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「篠崎社長」
「社長なんて言わなくていいぜ」
「篠崎さん」
「ああ」
「説明してください」
「いいぜ、どうした」
「私は今冷静さを欠いています」
「なんだ」
私は叫んだ。
「私、ファーストキスだったんですよ!?」
「はー?」
篠崎さんは一瞬目をぱちくりと瞠るとーーなんだそんなことかと言わんばかりに、尻尾をぱた、と揺らして呆れた声を出した。
「大学で一人や二人、男作ってなかったのかよ」
「出来なかったんですよ!!!! ものの見事に!!!!」
「若いくせにもったいねえ。盛ってる盛りのくせに」
「あの! 私が通ったのは! かなり真面目な大学です!!!!!!」
「……じゃあ、楓の初めてを奪っちまった代わり」
篠崎さんが近づいてきて、再び私の顎を捉える。
顔を上を向けられ、先程のキスを思い出し、私はびくりと固まった。
「俺もよこしてやるよ。何がいい」
私は3秒考えた。
「…………現金」
「それ以外で。それだと、俺が金でキスを買ったことになっちまうだろ」
「それはなんか嫌ですね」
「だろ?」
それもそうだ。
「じゃあ、もふもふ」
「は?」
「唇を奪ったんですから、私も篠崎さんに体で払ってもらいます。私が好きなだけ、好きなときに、お耳と尻尾触らせてください。どうでしょうか!?」
「なんだそりゃ……構わないぜ」
「やったー!」
「優しく撫でろよ。繊細なんだから」
篠崎さんは自分の尻尾を手に取り、撫でながら言う。その流し目と微笑む唇に、先程のキスを思い出してぞくりとする。ここで綺麗だとか、かっこいいとか思ったら負けだ。流される。私は対抗して胸を張った。
「私の唇だって繊細でデリケートです! 落ちないリップ系の口紅をつけると肌荒れするくらいには!」
「あっそ」
そこは、軽く聞き流さないでほしい。文句を言おうとした私に篠崎さんはさらにとんでもないことを突きつけた。
「ところで霊力は、定期的に吸わないといけないからな?」
「は?」
「そりゃそうだろ。楓は温泉が湧き出るように無尽蔵に霊力が噴き出してんだから」
「な……な………」
尻尾をゆらゆら、さっさとオフィスを後にした篠崎さんは、ドアの前で鍵をチャラチャラと鳴らす。
「出るぞ」
「あの、キス以外の方法ってないんですか?」
「ねえんだよな、それが。他にあったら、こんなこと誰がするか」
「誰がするか、って酷くないですか!?」
彼は肩をすくめた。
「その代わり責任持って守ってやるよ。そのダダ漏れの霊力がなんとかなるまでは」
守ってやると言われるのは心強い。
とてもありがたいし、実際篠崎さんはとても優しくて親切だ。社員として頑張って働いて、早く彼に恩返ししたいと思う。
けれどキスは。キスはどうしよう。業務とは違うくない?
「つまり、契約恋人、ってやつですか……?」
「なんだそれ。パパ活?」
「発想がおじさんですよ」
「じゃあなんだよ」
篠崎さんが怪訝な顔をする。
私も正直、時々読んでる漫画でしか知らない言葉だけど。
「なんか…なんかのお互いの利害の一致で、恋人じゃないのに恋人っぽい関係になることです」
そして大抵、すごいいやらしい関係になる。
私にとってはキスと引き換えに守られるなんて、信じられないくらい淫らだ。だからこれは契約恋人のようなもの、かもしれない。
「利害の一致、って意味じゃあそれなのかもな」
ファーストキスとして良いシチュエーションだったのは確かだけど、まだ、その、混乱しかない。だって私篠崎さんと付き合ってる訳でも、篠崎さんに好かれてる訳でもないのに。
「おーい。楓」
「篠崎さん」
「ん?」
「……夕飯、ご馳走してくださるっておっしゃいましたよね?」
低い声で問いかける私に、篠崎さんは目を細めて苦笑う。
「ブランド牛とかやめてくれよ」
「川副さんの屋台の、おうどんが……また食べたいです……」
「安上がりで可愛いな、お前」
こうして。私は篠崎さんの元で働くことになったのだった。
普通って。普通ってなんだ。
私はまだ当分、自分の中の「普通」の落とし所を探す日々が続きそうだ。
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