1:文学王妃は、名作を官能的にオマージュしたい

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1:文学王妃は、名作を官能的にオマージュしたい

 人間(ひと)何故(なぜ)、浮気をするのかしら……。  原稿に向かいながら、また(・・)そんなことを考える。  今までにも幾度(いくど)となく胸を(よぎ)ってきた疑問だ。  特に、こんな物語――宮廷サロンで聞き集めた、やんごとなき身分の男女の……あるいは市井(しせい)に生きる人々の、色恋沙汰(ざた)醜聞(スキャンダル)の数々をまとめていると、余計に強く、そう思ってしまう。    政略のために結ばれた婚姻に、愛情を抱けないと言うのは、分からないでもない。  けれど、ならば恋の本能に従った“浮気”が真実の愛なのかと言えば……私の知る限り、全くそうとは限らない。    結局、愛とは何なのかしら。どんな愛情で結ばれるのが、真の幸福なのかしら……。  私には(いま)だ、その答えが見つけられない。  もしかしたら私は、その答えを見出すために、この物語を書きまとめているのかも知れない。……そんな風に、思うことがある。    この物語の企画が持ち上がったのは、今からもう何年も前のこと。  当時、私の主催(しゅさい)していた文芸サークルでのことだった。  優れた知識人・文化人をサロンに集めて交流し、教養を高めたり、芸術の保護奨励をする――それは、上流階級の婦人の(たしな)みだ。  サロンの気風は、主催者により変わる。  絵画などの美術に重きを置いたもの、最新の学問や知識の情報交換の場など……。  私のサロンは、文学中心のものだった。    本が、滅多(めった)に手に入らない稀少(きしょう)な品だったのは、過去のこと。  私の生まれる半世紀前に活版印刷の技術が生み出され、本はそれまでよりも遥かに多くの人の手に渡るようになった。  異国の歴史的傑作も、今では自国の言葉に翻訳され、世に出回っている。  そんな中、私たちの心を(とら)えた物語があった。  二百年近くも前の、中世の時代に書かれたものだが、未だに多くの人々に影響を与え続ける名作――その名は『十日物語(デカメロン)』。  十人の男女が十日かけて語った百の物語と、それをまとめるひとつの枠物語とで構成された物語集だ。  それまでの物語と言えば、昔話や神話など“過去の時代”を描いたものばかりだった。  しかし『十日物語』は、今の世(・・・)に生きる人々の、生々しい喜劇を描いたのだ。  過去の話と誤魔化(ごまか)すことのできない物語たちは、綺麗事では()まされない人間の“リアル”を(あぶ)り出す。  私たちは、夢中になってこの物語についての談義を()わした。そして、その情熱の盛り上がるままに、私たちの生きる現在(いま)の時代の“新たな十日物語”を(つく)ろうと、その構想を打ち立てたのだ。    しかし、それは結局、形にならずに終わった。  王国の中枢に()る以上、趣味の創作にばかり時間を()いてはいられない。  国にも様々な出来事があったし、宮廷にも様々な変化があった。  そうこうしているうちに、この話は自然と立ち消えてしまったのだ。  しかし、今の私には創作に打ち込むゆとりがある。  多忙なことに変わりはないが、娘も手を離れ、国の方も、新たな世代の手に(ゆだ)ねられるようになってきた。  だから、果たせなかったあの計画に、私一人でも再び取り組みたい――そう思い立ったのだ。    私の新たな『十日物語』は、形式的には原典(オリジナル)踏襲(とうしゅう)しつつも、内容は私の好みに沿()うよう、(おもむき)を変えている。  原典(オリジナル)のことは、もちろん尊敬(リスペクト)している。だが、不満が無いわけではないのだ。  まず原典(オリジナル)は、必ずしも男女の色恋の話ばかりではない。  恋にまつわる話をもっと読みたかった私には、それが物足りなかった。  それに……殿方同士の猥談(わいだん)にはよくあることだが……原典では、せっかく(つや)っぽい物語があっても、それを滑稽(こっけい)さばかりが目立つ笑い話にしてしまう。そうして、せっかくの官能的(エロティック)な雰囲気を()いでしまうのだ。  エロスには、情緒(じょうちょ)雰囲気(ムード)が必要だ。  色恋にまつわる失敗は、それ自体が他者から見れば充分(じゅうぶん)な喜劇。あえて笑いを大袈裟(おおげさ)誇張(こちょう)する必要は無い。  私は、もっと官能的で、時に残酷で、肉体(からだ)の奥底を燃え立たせるような、恋にまつわる物語を沢山(たくさん)描きたい……そう思ったのだ。
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