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眠ってしまった蒼の寝顔はまだ情事の色を残して妖しい色気をまとっている。そう見えるだけかもしれない。だが当麻は煩悩を振り切るように部屋を出てリビングで眠る母を確認してからマンションを後にした。 まだ暗くて寒い夜の道をコートの襟を立てながら歩いているとしばらくして背後に人の気配がした。 「たまには親孝行か?立派になったもんだ」 当麻は歩みを止めてゆっくり後ろを見た。冬の空気が前髪を揺らす。Vネックの隙間から寒さが忍び込んできた。 「こんな時間にご苦労だな刑事さん」 蒼にも尾行がついているくらいだから自分も常に囲まれている。容疑者が尻尾を出すのを待つ仕事なのは理解しつつ、あまり歓迎できない出迎えに当麻の表情は自然と厳しくなった。 「父親が殺されたってのにお前ら兄弟は平然と家族団らんか。すごいな」 5歳のときに事件を起こしてからずっとつきまとってくる刑事。15年前から付かず離れず、いつしか髪に白い筋が目立つ初老の男になった。 今はシラを切り通すしかない。何かほころびがあって本格的に警察が動けば蒼の不安が現実になるがその時はその時だ。 「俺推しの担当か?あんた俺の体目当てなんじゃねーの?」 「最近の若い子はそういうのが好きだな。なんだっけか、BL?おじさんにはわからん世界だ」 チッ、と舌打ちして当麻は近くのコンビニに入る。レジでコーヒーを注文してカップをふたつ受け取り注がれる黒い液体を静かに見ていた。 「父親っていっても弟を犯した性犯罪者だ。そんな奴に親子の情なんて感じてると思う?俺はそこまでお人好しじゃない」 コーヒーが入ったカップを刑事に渡して自分の分を注ぐ。この寒空で外でオッサンとおしゃべりなんて御免だ。当麻はコートを着たままイートインの椅子に座ってテーブルに肘をついて刑事に向き直った。 「それで今頃思い立ったように動き出したわけか」 「あ?」 「親父さんもつくづくナイフに縁があるな。ああいうものはつきまとうんだ、いつまでもな」 「へえ」 肘をついた腕でカップを持って当麻はコーヒーを飲む。まさかこんな時間に自分が出てくるとは思わなかったのか刑事はひとりで仲間はまわりにいない。 「岸本さんずっと外にいたの?」 「そんなことしてたら寒さで死んじゃうよ俺」 「車の中か、向かいの建物の部屋借りて張ってんじゃねえの」 「ちょっとお前が気になってふらっと来てしまっただけだ」 岸本と呼ばれた男は好々爺を装って平気で嘘をつく。そんなわけあるか。気になっただけで何時間こんな寒空の下で俺を監視してたんだよ。老いの執念が当麻には怖く感じる。 「天気が良くて助かった。雨でも降ったらこの身が危険だったな。お前の親父さんが殺さ…」 「だから、親父じゃない。変態だ」 とうとうと話す男を当麻が不機嫌に遮った。 「変態でも、命あるものは尊い。それを守るのが俺たちの仕事だ」 「岸本さん俺を疑ってるの?」 「そりゃまあ、ガキの頃お前が殺しそこねた父親の死体が見つかったんだ。真っ先に怪しむのは変じゃないだろう」 「そんな話を俺に言っていいのかよ」 当麻は駐車場に目を向ける。そこには車も人もいないがらんとした空間が広がっていた。 「単独行動はやめてゆっくりしたら。もうすぐ定年だろう?」 「お前が落ちたらな。そうしたら肩の荷が降りる」 事件を起こした5歳のとき岸本が病院にやってきたのが最初の出会いだった。「何か話したくなったらおじさんに言うんだよ」と言われて15年、何も話していない。 「岸本さんも年なんだからさあ。自分の体を労ったほうがいいんじゃない」 深くなった顔の皺を眺めながら当麻が呆れたようにつぶやく。いつまで生き続けるつもりなんだか、いっそここでぶち殺してやれたらどんなにすっとするか。父に殴られてついた傷跡が消えないように、この男もいつまでも自分にへばりつく痣のように目障りだった。 「まだだ。当麻に罪を償わせるまでは」 罪って何だろう。 「ごちそうさん。うろうろしてないで早く帰れよ」 コーヒー代の小銭を置いて岸本が背を向ける。イメージの当麻が岸本の背中にナイフを突き刺すが、半透明な存在はすぐに消えて岸本は自動ドアをくぐって出ていった。 父を殺したあの夜、芽依に感想を聞かれたが特に何の感慨もなかった。許しかけた父の醜い根性を再確認しただけの後味の悪い結末。 どうして執拗に芽依が自分を煽ったのか、人の人生かき混ぜて楽しむのがあの女の趣味なら相当頭のネジが歪んでいる。 俺より先に街をうろつく快楽殺人者たちを片っ端から捕まえてこいよ、俺にかまっている間に新しい犠牲者が出…。 そこまで考えてなんとなく芽依と工藤の顔が浮かんだ。
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