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 それから、十年と少しの時が流れた。  十年まえメールを貰ったのを最後に、私と母の交流は途絶えた。しばらく、私はそのことに負い目を感じながら過ごしていたが、数ヶ月も経つと吹っ切ることができた。  相変わらず、私は孤独な日々を送っていた。職場での人付き合いは最小限のものにとどめ、プライベートでは意図的に人と関わらない生活をするように心がけた。  そんなある日、仕事から帰ってきて、ポストを確認すると、そこに祖母からの手紙があった。  私は子供の頃から祖母のことが好きで、よくご飯を食べにいったり、泊まりにいったりしていた。今でも、数ヶ月に一度のペースで祖母の家へ遊びにいっている。  私は椅子に座り、祖母からの手紙を読んだ。 『尚彦(なおひこ)へ。智美(ともみ)の件です。先月ほどから、智美(ともみ)の容態が、急に悪化して、どうしても、介護が必要と、なりました。まともに歩くことも、話すことも、こちらの意図を、理解することも、できないようです。(中略)貴方が、母のことが、嫌いなことは、当然、知っています。ですが、ほかに、介護できる人が、いません。尚彦(なおひこ)に、お願いしても、いいですか』  手紙の内容は、ようするに、母の介護をやってくれ、といったものだった。  母は、数年ほどまえから、若年性アルツハイマー病を患っている。最近までは、症状があるものの、自力で生活する最低限の能力はあり、介護は必要なかったが……。  母の介護について、私は以前から覚悟していた。良い思い出を一切懐古することのできない相手ではあるが、いちおう、育ててくれた恩がある。実際に社会人として働くことで、子育ての大変さは身に染みて理解していた。その点では、僅かではあるが、母に対して感謝の気持ちを抱いている自分がいた。  私は、介護を理由に退職届を出した。一ヶ月の間、引き継ぎと通常業務のために職場に足を運ばなければならなかったが、寛容な上司の好意によって、通常の業務に関しては免除された。  母は小さな一軒家に住んでいた。指定された住所を頼りにやってきた私が、駐車場に車を停めると、家から一人の女性が出てきて、挨拶をしてきた。その人は、祖母の雇った訪問介護員であった。  私は訪問介護員と共に家に入り、母と対面した。車椅子に座っていた母は、ぐったりと項垂(うなだ)れていて、眠っているようにも見えた。声をかけても反応することはないが、体を揺すると、鬱陶しそうに私の手を払い除けた。  二十年ぶりの再開だったが、私は、母を母だとは思えなかった。
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