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「こっちに顔向けて」 当麻は雑に湿布を貼られて余計痛そうだった。 「蒼はちょっと話がある」 リビングに当麻を放置したまま父は蒼の腕を掴んで引きずるように自分の寝室に連れ込んだ。 「当麻は何か言ってたか?」 蒼は黙って首を横にふる。子どもを殴っておいて全く心配していない父を不審に思いながらそれでもまだ親の事は信じていた。親が自分を捨てるはずがないと根拠のない自信があったが、当麻は母親に捨てられたと言っていたしあてにはならない。 暗い湖の底から巨大な空気の塊が湧き上がるように不安が襲ってくる。 「なに…なにを信じたらいいの?お母さんも…いなくなったし、お父さんも」 手加減なしに当麻を殴った大人を目の前にして体が震えだす。 「お父さんも…僕たちを捨てるの…?」 「やっぱり当麻が何か言ったな」 わざとらしいため息をついて父親は蒼の体をベッドに放り投げる。父は自分のした事が当麻にバレているのを知っている。あの夜と同じシチュエーションに逃げ出したくなったが、上から体を押さえつけられて動けない。 「いい子にしていたら捨てないよ。親だって人間だ。可愛いほうに目が行ってしまう。蒼は俺に愛されていればいいんだ」 言い方は違うが当麻と同じことを言っている。 「どうして僕だけ…」 戸惑っているうちにパジャマを脱がされて体中舐め回された。 「ちがう…っ!こんなの……!」 蠢く舌の感触が気持ち悪い。これが愛ならいらない。 「何が?」 さっき子どもを殴ったその手が今度は自分の体を這っている。気持ちが悪くて吐きそうになった。 「イヤだ!当麻たすけて!!当麻っ!!!」 助けを求めて蒼が叫んだ時、音もなく父の寝室のドアが開いて小さな影が見えた。 「…当麻?」 父親が訝しげに自分の子どもを見る。まだ幼いはずの長男はリミッターが外れた恐ろしい笑顔で父を睨んでいた。 目線を外さず父の元まで歩いてくる。半裸の蒼には一瞥もくれず息子を犯す父親をまっすぐ見てベッドの縁に辿り着いた時、笑顔が一瞬真顔になった。 ヒュ、と笛のような音がした。 膝立ち状態だった父親の体が綺麗な赤い血を吹き出してベッドから落ちた。 次に蒼が目にした光景は、台所にある果物ナイフを突き出して返り血で真っ赤に染まった当麻の姿だった。 「だいじょうぶだよ蒼」 体を血に染めて、片方の口角を歪めて笑う当麻を、不思議と怖いとは感じなかった。それより下で赤い泡をふいてガタガタ動いている父親のほうが恐怖に感じた。 「連絡したから大丈夫」 くるくると器用にナイフを回しながら当麻がよくわからない事を言って笑っている。 「これから話のわかる大人が来るからお前は大丈夫だ」 「いやだ…当麻は?一緒にいるんでしょ?」 蒼の言葉に当麻は目を細めて困ったような顔をしていた。 玄関が開く音がしてたくさんの大人たちが狭い部屋になだれ込んできた。その波に飲まれて当麻が見え隠れしていたがやがて消えた。 「当麻!!当麻あ!!!」 制服を着ている大人たちに阻まれながら蒼は当麻の名前を絶叫し続けた。 担架に乗せられて運ばれていく父親、救急隊員と警察はなんとなくわかったがあとの人間はわからなかった。ただ自分たち兄弟を引き裂く役目の大人だと思っていた。全て敵だと思った。 「…!」 廊下で寝ていた蒼が目を覚ました。 「夢…当麻…」 寒いはずなのに全身嫌な汗をかいている。やけに現実的な夢を見た。いや夢というよりは過去の記憶を脳が勝手に巻き戻しただけで気分が悪くなる。 あの時わからなかった事は大人になるにつれて少しずつ理解した。父が変態だった事、当麻がそんな父の玩具になっていた自分を救うために年齢を計算して一芝居うったこと、当麻が望んでいた母親との再会、全ての現実が自分たちに優しくなかった事。 そして今姿を現した当麻が次にする事は、生かしておいた父へとどめを刺す。それが兄の生きる理由だからだ。 蒼は重い体を狭い廊下の壁に立て掛けた。自分が自分でない気がしてなにもない白い壁を眺めながらしばらくぼんやりしていた。
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