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月まで届くように繁華街のビルは明るい光を放ってそびえ立っている。 不夜城の街は昼間のように明るく、道行く人たちは酒が入って楽しそうに歩いている。だがそれは偽りの笑顔が多い。心に闇がない人間がこんな街に来るものか。寂しい人たちがふらふらと吸い寄せられてくる街。そこに金と欲望が渦巻いている。 サイズが合っていない大きなダッフルコートの下にスーツを着て肩掛けカバンをぶら下げて工藤が歩いていく。服のセンスが皆無なのは自覚しているのでコーディネートを気にしなくていい黒い服ばかり着ている。工藤は毎日自分が経営している複数の店舗に顔を出すのが日課だった。 「お疲れ~、どう?」 重厚なドアを開けると間接照明に店内が浮かぶ。ビルの2階にあるこのバーを任せている若い青年は髪を7:3に分けてベストに蝶ネクタイをしている真面目が服を着ているような人物だった。 「お疲れ様ですオーナー。それが…」 彼の顔が曇っている。その視線を追っていくとカウンターの端に座って伝票を掴んでぶつぶつひとり言を言っている安いスーツを着た中年の男が座っていた。 「あの方が料金が高いとおっしゃるので伝票をお見せすると警察を呼ぶと言ってあそこから動かなくて…」 青年に最後まで言わせず工藤はにこやかな笑顔を浮かべてその男に近づいた。 「いらっしゃいませ。お客様何か不都合なことがありましたか?」 「誰だお前」 「オーナーの工藤です」 酔っ払った男がぶしつけな視線で工藤を見る。少年のような風貌の男が「オーナー」には見えないのだろう。そんな目で見られるのは慣れている。名刺を渡すと男は一瞥してから床に捨てた。 「この店ぼったくりか?いくら何でも高いだろう」 突きつけられた伝票を見るとカクテル数杯、チャージ料がついているが適正価格だ。そもそも違法営業などしていない。店員が弱そうなのを見て因縁ふっかけてあわよくば安く済まそうという輩だと工藤は判断した。昔はタチの悪いチンピラがこんな風に絡んできたが最近は酒癖の悪い普通の一般人が味をしめてやらかしてくる。 「ご納得いただけないようでしたらお代は結構です」 いつもなら慇懃に退店願うが、今夜は工藤の機嫌が悪かった。 「よかったら1軒つきあってくれませんか?お詫びをかねてご馳走しますよ」 「ああ?」 血走った目で男は工藤を睨むが悪い気はしていないようだった。飲み代をタダに出来てさらに酒をおごってくれるという。今夜はツイていると下品な笑みで顔を歪めて男は工藤に連れられて店を出た。 エレベーターに乗る。このビルは古すぎて防犯カメラがない。何度か指導は入ったがビルの所有者は設置費用を出さなかった。各店舗の経営者たちも都合が悪くなったら引き払えばいい、それくらいの感覚でこの街では珍しくない。 いい気分で男は工藤についていく。正常な判断力があったら途中でおかしいと気がついただろう。そこはビルの外にある非常階段だった。 「…なんだここ。こんな所に店なんかあるのか」 おぼつかない足取りで手摺りから身を乗り出して下を見る。その高さに酔いが覚めた。 「お客様、このビルなんて呼ばれているかご存知ですか?」 背後からの声にふり返ると、少年のような男がにっこり笑って立っている。 「飛び降りの名所です」 工藤は酔っ払いの足を両手で掬った。半分以上外に乗り出していた男の体は簡単に宙を舞いあっという間に視界から消えた。 「タダより怖いものはないねえ」 上機嫌になって工藤はその場を後にする。顔には子どもが小動物を握りつぶして殺したときのような無邪気な笑みが浮かんでいた。 ビルの外に出ると血溜まりに潰れた男の死体が転がっていた。多少人だかりが出来ていたが見慣れた光景に街の人間は無表情に通り過ぎていく。 規制線が張られて営業出来なくなった店の従業員たちが締め出されて路上で愚痴を言っている。それは申し訳なく思いながら工藤は鴉巣に向かった。 蒼が店を辞めて次の店員が決まるまで自分が店に入る。面接に来たときからかわいい子だなあ、ずっといて欲しいと思っていたのに芽依の知り合いの男の弟だと知って悲しくなった。客も従業員も、夜の明かりに集ってくる人間には影がある。蒼はそんなに甘くない、濃い闇を抱えていた。それを見抜けなかった自分に苛立ったが、わかったとしても受け入れただろう。 あの兄に関わっていたら泥沼に落ちるだろうなと思いながら工藤は鴉巣のドアを開けた。真っ暗な店内はきのうの臭いを残して空気が淀んでいた。 「ちょっと早かったかな」 工藤が声のほうに目を向けると初老の男性が立っていた。 「あれ?珍しいですね岸本さん。まだ店内温まってないですけどいいですか?どうぞ~」 少年犯罪の担当歴が長い、自分も昔世話になった刑事がひょっこりやってきた。 「最近この店には毎日いるらしいじゃないか」 「前に任せてた子が突然辞めちゃったんですよお。僕がダラダラ働かなかったから愛想つかされたかな」 「俺が担当した子が更生してまっとうに生きていってくれる事が一番嬉しいよ」 岸本がトレンチコートを脱いで隣の椅子にかけて座る。お前地獄を生きたことないだろ、工藤は心の中で毒づいた。
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