獲物

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「うぎゃあ…!!」 情けない悲鳴を上げて稲川は頬を抑えながらごろごろ転がる。 どれだけ大声を上げても雨が音を吸ってくれる。それに無人の店舗だらけの寂れた路地に入ってくる人間はいない。 「さすが人を殺すためのナイフは切れ味が違うなあ」 自分が握っているナイフをまじまじと見つめて当麻は満足げに笑っている。 芽依が懐中電灯で稲川を照らす。スポットライトのように暗闇に浮かび上がる姿はカエルのように無様で、当麻の笑みが鋭くなる。 ガッ、と鈍い音が響く。当麻が父親の顎を蹴り上げた。その衝動で仰向けに倒れた体に馬乗りになり目の前にナイフをかざす。 「た…助けてくれ…」 前髪を掴んで固定してナイフの刃を父の口に突き刺して中をえぐった。 「命乞いしなかったら助けてやろうと思ったのに」 「が…っあ…ああ!!」 ぐちゃぐちゃと肉をこねる音がする。喉まで突き抜けていないので父の口から低い悲鳴と赤い肉が吐き出される。いくら雨が流しても生臭さが漂い始めて自分の臭いに父親は胃の中のものを吐き出した。 「去勢したほうもいいか?ああ!?」 白い骨が見える口からナイフを抜いて刃先を父親の股間に向けた。 「入れてない!触ったけどガキにこんなのつっ込めねえよ!触って舐めただめ…っが…!」 「下品な事言ってんな!蒼はお前に犯されてどんな気持ちだったと思ってるんだよ!!」 「気持ちよさそうだったぞ!?」 「…お前救いようのないバカだな……」 怒りの感情を顔に浮かべていた当麻が、呆れたように無表情になり、掴んでいた前髪を放して握ったナイフをそのまま下に振り下ろした。 「お…げっ……」 眼球が飛び出さんばかりに目をひん剥いて父親は奇妙な声を上げてぷるぷる体を震わせた。 「こんな粗チン母さんだって満足させられねえよ。だから捨てられるんだザマア」 ぐりぐりとかき回すように深く刺していく。声が出ないのか父はひょっとこのような顔をして半分切られた舌を犬のように出していた。 コツコツとヒールの足音を立てて芽依が近づいてくる。懐中電灯の明かりを稲川の顔に向けて半分そげ落とされた肉塊の顔を覗き込んで笑った。 「このショタコン変態パパ、性犯罪者は死ね」 ライトの明かりが消える。 重い雨雲の空に父の最期の断末魔が響いた。 動かなくなった父の体から起き上がって当麻は自分の顔に飛び散った血を手の甲で拭う。服についた返り血も雨でだんだん滲んでいき、わからない程度になるまでしばらく雨に濡れていた。 「これでいいの?」 当麻の何の感情も読めない顔を見ながら芽依が問いかける。 「案外…何も感じないな……」 「それでいいのよ」 芽依は立ちすくんでいる当麻にゆっくり腕を回して抱きしめた。 地下にある鴉巣の店内には外の喧騒が聞こえにくい。 雨が降っているのは知っているがどれくらいの量なのかはわからない。豪雨の時たまに雨水が地下のほうに流れ込んでくるので蒼は時々ドアを開けて店の前の階段を確認した。 「やっばいかなこれ…」 土嚢を積んで多少防ぐことも出来るがそうなったら店を閉めて避難する。客もいないし店を閉めようと思ってオーナーに電話しようとした時上のほうで人の気配がした。 「…当麻……」 びしょ濡れで現れた兄を見て蒼は動けなくなる。 大量に水を吸った黒いパーカーを重そうに着て当麻は何も言わずつらそうに壁にもたれていた。 兄から漂う血の臭いで蒼は全てを理解する。ついに父を殺してしまったんだ。何故かわからないけれどそう確信した。 「当麻…当麻……」 言いたい事はたくさんあるのに言葉が出てこない。兄の名前を呼びながら濡れて冷たい体にしがみついてすすり泣く。すがるように抱きついてくる蒼に答えるように当麻もそっと弟の体に腕を回した。 もう大人の都合に振り回されるのはイヤだ。 僕たちは、お互いがいればそれでいいんだ。
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