微睡み

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講義室の外をぼんやり眺める。母の強い希望で進学したが長くて退屈な時間はその選択を後悔させた。高学歴であることにデメリットはないが興味のない学問を詰め込まれるのは苦痛だ。 当麻と再会してからもう将来はないと思った。兄と運命をともにするならその先にあるものは破滅しかない。当麻はそう簡単に捕まらないと豪語していたが日本の警察は優秀で逃げ切れるとは思えない。考えれば考えるほどこの時間が無駄に感じて蒼は深いため息をついた。 憂鬱なまま帰り支度をして大学の門を出る。親しい友人はいない。過去を話さないまま付き合うのはしんどかった。それでも帰り際「そんな薄着で寒くないのか?」と声をかけられた。 「寒い…かな」 慌てて部屋を出たのでコートを着るのを忘れた。その後すぐタクシーに乗ったので寒さを自覚することなく目的地まで着いてしまった。トレーナーの袖をぼんやり見つめているうちに声をかけてきた連中はどこかに消えていた。 バスに乗って駅に向かう。午後の日差しを感じながらオーナーにもらった残りの金額を使い切ろうと思って駅構内をぶらぶら歩いていると後ろから声をかけられた。 「蒼」 びくっとして振り返ると細身のスーツの上にコートを着た全身黒の当麻が立っていた。 「お前そんな格好で寒くないの?」 当麻にまで呆れた顔で言われる。そんな事より白昼堂々こんな所にいる大胆さに驚いて蒼は辺りを警戒した。つけてきている人間はいなさそうだが監視カメラはたくさん設置されている。 「なんでこんな所にいるの?」 大勢の人が行き交う場所でふたりは立ち止まって蒼は上目づかいに当麻を見た。 「お前をストーカーしてきた」 にやりと笑う当麻を見て今度は蒼が呆れた顔をする。洗礼された身のこなしで歩き出した当麻に遅れないようにふらふらと続いた。 「メシ食った?」 「まだ…。これからお店決めようと思って」 「俺も。なんか食ってから買い物行こう。コート買ってやるよ」 弟の寒々しい格好がよほど気になったのか横顔が笑っている。 「それが昨日オーナーに1万もらってさ。あとランチ代くらい残ってるんだけど今日中に使い切れって言われてて」 「ふうん。あぶく銭か汚いカネかな。だったら形に残らないものに使ったほうがいい」 「そうなの?刑事さんからぼったくった時のお金かな。一桁多く取ったとか言ってたから」 「……」 何気ない蒼の言葉に当麻は表情の消えた顔を向けたが、すぐに視線をそらせた。 「だったら供養のために早く使ったほうがいい」 「え?」 「その刑事なら車の爆破に巻き込まれて死んだ」 長いコートの裾をひるがえして当麻が歩いていく。蒼は立ち止まってその場から動けなくなった。 殺人事件を捜査していた刑事。店にやってきたという事は自分も父を殺した容疑者のひとりになっているのだろうか。当麻は幼い頃父を刺した前科があるし、虐待を受けていた蒼も動機があると思われても理解はできる。 蒼の瞳が激しく動く。でもあの時の会話を思い出すと警察はオーナーに疑いを向けていたような口ぶりだった。後から来店した5人組の客も刑事2人が去っていった後警察のやり方に不満を漏らしていた。それを笑いながら受け流していたオーナーだったが。 『僕おっきな花火が大好きなんだよねえ』 オーナーの言葉がよみがえる。 「どうした?ついに寒くて凍ったか?」 立ち止まったままついてこない蒼の元まで当麻が戻ってきた。はじめはからかってきたが顔面蒼白な蒼を見て表情を変えた。 蒼の頭に腕を回していつの間にか涙を流していた顔を隠すように抱きしめる。コートに涙が吸い取られていく。小さく震えながら泣いている蒼の背中を子どもをあやすように当麻は優しく撫でていた。 「温かいものでも食べて落ち着こう。まだ明るいけど酒でも飲むか」 当麻が柔らかい声で語りかけてくる。蒼が小さくうなずくと安心したような気配が腕から伝わった。 疑問に思っていた事の答えが勢いよく降り掛かってきて蒼は受け止めきれず目眩がした。いよいよ自力で立っていられなくなって当麻のコートを掴んだが天と地がわからなくなり世界がぐるぐる回りだして吐き気がした。 意識がどんどん薄れていく。自分の名前を呼ぶ当麻の声が聞こえるがそれに答えたくても言葉が出なかった。
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