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母の介護を始めてから数ヶ月が経っていた。
私は、介護に疲れ切っていた。母にご飯を食べさせるところから、排泄物の処理、着替えや体の洗浄、危険行為の防止など、とにかく、四六時中の監視が必要だった。また、突然大声で叫ぶことがあるため、リラックスして趣味の読書をすることができず、家にいる間は、ストレスが溜まる一方だった。
心が折れそうなときは、訪問介護を利用して羽を伸ばした。しかし、私の貯金も、祖母からの経済的支援も、無尽蔵ではない。母が長生きをした場合のことを考え、できるだけ節約する必要がある。
そういった理性的な思考ができるのは、精神的に余裕があるときに限るようで、今日の私は、荒れに荒れていた。
朝、食事の時間中、母に胸を殴られたとき、私の中でなにかが崩壊した。
殴られた瞬間、私はテーブルを蹴り飛ばし、母の髪の毛を掴んだあと、汚い言葉で詰った。
次の瞬間には理性を取り戻すことができたが、私は自分がした行動に驚愕し、酷く落ち込んだ。
この日は、それ以降も、母が自分の思いどおりに動いてくれないとき、私は、つい怒りに任せた行動をしてしまった。
夜になり、なんとか母を寝かしつけてから、私は二階のベランダで煙草を吸った。
ゆらゆらと揺れる煙を眺めてから、私は目を閉じた。
(もう、限界だ)
このままだと、私は母を殺してしまうかもしれない。
いつしか、本気でそう思うようになった。
今日は、ずっと母に怒鳴り散らしていたので、喉が枯れてしまっていた。
のど飴を口の中で転がしながら、私は物思いにふけっていた。
(昔は、逆だったのに)
子供の頃は、母が怒る側で、私が怒られる側だった。
毎日、母に泣かされた。
毎日、母に怯えていた。
しかし、今では、その立場が逆転している。母は私に泣かされ、私に怯えている。
ふつうの親子は、楽しさを共有するのだろう。一緒に出かけたり、食事をしたりして、笑顔を見せ合うはずだ。
しかし、私たち親子は、怒りを押し付けあっている。
悲しむのはいつも片方で、同じ感情を共有することはない。
どこで間違えたのか、と自分に問う。
しかし、答えは返ってこない。
しばらくぼんやりとベランダから夜景を眺めていると、一階から物音がした。
ガタン、ガタン、と何か物が落ちる音。
私は、また母が何かしたのか、と思った。
喫煙の途中だったため、私は、「これを吸い終わったら様子を見に行こう」と考えた。
私はベランダから夜景を眺めていた。
すると、家の目の前にあるT字路で、誰かが物凄い速さで走り去っていく様子が見えた。
その人影は、
右方にある十字路を左折するとき、一度転んだ。
しかし、すぐに立ち上がり、よろけながら走り始め、
ついに私の視界から消えた。
しばらく、何も考えずに喫煙していると、ふと思った。
(さっきの、母さんだったりして)
私は自分の突飛な思いつきに吹き出した。
笑いが収まった後、心に一抹の不安が芽生えた。
私は煙草を灰皿に押し付けて、一階へと向かった。
階段をおり、
寝室に入る。
ベッドの上を確認。
私は目を見開いた。
母の姿がない。
ない……!
寝室から飛び出る。
玄関に向かう。
フローリングの床で滑り、
肩が壁にぶつかった。
玄関の扉は開かれていて、
辺りには靴が散らばっていた。
(母さん!)
私は玄関から飛び出した。
T字路を右折。
全力で走った。
十字路を左折。
しばらく走ると、大通りに出た。
車のライトが眩しい。
辺りを見渡した。
歩行者は私だけ。
私だけ。
肩で息をしていた。
「母さん!」
何度か叫んだが、
反応はない。
私の声は、誰にも届かなかった。
誰にも。
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