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トイレに行くために立ち上がって当麻が廊下に消える。気のせいかその姿を見送る母が悲しそうに見えた。 「私たち夫婦のせいで…、あんた達は地獄を見るはめになったね…」 年老いた母にしんみり言われるとさすがに蒼の心が痛い。 「どうでもいいよ」 なんて答えればいいかわからなくて母を見ないで蒼はぶっきらぼうに答えた。今さら過去を嘆いても現実は変わらない。子どもの前で夫だった男を責める言葉は吐かなかった母だが医者やまわりに止められていたのだろうか、それすらどうでもいい。 「めんどくさいのに引き取ってくれて感謝してるよ」 「自分の子どもたちをそんな風に思ったことはないよ」 「じゃあ何でお父さんと別れたの?」 この話を広げる気はなかったのだがなんとなく口が滑った。 「私が仕事人間だったから。もっと家庭的な女がよかったんだって。そんなの結婚前にわかると思うでしょ?でも結婚してみないとお互いの深い部分ってわからないもんだよ。付き合っている時は良い部分しか見えてないし見せてもなかったから。まあ…、いろんな事が積み重なって…お互い不満が爆発したんだね」 「へえ」 けっこうくだらない理由で簡単に壊れるもんなんだなと蒼は思った。 「当麻にはどうして俺たちを捨てたんだってさんざん言われたけど、お父さん、仕事人間のお前には子どもを任せられないって弁護士入れて争ってね。疲れちゃって開放されたくて向こうの条件に同意して親権は諦めたけど、そのうち音を上げると思ってた。どうせ放り出して泣きついてくるとね」 「そのストレスの発散法が僕を舐め回すことだったみたい」 母を傷つけるつもりはなかったが蒼も腹に溜まる不満はある。悪酔いしたなと思ったが大人の都合の犠牲になったことには変わらない。両親の関係を聞くのも生々しい。やっぱり聞かなきゃよかったなと思いながら平気なふりをするためにビールを飲んだ。 「蒼…」 「何の話してんのー?」 背後から当麻の明るい声がして蒼はほっとした。これ以上辛気臭い話をして暗い気分になりたくない。 「台所覗いたらワインあったんだけど飲んでいい?」 「どうぞ。二人ともお酒強いんだねえ」 「母さんも飲みなよ。酔っ払ったら介抱するから大丈夫」 こたつに入っている母の小さな体が身じろぎする。申し訳なさそうな顔で笑っていた。 「これ何てワイン?バーテンさん」 大きさの違うグラスを3つ持ってきてテーブルに置き、蒼の隣に座ってラベルを近づけてきた。 「普通のテーブルワイン」 「ふーん。ま、酔えりゃなんでもいいや」 当麻はどこからか十徳ナイフを取り出して器用に栓を抜き始めた。物騒なものが出てきて蒼はぎょっとしたが、母は兄弟の会話を目を細めて見つめているだけだった。 こたつの中で当麻の手が蒼のふとももに置かれている。母が愛している当麻が自分を愛している。奇妙な優越感に蒼は浸っていた。親子水入らずの空間も登場人物たちに正常な人間がいない。とうの昔に壊れた家族だった。 「開けちゃったからこいつは飲み干そうぜ」 当麻は母のグラスにどんどん注ぎ出していく。蒼があわててアルコール度数を確認した。 「飲めないって言ってる奴が案外強いんだぜえ。俺たち酒飲み兄弟の遺伝子の元なんだし。ねえ母さん」 「ホントに飲めないから」 母が困った顔をしつつ注がれたワインを飲み干していく。ヘラヘラしている当麻がいちばん酔っているような気がする。ひとり酔っぱらいがいると酔えなくなる。母と目を合わせて諦めの表情で笑った。
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