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 あの日、私は警察に通報し、駆けつけた警官と共に母を探索したが、見つけることができず、行方不明者届け出を出した。  数ヶ月ほど私は捜索に尽力したが、どうしても母が見つからないので、私は介護活動を中止し、再就職をすることになった。働きながらも、ネット上で目撃情報を募集するなど、最低限の捜索活動を行った。    結局、母が見つからないまま七年の歳月が流れた。私は、家庭裁判所に申立て、失踪宣告を出してもらった。  あの日、母が家から飛び出していった理由は、未だにわからない。  理由なんてないのかもしれない。アルツハイマー症特有の行動でもある。  私は、母がいなくなったことに実感を抱けなかった。どこか他人事のように思えて、焦ったり悲しんだり、そういった感情の起伏を感じられない。呆然としているのかもしれない。  この日、私は祖母に呼び出され、老人ホームへとやってきていた。  病室には、ベッドで横になる祖母と、椅子に座る私がいる。祖母は寝てしまっているようなので、私はしばらくぼんやりとして過ごした。  「……尚彦(なおひこ)」  突然名前を呼ばれたので、私は一瞬反応できなかった。  私は椅子から立ち上がり、祖母の耳元に口を近づけた。  「どうしたの、お婆ちゃん」  「お前に渡したい物がある」祖母は身動きひとつせずに続ける。「棚の上に、日記帳がある」  「……これは」私は日記を手に取りながら呟いた。「なんなの?」  「お前の母の日記帳だ」  「へぇ……」  「アルツハイマー病の抑制のために、一時期書いていたんだ」祖母はぶつぶつと呟く。「持って帰ってくれ。そして、読んでやってくれ」  「まぁ、わかったよ」  そう私は言ったが、内心、読むつもりはなかった。  「尚彦(なおひこ)、お前のことだから、たぶん読まないだろ?その日記……」そのとき、祖母の口元が少し緩んだように見えた。「頼むよ。これが最後の頼みだから……、私の遺言だと思って、読んでくれよ」  「大げさな……」私は口を曲げた。「わかった。とにかく、読むよ。それでいいんでしょ?」  「ああ」  その後、私はしばらく祖母と会話をしてから、家に帰った。お昼ごはんを食べ、散歩をして、横になりながら読書をしてから、やっと重い腰を上げ、母の日記帳に手を付けた。  日記は酷く汚れていて、正直、あまり触りたくなかった。なにかを零したのか、本の殆どのページが歪んでおり、茶色い染みと付着したゴミが目立った。  表紙を捲ると、さっそく日記の本文が記されていた。私は眼鏡をかけてから読み始めた。  『一月十日。お医者さんに勧められて日記を書くことにしました。私が最後に日記を書いたのは、たぶん、小学生の頃です。なにを書けばいいのかわかりません。アルツハイマー病の進行を遅らせるための活動ということで、なにかを思い出す、といった作業が必要だと考えました。なので、昨日の晩御飯を書いてみたいと思います。お刺身、きゅうりの浅漬け、白米、豚汁。』  しばらく、同じような内容の日記が続いた。  『五月二十四日。最近、転んだり、物を落としたりすることが増えた気がします。増えたといっても、一週間に一度程度なので、これがアルツハイマー病の症状なのかわかりません。気にしすぎでしょうか。ついさきほども、カップを上手く握れず、コーヒーをこの日記帳に零してしまいました。新しい日記を買おうかな、と思いましたが、既に四か月以上の日記をつけてしまったので、このまま続けます。昨日の晩御飯はコロッケでした。』  この日を境に、日記の日付が飛び飛びになるようになった。  『九月七日。随分まえから、日記を毎日つけることができなくなっています。書かないと、とは思っているのですが……。』  『七月十八日。日記を書かなくなってから一年近く経っていました。今日、お医者さんにお薬を貰いました。最近、転んだり物を落としたりすることが多くなってしまって、困っていたので助かります。』  『十二月二十五日。また日記をサボっていました。最近、物忘れが酷いです。家にいると、ふと、「ここはどこだろう?」と思うことがあって……、とても怖いです。薬の量を増やしました。昨日の晩御飯が、思い出せません。』  『七月二日。思い出せなくなるまえに、書きたいことがあります。息子の尚彦(なおひこ)のことです。』  そこまで読んで、私は一旦日記を閉じた。  そのさきを読みたくなかった。  (どうせ恨み言を書いているに違いない……)  日記を捨てようかとも考えたが、祖母との約束がどうしても気になった。私は溜め息をつきながら、仕方なく日記を開いた。  『七月二日。思い出せなくなるまえに、書きたいことがあります。息子の尚彦(なおひこ)のことです。尚彦(なおひこ)には、酷いことばかりしました。幼少期に与えた身体的、精神的苦痛は、生涯、尚彦(なおひこ)を苦しめる楔となるでしょう。そのことについて、ずっと謝りたかった。……謝りたい、というのは嘘かもしれません。たぶん、私は許されたかったのです。高校生の尚彦(なおひこ)が、夜のうちに家を出て行ったあの日から、ずっと許されたかった。尚彦(なおひこ)に電話をかけたのも、そのためです。私は、ただ、寂しかった。我儘です。(みにく)いです。尚彦(なおひこ)は許してくれないでしょう。だけど、もし、もし、もう一度だけ、尚彦(なおひこ)と会うことができたのなら……、私のことを認めてくれるのなら……、二人で食事にでも行きたいな、と思います』  日記は、このページ以降白紙となっている。  私は大きく息を吐いて、椅子にもたれかかった。  (……)  今でも、私は母が嫌いだ。  それは間違いない。  しかし……、  もう少し、優しく接することはできたのではないか?  少しぐらい、気遣うことはできたのではないか?  孤独で哀れな母。  一声かけるだけで、救えたのかもしれないのに、  私は……。  ふと、幼少期の記憶が脳裏に蘇った。  それは、ずっと見て見ぬふりをしてきた記憶だ。  癇癪(かんしゃく)を患っていた母だが、常に怒鳴り散らしていたわけではない。機嫌の良い日は、私に絵本を読み聞かせてくれることもあった。  仕事の関係で朝が早い母の事情も知らず、私は何度も読み聞かせをせがんだ。  そんな私の我儘を、母は快く受け入れてくれた。  優しく、  微笑みながら。  私は溜め息をついた。  何度も。  いつしか、溜め息は息切れへと変わり、  涙が出た。  うめき、よろけ、歯ぎしりをして、  頭を抱え、うずくまると、  私は、ついに叫んだ。  言葉にならない叫びだった。  椅子を蹴り飛ばし、本を投げ飛ばすと、  私は机を両手で叩いた。  衝撃で、母の日記が弾み、床に落ちた。  すると、日記の間から何かが飛び出した。  ひらりひらりと宙を舞う一枚の紙きれ。  私は、震える手でそれを持った。  紙きれは、写真だった。  写真には、中学の卒業証書を持ち、ぎこちなく笑う若い私と、穏やかに微笑む母が映っていた。    【完】
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