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 寡黙で薄暗い少年。  子供の頃の私を見た大人たちは、皆、そんな印象を抱いたはず。  その印象は、私の実体とおおよそ乖離(かいり)していない。  母子家庭で育った私は、父親の顔を知らなかった。  母は重度の癇癪(かんしゃく)持ちで、機嫌が悪くない日のほうが珍しいぐらいだった。物心ついた頃には、毎日母に怒鳴られ、叩かれ、涙を流した。  なにをしても怒られる日々。  私は、母がなにに対して怒っているのか、理解できなかった。  なので、私はひたすら謙虚であることに徹した。  私と母は、アパートで二人暮らしをしていたが、母が家にいるときは、部屋の隅でじっと動かず、声も出さず……、息を殺して、恐怖の対象が眠りにつくのを待った。  小学生のときは、当然のように虐められていた。  虐めで最も辛かったのは、虐めが発覚した際、保護者に連絡がいくのだが、学校に呼び出された母に怒られることだった。  なので、なんとか虐められないように、私は上手に立ち回ろうとした。  中学生になると、私は人を笑わせることが得意になった。授業が終わると、クラスメイトが私の机の周りに集まった。常に話題の中心であり続けることで、私は虐めの対象から逃れようとしていた。  笑顔に囲まれた日々を過ごしていた私だが、私自身が心の底から笑ったことは、ほとんどなかったと思う。  ましてや、母に笑顔を見せたことなんて、本当になかった。  ただ、唯一、例外として、私と母の笑顔が一枚の写真におさめられたことがあった。  それは、中学の卒業式の日のこと。  卒業式が終了し、帰宅する際、私の友人である男子中学生が、その保護者と共に話しかけてきたのだ。  いわく、記念撮影をしたいので、カメラを持ってくれとのこと。  私は仕方なくその親子の写真を撮った。  すると、その親子は、「貴方たちの写真を撮りましょう」と言ってきた。  最初は遠慮したのだが、撮影スポットには長蛇の列が出来ていて、後ろがつかえていたので、私と母は仕方なく撮影を行った。  卒業証書を持った私とスーツを着用した母が並んで立ち、笑顔を作ると、シャッターは切られた。  つまり、それが、唯一の例外なのである。
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