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バスを降りて駅に向かう道を歩いていると携帯の着信音が鳴る。ポケットから取り出して画面を見ると母からだった。 「もしもし」 蒼は立ち止まってさり気なく辺りを見回す。先ほど店にいた二人連れとは違う尾行がついていた。 『蒼いまどこにいるの?』 「帰り道。外にいるからよく聞こえないからかけ直していい?」 『今日は週末ね、バイトあるの?』 かけ直すと言っているのに母は一方的に話してくる。急用なんだろうか、少し不安になったが母は仕事が休みだから気紛れで電話してきたのかもしれないが。 「今バイトやめてきたんだ」 少し言いにくかったがいい機会なので報告した。 『そう。時間あるならこれからごはん食べに帰ってこない?』 突然バイトを辞めた事に関して何も言わず呑気な声で帰ってこいと母が言う。仕事が忙しい母はあまり凝った料理なんか作らないし息子が帰ってくるからといってはりきる人間でもない。 何か大事な話でもあるのだろうか。 『当麻が来てるの。久しぶりに顔見せに来たら』 「すぐ行く」 電話を切って駅に向かって走った。電車で2時間もすれば地元に着く。自分に張り付いている尾行はとなりの車両にひとりと少し離れた横の席にいたがどうでもよくなって長く感じる移動時間をただ耐えた。 最寄りの駅で降りて早足で歩くと母が住むマンションが見えてきた。まわりに怪しい人間は見当たらない。当麻には尾行がついていないのか実家だから遠巻きに観察しているのかわからないがとにかく急いで部屋に向かった。 ドアを開けると大きな靴が一足脱いである。蒼もスニーカーを脱いで上がるとキッチンのほうから人の気配がした。 「おかえり。早かったね」 肩まで伸ばしている髪を後ろで結んで珍しくエプロン姿の母がいた。その隣で当麻が料理を手伝っている。蒼に気がつくと笑顔になって電子レンジのほうを向いた。黒いセーターにダボッとした黒のチノパンを履いている当麻。何を着てもかっこいいなと思いながら後ろ姿を眺めた。 「ただいま」 コートをハンガーにかけながらリビングのこたつに潜り込む。テレビが点けっぱなしになっていて後ろから母の明るい声がした。座る前に外の様子を見ておけばよかったと後悔した。実家に帰ってきて気が緩んだ。 「鍋つかみとかないの?」 「ないわよお。普段そんな難しい料理しないもん」 「じゃ、そこのタオルでいいや、取って」 何も知らない母が楽しそうにはしゃいでいる。やっぱり当麻のほうを愛しているんだな。当麻がいるというから帰ってきたけれど露骨に差を見せつけられると居心地が悪い。当麻には親なんかどうでもいいなんて強気で言ったが心のどこかで何かを期待しているんだろう。だから勝手に傷ついている。 「ちょっとよけて」 当麻が平たい大きな皿を運んできた。当麻が作ったのだろう、美味しそうなパエリアだった。この前の鍋といい料理が得意だとは知らなかった。 というか家族のことを何も知らない。 「今夜は冷えそうだな。週末なのにバイトどうしたの?」 缶ビールを持ってきて当麻は蒼のすぐそばに座る。1本を蒼の前に置いてさっそく自分は飲み始めた。 「…辞めた。さっきオーナーに会ってきた」 「そうか」 母は大皿に盛ったサラダと小皿をテーブルに置いてエプロンを脱ぎ蒼たちの前に座った。母はグラスにお茶を入れて持ってきていた。 「大人になって3人揃うの初めてじゃない?いつもすれ違いで全然お兄ちゃんに会えなかったもんね、蒼」 「話は食べながらゆっくりできる。冷めないうちにどーぞ」 当麻は素早く3人分取り分けて母と蒼の前に小皿を並べた。親子の中で食にこだわりがあるのは当麻だけのようだった。 「いただきまーす…」 蒼もビールを飲もうと缶に手を伸ばしてフタを開ける。ごくごくと喉を鳴らして半分くらい飲んでからスプーンを手に取った。 「お酒飲めるようになったの?蒼が飲んでる姿新鮮だわ」 母は大げさに驚いている。息子の姿が高校生の蒼で止まっているんだろう。進学して一人暮らしを始めてからあまり帰って来ていない。 「バーでバイトしてたんだから飲めるよ」 それでも母親の前では特に気どる必要もなく、蒼は家の食卓では初めて見たパエリアを口に運んだ。 「味どう」 当麻が横から聞いてくる。 「おいしいよ」 口いっぱいに頬張ってもぐもぐしていると当麻はほっとしたようでようやく自分も食べ始めた。 「おいしそうに食うね」 「ホントにおいしいもん」 こたつの中で当麻の膝が蒼のふとももに当たっている。意識すると会話が上の空になって母と当麻の雑談が頭に入ってこない。ほろ酔いの蒼はVネックからのぞく当麻の鎖骨をなんとなく見ていた。 「家で飲むと酔うだろう?」 当麻の膝が強めに蒼の太ももを突いて思わず声が出そうになった。 「お母さんは酒飲めないんだっけ?」 ビール缶をゆらゆら振りながら当麻がその手で母のグラスを指差した。 「飲むと寝てしまうから。せっかくあんた達がいるのに寝ちゃったら時間がもったいないでしょ?次いつ会えるかわかんないからねえ」 母の言う通りもう二度と会うことはできないかもしれない。そんな危ない橋を当麻は渡っている。この母がそんな未来を感じているとは思えないが、何気ない言葉が蒼を不安にさせた。
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