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直後、ゆっくりと開かれる扉の音に、走りながら振り返る。
何本もの黒い筋の渦巻いた人影が、誰かを探すように左右を覗っている。
はっきりと捉えたその姿は、長い間眠りこけていた俺の本能が一瞬で跳ね起きる程の恐怖を纏っていた。
正面へ向き直る。同時に建物の陰から飛び出してきた歩行者とぶつかり、俺は地面へ弾き飛ばされる。
まるで両足が蠟燭にでもなったように力が入らなかった。
「大丈夫?」という呼びかけに愕然とする。
ぶつかった相手は女性だった。それなのに、地面に転がったのは俺の方だった。
一体何が起こっているんだとパニックになる。が、覗き込んできた女性の顔を見て、一目散に逃げ出す。
後ろから「なによ!」と叫ぶ女性の声が聞こえる。
だが、それどころではなかった。
女性の顔はあの影と同じで、黒く渦巻いていた。
いや、とすれ違う人を見て気づく。
視界にいる全員がそうだった。
居酒屋の制服を着た呼び込みの男性、手を繋いで歩いてくるカップル、携帯電話の画面を見ながら信号待ちをする女子高生――どいつもこいつも顔が黒く渦巻いている。
思わず自分の顔に手を触れる。
目、耳、鼻――それらは確かにそこにある……はずだった。
交差点が近づいてくる。赤信号だが車は来ていない。
「渡れ!」という意識の叫びに従い、片側二車線の道路に足を踏み入れる。
手前の車線は抜けた。が、奥の車線に入った所で足がもつれ、地面に倒れ込む。
クラクションの音と共にヘッドライトが飛び込んでくる。
悲鳴が聞こえた一瞬、全身に力を込め、這うようにして前へと進む。
ブレーキ音と「危ねえだろ、馬鹿野郎!」という運転手の怒声に、そんなことわかってるよ、と心の中で呟きながら渡りきった所で、俺は再び地面に倒れ込んだ。
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