微睡み

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微睡み

アパートの前でタクシーを降りて部屋のドアを開けるといつもの癖で廊下に倒れそうになるが、今日は吸い寄せられるようにベッドまで行き、そこで意識が途切れた。 今日中に使い切れと言われた1万円は、大学に行く時にもタクシーを使って、ランチを少し豪華なものを選べば消化できる。でもこのお金って一体何だろう。帰りの車内で考えていたが答えは出なかった。 外が明るくなり始めた頃自然と目が覚めた。薄暗い部屋でのそりと起き上がりシャワーを浴びるため立ち上がる。郵便物の中に弁護士から父が死亡した事の報告書類が届いていた。DVと幼児性犯罪者の父には接近禁止命令が出ているので直接連絡は取り合えない。 父の死に今さら何の感情も浮かばない。書類を置いたまま浴室の電気を点けて目を覚ますために熱めのシャワーを浴びた。 当麻に借りた服を洗って自分の洗濯物と一緒に乾燥機に放り込む。くるくる回る服の山を裸のままぼんやり見つめていた。乾いた服を取り出して着てみる。 裏毛のついた黒いトレーナー。膝近くまであってこれひとつで暖かい。 洗剤で消えてしまった当麻の匂いを追い求める。洗わなければよかったと思いながら袖を引っぱって頬を包む。当麻に抱きしめられている感覚になりたくて目を閉じた。変態みたいだ。でも絶対父の遺伝じゃない。幼い頃からこっそり兄の服や靴を勝手に着ては当麻に見つかってケンカしていた。その延長みたいなもの。今日はこれを着て大学に行こう。いい事を思いついて手のひらの中にある顔の表情が緩む。 「あ…」 妄想に浮かれていたが片付いていないレポートを思い出して現実に戻った。コーヒーを入れながらノートパソコンを開いて途中まで仕上がっているものを確認する。大学に向かうタクシーの中でもやり続ければ何とか提出期限に間に合いそうだったので晒したままだった素足に自分のジーンズを履いて出かける準備をした。 久しぶりに学生らしい日になりそうだった。生き別れた兄との再会、その兄が殺した因縁の父、その兄と愛しあった夜。ここ2日で起きたことだ。現実を飲み込む時間もなく目まぐるしい事態に振り回される。 「……」 しばらく無になってキーボードを叩く。カタカタと無機質な音が響く中、当麻を求めて体が疼く。 「当麻のバカ…」 知ってしまった当麻の味を体が求めてしまう。だんだん集中出来なくなってきて蒼は恐る恐る自身の熱く膨張したそれに手を伸ばした。 「は…っ、…ぁ……」 自分の声とは思えないいやらしい声が止まらない。当麻の服を着て自分を犯している倒錯的な行為に蒼の動きが大胆になったきた。 「ぁ…、とう…ま……当麻……」 アパートの壁は薄い。蒼は片手で自分の口を塞いで目を閉じた。 「ん…ふ…っ………」 両足を痙攣させて蒼は下着の中の自分の手を汚した。 荒い息をついて頬をテーブルにつける。涙目になっている瞳を何気なくパソコンの画面に向けると、唇をわずかに開いて情欲に溺れた顔をしている自分と目が合った。 僕おかしくなっちゃったのかな。 『頭と体が違う答えをはじき出してもお前は俺の所に戻ってくる』 当麻がそう言っていた。いつだって当麻の言うことは正しい。昔からひとつ上の兄に頼って生きてきた。離れていた時間のほうが長いのに想像以上に当麻の存在が蒼の思考を支配している。 耳元で囁かれた言葉が脳細胞のひとつひとつに浸透していた。その甘い支配が心地よくてもう自分の意思はない。当麻がいれば裸の体を投げ出して彼の欲望のまま弄ばれてもそれを求めてしまうくらい蒼は孤独だった。 久しぶりにお母さんに連絡してみようかな。 事件後兄弟は母親に引き取られることになったが、情緒不安定なふたりは病院や施設を行き来して、同じ時期に蒼と当麻が顔を合わせて生活することはなかった。 入院・更生期間は当麻のほうが長く、普通の生活に戻ったのは蒼が先だった。実の母と二人暮らしになっても両親や事件のことを詳しく聞いたことはない。 僕はもっと家族のことを知りたい。 下着を着替えてジーンズを履き直す。タクシーを呼んで部屋の電気を消した。
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