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場所取り戦争 / 場所取りにまつわる、血みどろの戦いの幕が切って落とされた!
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緩やかなアップダウンを繰り返す芝生が、緑の絨毯のように広がっていた。その奥にはこんもりと茂った針葉樹林が控え、このなだらかに開けたエリアが、むしろ森を部分的に切り開いてあつらえた空間であるらしいことを窺わせる。
その広大な敷地に併設するように立つ建屋には ──それは、今となっては前時代的な豪華さを備え、この国にもかつては、そういった無意味な贅沢感を有難がる時代が有ったのだ── レストランやサウナなどが入り、そこが施設利用者のための憩いの場として機能していたことを物語っている。
機能していた? 過去形?
そう。ここは倒産したゴルフ場だ。バブル全盛の頃、全国に乱立したゴルフ場の多くが、その後の景気低迷で運営難に陥り、ことごとく消滅していた。後に残された敷地を空から見てみれば、鬱蒼と茂る樹林に走る18本の傷が、悪魔の爪痕の如く刻まれた無残な姿を晒している。その広さや立地から、そう易々と再利用先が見つかる筈もなく、今では単なる環境破壊の痕跡となって、後の世代に人間の愚かさを伝えていた。
この『加輪須マウンテンビュー・カントリー俱楽部』も、バブルに散ったゴルフ場の一つである。その経営母体はバブルが弾けた後、早々に破産申し立てを行い、会社更生法の適用を受けてゴルフ場経営から撤退している。ゴルフコースの買収は韓国の財閥系企業によってなされ、一説によれば6億7000万円で売買が成立したと言われているが、現在ではゴルフ場としての経営はされておらず、いわゆる「眠ったまま」の資産として、海外資本による日本国土の切り売り状態となっている。そんなゴルフ場は日本中に数知れず、通常、最低限のコース管理しかなされておらず、時折、イベントなどに使用されるだけである。
そして今日は、その数少ないイベントの日であった。
クラブハウスの周辺には色とりどりのテントやタープが設営され、いつもは閑散としている元ゴルフ場が多くの人々によって賑わっていた。デリバリーバンによる移動販売も数多く見受けられ、近隣のレストランが出品しているケバブ屋台や唐揚げ屋、サンドイッチスタンドにピザ、ベーグル、焼き菓子屋。珈琲やジュース、タピオカなどのドリンク類。中には饅頭や団子といった和風、中華風の食品も出品されていて、小腹を満たそうと客が列を成している店も有る。
勿論、食べ物だけではない。立ち並ぶ四畳半ほどのテント群には、種々雑多な物が陳列されていて、アクセサリーや衣料品、絵画の類や雑貨類まで、それこそありとあらゆるジャンルの怪しげな物が所狭しと並ぶ。
一口に雑貨と言っても、銀製品であったり木工細工や針金細工、陶磁器、或いは石から作られた物など多種多様で、それらは実用性の有る物から、インテリア的な用途のものまで様々だ。ハーバリウムやドライフラワー。そのセンスは何処から来たのだ? と問いたくなるような衣料品に編み物、風船アートまで。
そう。ここに出店している店の多くは、個人営業のナンチャッテ店舗なのだ。暇を持て余した主婦を筆頭に、「趣味が高じて」的な有象無象が実益を兼ねてハンドメイド製品を売り捌き、小遣い稼ぎをしているというのが、その実態である。
麻衣が陣取るテントに陳列されているのは、いわゆる布小物というカテゴリーで、可愛らしい布を縫い合わせて作られたポシェットやバネポーチ、移動ポケットなどである。彼女の趣味であるところの手芸で作る布小物を、近隣で開催されるイベント等で販売しているのだ。
今時、ネット販売にすればいいのに、とは旦那である敏行の言い草だが、質の悪い客によるトラブルなどが心配で、いまだに踏み切れないでいる麻衣は何の変哲もない専業主婦なのだ。
「いらっしゃいませ。可愛い布小物はいかがですか?」
ブラブラと目的も無く歩き回っている風の中年女性に声を掛けてみる。
そもそも、そういった愛想を振り撒くこと自体が苦手な彼女は、半ば強引に客を引き留めて商談に引っ張り込むようなことが出来ない性格だ。そんなんだったら、こんな客商売の真似事などやらなければいいのにと言われそうだが、中学校に進学したばかりの息子の養育費 ──それは主に進学塾の学費だが── の足しに、少しでもなればと始めたのだった。
果たして、その女性は「ふん」と鼻を鳴らし、視線を向けることも無く立ち去った。
その後ろ姿を見送った麻衣は、「ふぅ」と溜息を漏らすと、折り畳み式のキャンプ用チェアーにドサリと座り込む。
「はぁ~・・・ 今日も売り上げは・・・」
子供の手が掛からなくなったのをいいことに、暫く中断していた手芸を再開。どうせ作るなら、それを売って荒稼ぎしてやろうかといった彼女の思惑は見事に外れ、営業成績の振るわない『ラッキー・ドッグ工房』は、今日も在庫の山を抱えることになりそうだ。
敏行におねだりして新規購入したミシンの価格を考えれば、まだまだ投資を回収できているとは言い難い。息子の塾代を捻出した上で、余った売上金でスイーツでも買って、などとウハウハな生活を想い描いていた彼女の夢は、儚くも散っていた。
彼女が落した視線の先にあるミッキーマウスのクッキー缶の中では、今日の売上金であるいくつかの硬貨が、もの悲し気に空の明るさを反射しているのだった。
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