乏のバカ野郎……」
アイシャが塞ぎ込んだままで言う。その床を這う様な言葉への返答は、お決まりのセリフだった。
「堪えられないなら実家に帰りゃ良いさ」
アイシャは立ち振る舞いからは想像できないが、歴とした貴族の娘、伯爵令嬢なのだ。今からでも故郷に帰れば、子煩悩な父親の元で贅沢暮らしが出来るだろうに。
師弟関係なんぞ放り投げて貰って構わない、というかオレは弟子にしたつもりも無い。だから彼女を縛り付ける制約は何も無いと言えた。しかしアイシャは首を横に振って拒む。それも見慣れた光景だ。
「いや、ここに居させてください。師匠を故郷に連れ帰るまでは!」
「まだ言ってんのか。いい加減諦めろよ」
「お父様もお待ちしてますよ。待ち焦がれて体が疼(うず)くのか、スクワットばかりしてるって手紙に書いてありました」
「割とどうでも良い」
「その甲斐あって最近はふくらはぎが凄くて、スイカを乗っけてるみたいな感じだそうです」
「輪をかけてどうでも良い」
コイツら親子はいつもこうだ。よほどオレを気に入ったようで頻繁に勧誘される。父娘揃って暑苦しい。アイシャの一族が収める領地では、ただいま医者不足が問題になっているらしい。だからオレに絡むんだが、検討した事すら一度としてない。
「何度も言っただろ、オレはここを離れるつもりは無い。手紙の返事にもそう書いておけ」
「でもお父様は、専任の薬師になるなら年に100万ディナ出すって言ってますよ」
「前回の80万から値上げしたな。でも、オレには断る理由がある」
「師匠のお母様が残したお屋敷を守るため、ですよね?」
「そうだ。だからどんな条件で誘われてもダメなものはダメ」
「そうですよねぇ……うん」
取りつく島も無い言葉に、アイシャが肩を落とした。しかしコイツの打たれ強さは一級品であることを知っている。
「じゃあ、とりあえずアタシのフィアンセなってみません?」
「何でだよ。飛躍も大概にしろ」
「深い仲になれば、イベント毎に連れて帰れるかなぁって」
「オレは独りが好きなんだ」
「そんじゃあ、情婦はどうです?」
「意味わかって言ってんのか? 良いからメシ食えよメシ」
「うぅ……。贅沢言わないから、焼き立てパンが食べたいよぉ。それとバターとミックスベリーのジャム。ついでにコーンポタージュも」
「十分贅沢だろ。夢みたいな事言うんじゃない」
アイシャの泣き言が食卓を湿っぽくした。独り暮らしと違って面倒なのは、こんなシーンだろう。いちいち同居人との対話や気遣いを求められるからだ。
これを賑やかと捉えるか、鬱陶しいと感じるかは人によるのか。オレ自身はというと、正直よく分からないし、分かる必要もない気がしている。
「さてと、一応腹は膨れた」
「ウップ。もう草なんか見たくないです」
「そう言う割には完食してるな」
テーブルに乗せた大量の草は、その全てが胃の中に消えていた。6対4くらいでアイシャが食っていたと思う。
「だってだって、こういうご飯に慣れないと一緒に居られないんでしょう?」
「まぁそうだろうな」
「だから頑張りました、乙女力を全開にして! 溢れまくる愛を無限の力に変えて!」
「そうか。後は歯を磨いて寝ちまえ」
「反応が雑!?」
適当な所でアイシャを振り切ったオレは、自室へと戻った。そしてベッドに横たわって天井を眺めてみる。昔からあるシミと向き合ううちに、幼少期の記憶が蘇って浮かびだす。あの頃は母が毎日のように手料理を用意してくれたもんだ。質素だが、温かな食事を。
「まぁ、メシくらいは何とかしないとな」
昨今のお国事情から、そして自分の商売下手から、生業は全く軌道に乗らなかった。せいぜい馴染みの患者が何人か居る程度。これではとても暮らしてはいけない。実際食うのに困って、薬草にまで手を出してしまったのだから。
このままじゃダメだ。どうにか改善しなきゃいけないとは分かっていても、具体的に何をすれば良いのかが分からない。
「……身体が冷えたかな」
寝床で考え事をすると、なぜか尿意が増す。これはオレの体質なんだろうか。
通路奥にあるトイレの手前、アイシャに貸し与えた部屋の前を通り過ぎた。半開きになった扉の向こう側からはうめき声が聞こえてくる。
「うぅ……もう食べられません。草なんか、マジで」
うなされる程に嫌か。気持ちは分からんでもないが、夢に見るレベルとまでは思いしなかった。
「仕方ねぇな。ちょっとくらい残業してやるか」
その後、オレは草木も寝静まる夜更けに森へと出かけた。さすらう必要はない、アタリは付けている。そして期待通りの収穫を得たところで屋敷へと戻り、遅い眠りに就いた。
翌朝。食卓に並ぶ品を見て、アイシャは眼を丸くして驚いた。
「あの、師匠。これって……」
「草ばっか食わされるのも辛いだろ。夜中に採ってきたばかりだ、遠慮なく食ってくれ」
「いやいやいや、遠回しの無理心中ですか? これって毒キノコですよね?」
「よく知ってるな。フレイムタケだ。素手で触るなよ、大やけどするからな」
「ええ子供でも知ってますよ。そんで、触っただけでもヤベェもんを食えとか、どんだけ突き抜けてんですか」
「早合点すんな、オレは薬師だぞ」
オレは小瓶の液体を見せつけた後、キノコ全体にまんべんなく振りかけた。そしてかじる。味を確かめる前に、アイシャが目の前で椅子から転げ落ちた。
「うわぁバカですか! Sランクのバカですか! すぐに吐き出してください! 貧乏が辛いからって何も死ななくたっていいでしょう!?」
「落ち着けって。解毒薬をかけてるから平気だって」
「解毒……薬?」
「オレにかかればフレイムタケの毒くらい簡単に中和できる。分かったらお前も食え。風味が濃くて割とイケるぞ」
「あぁーー草食べたいなぁ! 昨日の苦い草がまた食べたいなぁ!」
「痩せ我慢すんな。腹減ってると思ってたくさん採ってきたんだぞ」
「いやいやいやマジで草最高! もうガチハマりなんで、そっちをください!」
大不評。森の恵み作戦はアイシャに受け入れられなかった。昨晩は上首尾だと思って、ニッコリ微笑みながら床に就いたというのに、こうも惨敗を喫するとは。やはり2人暮らしというのは難しい。
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