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挿話・四〇〇年の約束
筑紫野を駆ける雄の霊狐。
彼の主人は博多で戦乱に巻き込まれた、歩き巫女集団の遺児だった。
彼女の名前を仮に某巫女としよう。
高い霊力を持つ某巫女を拾ったのは、筑前を守護する立花山城・城督の戸次道雪だった。
荼枳尼天そして稲荷神を厚く信仰し、戦場において霊狐使役に長けた彼は、某巫女を一人娘・誾千代姫を守る狐遣いの侍女として鍛えあげた。
誾千代姫より僅かに年上だった彼女は幼くして見事な霊狐遣いとなり、誾千代姫が姫城督として立花山城を譲られて以降、生涯命を賭して誾千代姫に奉仕した。
筑紫野を翔ける雄の霊狐。
彼はその幼き某巫女と主従を結んだ霊狐だった。
某巫女と狐は主従を超えて共に成長し、仲睦まじい兄妹のように成長した。
誾千代姫の元には何匹もの霊狐が仕えていた。
その霊狐たちは、その後、稲荷神の善き神使として霊験あらたかな逸話を齎した。
しかし。
立花にまつわる稲荷信仰の、どの逸話にも、某巫女の名も霊狐の名も残されていない。
ーーそれは霊狐が若い雄狐だったことに起因する。
天正年間、豊臣秀吉によって行われた九州平定の結果、立花家は筑前立花山城から遥か南、筑後柳川城への転封が命ぜられた。
誾千代姫は城督の座を譲った婿と共に、筑後柳川城へと居を移すことになった。
当初は夫婦で柳川城内に暮らしていたが、誾千代姫の持つ父譲りの強大な霊力が新たな問題を生んだ。
柳川城は元々、蒲池氏が築城した難攻不落の名城。
蒲池氏は九州古代より続く旧い血を継ぐ一族。
柳川城は敵を寄せ付けぬ建築技術もさることながら、旧き霊力を駆使した結界の強固な城でもあった。
その結界は柳川城主が蒲池氏から龍造寺氏へと移った後、龍造寺の術者によって更に手を加えられ、より戦に特化した形に再構築された。
柳川城が、どれほどまで難攻不落の城だったか。
それは誾千代姫の父、猛将戸次道雪でさえ生前、柳川城を攻略できなかった程の強固さだった。
そのようなーー対戸次道雪の結界が張り巡らされた柳川城。
実娘誾千代姫が入城すればどうなるか、火の目をみるより明らかだ。
柳川城に入城後。
誾千代姫は日を追うごとに食欲を失い疲弊し、更には夫の朝鮮出兵の心労も重なり痩せ細ってしまった。
彼女は命を守るため、城より南方に位置する宮永に住まいを移すことにした。
しかし。その時問題になったのが、女ばかりの宮永の館に、見目麗しい雄の霊狐が住まうことである。
霊狐にとって誾千代姫は大切な姫だった。
その情はあくまで幼少期から仕える姫に対する厚い忠義であり、心からの敬愛だった。
誾千代姫は当時、婿として迎えた夫との間に未だ子供を授かることができないでいた。
父の代から仕える家臣たちと、新たに夫の代から仕える家臣たち。
その二つを纏めるためになくてはならない待望の子供が、何の因果か全く生まれる兆しが見られなかった。
高橋家からの入婿・宗茂は、実家の仲睦まじい両親の間に生まれた男子で、人が良すぎるほど情愛の深い男だった。決して、誾千代姫との夫婦仲に問題がある訳ではなかった。
しかし不幸にも、朝鮮出兵の影響で夫は城を空ける日が増えーーますます待望の子供が望めない状況が続いた。
そんな夫婦の現状を前提とした状態で、誾千代姫が城を離れ新居を建てて住まい、姫と親しい美麗な雄狐を侍らせたとすれば。
人は皆、若き城主夫婦の関係を、何と噂するだろうか。
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狐色に実った稲穂と青々とした空が美しい秋風の季節だった。
大切な姫の悪評になりたくないと、雄の霊狐は遂に柳川城から去ることを決意した。
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