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どっと人々の歓声があちこちであがった。
花火があがり、乾いた空気をパンパンと震わせる。
アンガーの街は久しぶりに活気づいていた。
普段は家の中にひきこもっている老人も、表へ出て港へ帰って来た巨大な船体をふし拝みながら見上げていた。
長年争っていた隣国と決着をつけて主船が帰港したのだ。
戦による重税や過酷な労働を強いられていたアンガーの国民はそこから解放された喜びから、戦勝祭と称して連日御馳走をくらい、歌い踊って勝利をもたらした英雄達の帰還をたたえた。
そんな狂喜の祭もある人物の一言で終わりを告げる。
「聞け! 優秀な選ばれたアンガーのわが民よ!
我々はおろかな隣国エビルに勝利した。我らアンガー無敵艦隊はこの世界で敵はない。
次は海を越えたサッドのきゃつらの領土をも手に入れてみせよう。我らアンガー国がこの世界を支配するのだ」
若いアンガー王は半ば泥酔状態のまま、海を越えた先にある大国にまで攻め入ろう、と国民に向かって得意気にそうバルコニーから演説した。
「なんと!?」
「王は正気か?」
「ただ、酔うての戯れ言ではないのか?」
人々の酔いは一気に醒め、街は不穏なざわめきに包まれた。
王の哄笑とともに、新たな戦役に向けて王命が発布される。
「──愚かな」
そう吐き捨てるように言うと、純白のローブに身を包んだ女はアンガー王城に背を向けた。
「また戦がはじまるぞ──」
「あぁ、いやだ。もう戦は沢山だ……」
人々の呪詛の間を通り抜け、ローブの女──聖女ラフはせわしなく形のよい足を動かす。
その背中からピョコンと飛び出した小さな影が不安そうに言った。
「アイツを止めなくて良いのか? ラフ」
「良い。最初はこの弱国を侵略から守るために協力してやったけど──あの調子にのったバカ王にはもう付き合いきれない。
この泥船に付き合わされる哀れな国民を助けたいと思う聖女を他に探すといいわ──」
彼女は漆黒の長い髪をイライラとかきあげながら答えた。
「……」
「兵も民も疲弊しきっているのもわからない愚かな王は自滅あるのみよ──」
そうですね、と小さな影は曖昧に応じて白いフードに潜り込んだ。
「どこへいく?」
王都の門から外へ出ようとする聖女の背中に門番が声をかけた。
「争いのない場所へ」
美しく、澄んだ赤い瞳が門番に真っ直ぐ向けられる。
「まさか──聖女ラフ様!?」
門番が手にした槍を取り落とした。
「困ります! あなた様に今、出ていかれてしまったら我が国は……!」
「困らないわ。私がここを守るのを当てにするからあの王は争いに出かけるのよ。
私の結界がこの地より無くなれば王も他所の土地へ行くことはないでしょう──」
ラフの言葉が終わらぬうちに、
「お前は何処にも行かせない!」
鋭い声が轟いた。
「ロンサム!」
そこに大剣を構えて立っていたのはアンガー随一の若き将軍ロンサム。
「お前がここの結界を解いたら北の魔の森から魔物が溢れ出し、ここは死の街同然とになるだろう。聖女たるお前にそれが看過できるのか?」
彼は先の戦で死地を共に潜り抜けてきた戦友でもある聖女を見つめた。
「できるわ」
聖女ラフはきっぱりと答えた。
「闇雲に人々を守ることだけが私の仕事ではないもの。時には──守らないことで結果、大勢の人の命を守ることもある。魔物は貴方が守れば防げない相手ではないでしょう?」
固い決意に満ちたラフの言葉にロンサムは構えていた大剣をだらりと下げた。
「お前の決意はわかった。ここからは、俺の個人の──頼みだ。もう一度言う。俺のためにここに残ってくれ……」
ロンサムはラフに向かって熱っぽい視線を向け、右手を差し出した。
「ロンサムのために──? 何よ突然のその恋愛展開。ムリムリムリ!
ロンサム、貴方なら気づいているでしょ?
この世界の本当の厄災はあの王ではない。この私、聖女ラフだってことを……」
差し出された手を払いのけ、ラフは哀しげにロンサムを見返した。
「ラフ──!」
とっさにロンサムは強引に自分の胸の中にラフを引き寄せた。ラフの肩から担いでいた荷物が地面に滑り落ちる。
「違う……お前は厄災なんかじゃない!」
「やめてよ、ロンサム。違わないわ。この国では聖女なんて言われてるけど、隣国イビルで私が悪魔呼ばわりされてるのは知っているでしょ? 」
ラフは必死にロンサムの分厚い胸板を押しやるが、鋼のように鍛えられたその身体はびくともしない。
「お前は──よくやった。あれは……仕方なかった」
ロンサムは更に強く抱きしめながら、ラフの頭をゆっくりと撫でた。もがくラフの身体から力が抜ける。
「……でも、私が怒りにかられてイビルの街を一つ消してしまったことは事実。
仲間を殺された怒りに燃えて、自我を失ってキレまくってしまったせいとはいえ──暴走した怒りは破壊を生み出すだけだわ。戦になればまた、そんなことが必ず起きてしまう。
ねぇ、ロンサム。
私は自分の怒りが怖いの。だからもうここには居るべきではないのよ。だから、離して──」
ゆっくりと言葉を紡ぐラフにロンサムは腕を弛めた。
「怒り、か──」
「ええ。わかったでしょ。お願いだから行かせて──」
ロンサムからすり抜けるとラフは地面に落ちた荷物を拾い上げる。
「なぁ──この間は間に合わなかったが、今度は俺が命をかけてお前の暴走を止める、と言ったら?」
「ムリよ。悪いけど私の力はロンサムじゃ止められない」
「止まるさ。止めてみせる。船の碇のようにお前の怒りが溢れ出る前に止めればよいのだろう?
お前を怒らせないようにすれば──苛々した時は俺を好きに殴ってウサを晴らしてくれ!」
ロンサムがシャツを開いて己の鍛え上げた腹筋をラフの目の前にさらした。
「うきゃぁ! もう、そのごつい筋肉押しつけないでよ! うっとおしい!
別にロンサム殴っても手が痺れるだけだからウサなんて晴れないわよ……! キレてしまう私はそもそも聖女には相応しくないんだからほっといて──あ! あぁぁぁぁぁぁ!!!」
いきなり頭を押さえてラフは叫び出した。
「どうした! ラフ?」
ロンサムが心配そうにのぞきこむ。
「私──思い出した……」
「またか? こないだみたいにキノコ派かタケノコ派かとかいう訳のわからん話ならやめてくれよ……」
戦場でもラフは時々、「前世の記憶」とやらを思い出したと言って騒ぐことがあったため、ロンサムには慣れっこの台詞だったのだ。
「は? 違うわよ。
昔、どこかで聞いたの。
怒りは、不安、恐怖、辛い、疲れた、悲しい、淋しいなどの普通の一時的な感情を下敷きに二次的に発動するもの。
抑えるべきは、一時的な感情が溢れた時、脳内に分泌されるアドレナリン。このアドレナリンは6秒間で体内を巡ると言われている。
だからこの6秒間さえ乗り切ることができれば、怒りの衝動は制御できるのよ。
怒りやイライラを感じた際に、6カウント中にその怒りを解除できれば──人はその衝動から逃れることができる、つまり私の怒りの破壊行動はそれで防げるはず……」
ラフは夢中でこめかみを押さえながら記憶を探った。
「6カウントか──5、4、3、2、1、ファイヤー! って感じだな」
ロンサムが勢いよく天に右手を突き上げてみせた。
「いや、逆にそれだと怒りが燃え上がりそうなんだけど……」
「じゃ、俺がいつでも近くでカウントしてやるよ。船の碇のようにお前の怒りを鎮めるのに使ってくれ!」
「一人で深呼吸するから結構です……」
必死に詰め寄るロンサムにラフはブンブンと首を横にふった。
パチパチパチパチ!
「おめでとうございます」
いきなり拍手が嵐のように巻き起こった。
いつの間にかかなりの数のギャラリーが二人を取り囲んでいる。
二人は往来のど真ん中でクサい三文芝居を繰り広げていたのだ。大声で抱き合ったり喚いたりしていた二人が目立たないわけがない。
門番をはじめ、通行人などが人垣をつくり歓声をあげた。
「ご結婚おめでとうございます」
「はぁぁぁぁ!? どうしてそんな展開になるの!?」
口々に祝福の言葉がかけられる展開にラフが慌てて肘でロンサムをつつくと、
「いやぁ、ありがとう」
ロンサムはラフの隣でデレデレと群衆に向かって満面の笑みを浮かべ、頭をかいていた。
「何がありがとうよっ!」
「いや、このアンガーの港町では昔からプロポーズで相手に自分の碇(いかり)になってくれと言う習慣が昔からあるのだ」
嬉しそうに人差し指を立ててロンサムがウィンクした。
「でも私は断ったじゃないの!」
「ここでは、碇で繋ぎ止めるのではなく──断って相手のことを思い、自由にさせることこそ、プロポーズが成立するという複雑なツンデレ属性があってな──」
「全く意味が不明なんですけど……」
肩を震わせてラフは下を向く。
「感動して震えてるの? いやー、ラフちゃん、可愛いな。というわけで、これからも末永くよろしく──」
ロンサムはラフの腰に手を回してぐいっと引き寄せた。
わぁ! っと観衆がどよめく。
「……チッ!」
幸せな恋人にはあるまじき凶悪な舌打ちがラフの口元から漏れた。
「ロンサム、いい加減にしなさいよ」
聖女ラフの赤い瞳が真紅に燃え上がる。こめかみに血管が浮き出て、全身から妙なオーラが立ち上って見えた。
「わ! よせ! 俺が悪かった! ラフ! 落ち着け!」
「5、4、3、2、1──」
群衆が口々にカウントをはじめる。
ラストカウントの瞬間。
ロンサムがチュッ! とラフの唇をふさいだ。
これで聖女ラフの怒りが解けたどうかは──この物語の読者だけが知っている……。
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