【天神編】10.冴えてるけれど、その契約は『普通』なのか?

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 今泉は飲食店やファッションビルが入った雑居ビルと古い寺院、それに古い大きな屋敷が混在していて独特の雰囲気がある一角だ。  離合(すれ違い)もできない上に歩行者も多い裏路地でも、無駄なハンドル捌きなしにすいすい運転できるのはすごい。 「こんなところ運転できるんですね……」 「慣れだよ。離合の暗黙の了解を知ってたらそう難しくはない」 「いやいや……私だったらここまでで車の角全部取れてますよ」 「なぁに言ってんだ」  篠崎さんは笑う。 「ま、慣れない運転でこの辺に来るのは、あまりお勧めしねえな」  確かに天神まで車でくることは、香椎育ちの私でも滅多にない。営業車を回す人でもちょっと遠慮する場所だ。  篠崎さんは細い道を何度も曲がった末、小さな駐車場の隅に車を停める。  車を降りると彼は、同じ駐車場に生えた老木の片隅に向かう。そこにはよく見なければ気づかないような、百葉箱の三分の一ほどの大きさの小さな社があった。 「楓。ここで二礼二拍手一礼な」 「はい」  言われるままに並んで頭を下げ、手を叩く。するとめまいが起こったようにぐるりと視界が反転する。 「っ!?」  気がつけば、目の前に雑居ビルが出現していた。 「え……え?」 「許可されたあやかししか入れない社屋だ。2階だ」 「え、あ、はい……」  一階には昭和レトロからそのまま持ち出したような、飴色の窓ガラスが嵌められた古風なカフェ。そしてスタスタと上がっていく篠崎さんについていくように登っていくと、2階にはこじんまりとした会社事務所があった。  篠崎さんが鍵を開ける。どこにでもあるような、雑居ビルに入った小綺麗なオフィスだ。机は3、4つほど、観葉植物や空気清浄機、デスクトップPCにプリンター。ファイルボックスが整頓された棚。高い場所には神棚と榊まで置いてある。 「びっくりするほど普通の会社ですね……」 「普通の会社だって言ってんだろ」  篠崎さんはそれから、私に簡単に会社の説明をしてくれた。  私の仕事は移住や就職などの相談をしたいあやかしの窓口担当。ヒアリングして困りごとを把握したり、相手にぴったりのお仕事やお住まいといった解決プランをご提案するお仕事だ。  しかし最初はまだあやかしにもお仕事にも慣れていない。最初は既に篠崎さんがお世話をした既存顧客さんへのご挨拶や対応の仕事から始めることになるらしい。  PCの前に座った私に、篠崎さんが隣に立って情報の見方などを教えてくれた。  さらさらとした髪が肩を滑って、フカフカの耳がふわふわと揺れる。なんだかいい匂いがして集中できないのを、奥歯を噛み締めて堪える。篠崎さんが綺麗すぎるからよくない。 「顧客情報や求人情報、企業情報は、今は全部うちの事務担当がやってくれてる。彼女の仕事が多すぎるから、手が空いてる時は手伝ってやって欲しい」 「承知いたしました」 「……まあ、今日はそう難しい話はやめよう。せっかくの日曜日だしな」  篠崎さんはPCの電源を落として立ち上がる。私も合わせて立ち上がると、彼はあらためて、私に向き直った。金色の双眸に射抜かれ、どきりとする。 「……そろそろ応急処置しとくか」 「はい」 「んじゃ、少し大人しくしていてくれ」  篠崎さんはそう言うと、私の頬へと手を伸ばす。そして顎を持ち上げるとーーじっと、私の瞳を見つめた。  射抜くような金色の輝きが。まるでぎらぎらと、夏の夕日のように輝く。  綺麗。思った瞬間、篠崎さんの金髪がふわ、と風をはらんで長く伸び、背中を覆うように広がる。  尻尾が輝きを纏って大きくなる。肌がまるで淡く発光しているかのように輝きを帯びている。  あまりの美しさに言葉を失っていると、次の瞬間私は口付けられていた。
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