【糸島編】9.猫のスリスリと不穏な影。

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【糸島編】9.猫のスリスリと不穏な影。

 雫紅さんを見送った後の私は、昼寝で異常なくらいにスッキリしていた。  霊力を吸ったから、霊力が増えた分、篠崎さんにまた吸われてしまうのかとヒヤヒヤしていたが、意外にも篠崎さんはそのまま帰宅を許してくれた。 「大して溜まってないから安心しろ。つか、霊力が強いだけの素人が行き当たりばったりで霊力吸っても、そりゃ大した量は吸えねえよ」 「そんなものなんですか……?」  戸惑う私に、篠崎さんは目を眇めて笑んで見せる。 「なんだ? して欲しかったのか?」 「失礼します!!!! お疲れ様でした!!!!」  音速でタイムカードを切った私は退勤後、息切れするまで今泉を駆けた。  地下街に入り、ゼエハアと息をする。 「……べ、別に違うし……キスして欲しかったわけじゃないし……」  私は気を取り直し、ドラッグストアと100円均一でちょっとした日用品の買い物を済ませる。  以前は人混みに入ると色々勘が冴えすぎてちょっと気持ち悪くなることもあったのだけれど、篠崎さんに吸われてからは人混みが随分と平気になった。   「無理をしてたんだな、私……」  人混みが苦手なのも、霊力が影響していたなんて知らなかった。  再び地下から地上に出ると、紫に染まった夜空の下、これから飲みに行く人、帰宅途中の人々が溢れていた。  警固公園には既にこれから遊びに繰り出す学生たちの姿が見える。  信号待ちでSNSを一通りくまなくチェックした私は、天神駅の怪しいニュースが出回ってなくてホッとした。 『ーー怪奇! 白昼堂々出現! 怪しい黒髪美少女とゾンビィと化した男たち!!!』  みたいなニュースになってたら、福岡天神のあやかしの皆さんに多大なるご迷惑をおかけするところだった。 「あ、ちょうどお昼にゲリラ豪雨があったんだ」  代わりに見つけた情報は、お昼に天神地区で大規模な通り雨があったことだった。そういえば、私が今立っている路面も濡れている。   ーー雨。  そして人間の記憶に残らない昼のトラブル。 「もしかしてこれ、篠崎さんの……」 「にゃあ」  その時。背後から低く囁かれ、私はびくり、とスマートフォンを取りこぼす。  落とす前に拾い上げてくれたのは、初夏にはちょっと暑苦しいくらいの黒いスーツを涼しげに着こなす夜さんだ。 「びっくりしたぁ。夜さんも帰り? お疲れ様」  私の言葉には返事をせず、彼はくんくんと空を見上げて匂いを嗅ぐ。 「雨の匂いが狐くさい。雨は、篠崎社長が降らせたのだと思う」 「すごいね、わかるんだ」 「狐の匂いはすぐわかる。臭いから」 「……もしかして、あんまり仲良くない?」 「別に」  そういえば入社後すぐの研修で、篠崎さんの霊力について教えてもらった時、ちらっと聞いた気がする。通り雨を降らせることで一定の範囲に居る人々の記憶を操作することができると。  天気予報にも出ないような突然の『狐の嫁入り』は、霊狐が降らせていることも多い、と。 「だからSNSにあやかしの事件が書き込まれてないのね……」  その時、信号が青になる。  私と夜さんは二人並んで、喧騒から離れていくように春吉のアパートの方へと向かっていく。  夜さんは美猫(いけめん)だ。けれど周りの視線が一斉に浴びせられるタイプの美男子な篠崎さんと違って、夜さんは、あまり人目を引かない。  細身でつるりとした和顔、身長も低くはないけど高すぎでもない。夜さんは静かな魅力だ。  ただ静かな魅力とは言えど、パッと見で目立つ美形というだけではないだけで。彼の整った容姿に気づいた人は、ギョッとした顔で彼を見つめ、何度も何度も振り返ってはn度見したりする。  そんな彼の頭に猫耳がぴょこっとしてて、ぴんとした二股の尻尾がスーツのセンターベンツから出ているのを見ている人は、多分いないだろうけど。 「美形に囲まれてすぎて、なんだか最近自分を見るとげんなりするようになってきたのよね……」 「楓殿」 「ん、何?」
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