3:文学王妃は文学の自由を守りたい

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3:文学王妃は文学の自由を守りたい

 詩篇を出した年、母までがこの世を去った。私はますます文学にのめり込んだ。  文学は、私にとって魂の救いだった。  己の想いを文字にすることも、文字を通して他者の想いや世界の知に触れることも……。  きっとこの世に、無意味な書物など無い。無駄(むだ)な想いなど、何ひとつ無い。  世界の真理を探る深遠なる哲学も、世俗の欲に(まみ)れた喜劇も……皆、等しく素晴らしい。私にこの“世界”を教えてくれる、種類の異なる“教本”だ。  私にとって(・・・・・)、文学を保護し(はぐく)むことは、貴人の義務以前に、魂に刻まれた本能だ。  しかし……この世界は(・・・・・)必ずしも、文学に対して寛容(かんよう)ではない。    当時の教会は、すっかり形ばかりとなり、腐敗(ふはい)横行(おうこう)していた。そんな教会のあり方に反発し、新たな信仰が芽吹き始めていた。  旧来の教会の関係者たちは、この新教の台頭にピリピリし、旧来の信仰を()るがしかねない思想・書物を次々に取り()まっていった。  私と親交のあった文人たちの作品も、(いく)つも禁書目録(インデックス)()せられた。  少しでも教会に批判的な人間、新教や新しい主義に傾倒(けいとう)する人間は、迫害(はくがい)され、弾圧(だんあつ)され、身の危険に(さら)される。  私は彼らを、王族の権力でもって保護した。  私にしか、それは出来(でき)ない。自由な文学を――文化人たちの心の自由を、守れない。    人間の心のあり方を、特定の価値観で無理矢理(しば)るなど、間違(まちが)っている。  そもそも聖職者と呼ばれる人々が、必ずしも清廉潔白(せいれんけっぱく)でないことを、私は知っている。  支持できなくなった信仰から距離(きょり)を置き、自らが心から信ずることのできる信仰のあり方を探る――そんなことさえ許されないなんて……。  この世界は、何と堅苦(かたくる)しく、狭苦(せまくる)しく、権力者の思うがままにされてしまっているのだろう……。    神学者たちの(きび)しい目は、そのうち私にまで向けられた。  私が、母の死の年に出版した詩篇……それが、2年後に再版されたことで、大学神学者たちの目に()まってしまったのだ。  私自身は、決して旧教を否定する気も、新教を支持するつもりも無かったと言うのに……。  とは言え、王である弟に守られた私が、そう易々(やすやす)と害されるはずもない。  しかし……結果として私は、それまでのようには動けなくなってしまった。    弟は、自身はあくまで旧教の信徒でありながらも、当初は新教に寛容だった。  むしろ、政治的思惑(おもわく)から、他国の新教勢力を支援したこともあるくらいだ。  しかし、ある事件をきっかけに、新教への弾圧を始めてしまった。  一部の過激派が、旧教批判の文書を弟の寝室の扉にまで貼り出し、それが弟の逆鱗(げきりん)に触れたのだ。    粛清(しゅくせい)苛烈(かれつ)だった。   処刑される者も現れ、多くの人間が、他国への亡命を余儀(よぎ)なくされた。  新教と直接関係の無い思想家たちも、その思想が新教の考えに通ずるという理由で、弾圧の対象となった。  私の文芸サークルからも、多くの優れた文人たちが、国外へと去って行った。出版も、これまでのように自由ではなくなった。  文芸活動の何もかもが、宗教対立を()けるように、委縮(いしゅく)していく……。    私はそれでも何とか文人たちや思想家を守ろうとした。弟にも懸命(けんめい)(うった)えかけた。  ……中には許されて宮廷に復帰できた詩人もいたが……その詩人も、数年後には再び国外へ(のが)れて行ってしまった。  熱く文学を語り合える同志が、一人、また一人と、私の周りから消えていく……。  彼が再び去った年、私は例の大作に取り組み始めた。  かつてサロンで無邪気に語り合った夢……新たなる十日物語の執筆(しっぴつ)に……。
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