1

1/1
前へ
/6ページ
次へ

1

 当時の僕は、文字の読み書きができなかった。  まだ、言葉が存在する、ということをぼんやりと想像している段階である。  とてもではないが、自力で生きていけるような力はない。  そんな状態で、僕は暗い道を歩いていた。  どうして、自分がこんな場所で歩いているのか、そのときの僕はわからなかったし、そもそも、そのことを疑問に思わなかった。そのぐらいの知的レベルである。  ただ、ぼんやりと、いつも自分を守ってくれる母親らしき人物が、誰かと大声で言い争っている記憶があった。  だから、おそらく、そういうことなのかな、と今になって想像している。  しばらく歩くと、遠くからこちらに向かって走ってくる影があった。  僕は、ぼんやりとそれを眺めている。  近づくにつれて、対象の様子が鮮明になった。  舌を出し、息を荒らげているそれは、僕の目の前にやってくると、その場で座った。  どこかで見たことあるな、と僕は思った。  もちろん、言葉でそう思ったのではない。  目の前で座る何かと、似たようなものを、テレビか本で見たことがあるのだ。  数秒ほど考えて、やっと思い出せた。  分厚くて硬い本に、犬の写真が貼られていたのだ。  その犬と、僕の足元で寝転ぶなにかは、似ているように思えた。  僕は、犬の背中に触れた。  犬は、とくに反応をすることもなく、じっと僕を見つめていた。  触るのに飽きた僕は、犬の横を通りすぎ、暗い道を歩いた。  しばらくして、僕は公園に到着した。  公園の中央にある砂場へと向かう。  砂を手ですくい、サラサラと流す。  それを繰り返した。  しばらくすると、足音が聞こえたので、僕は反射的に振り向いた。  すると、そこにはさきほどの犬がいた。  舌を出した状態で、真っ直ぐとこちらを見つめている。  僕は犬に近づき、その体に触れた。  暖かかった。  僕と犬は、ベンチに寄り添うようにして座り、そのまま眠りについた。 
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加