苦い グラフティ

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 あれから二か月程が立ったある休日の昼過ぎ、オレは母と一緒に五百旗頭(いおきべ)さん宅のチャイムを鳴らした。事前に連絡したほうがよかったかな? でも、今日は神社の奉仕活動はない日だから多分在宅しているはず。  はーい、と奥から声がしたので、オレは「こんにちはー」と声を張り上げた。 「長谷部君?」  玄関の扉が開いて、樹さんとフミさんが顔を出した。キッチリ高校の制服を着こんだオレと、淡いグレーのスーツを着た母に驚いたようで目を見開いている。 「突然お邪魔してすみません。定時制への転籍手続きが無事に済んだので、色々お世話になったお礼を言いたくて来ました」 「凌空の母です。なにかと相談に乗って下さっていたようで、ありがとうございました」  オレと母は揃って頭を下げた。 「いや、……その、こちらは別に大したことは……」  樹さんたちも恐縮して頭を下げる。  樹さんたちには「大したことではない」こと。  それが、オレにとっては「大したこと」だったんだ。  取り留めもない夜中の電話に付き合ってくれたこと。  フミさんが週末の神社の奉仕活動に引っ張り出してくれたこと。  今の自分を客観的に見つめて、出来ないことを嘆くより今できることを探そうと思えたこと。  全部が、今を変える一歩の背中を押してくれた。 「これから、焦らず自分の体調と付き合っていきつつ高校過程を修めようと思います。最近大分、朝のめまいと吐き気は納まってきたんです。気分的な部分もあると思うんですが、ちょっと嬉しいです」  オレはここ最近の体調を正直に打ち明けた。  樹さんは優しく微笑んだ。 「一進一退かもしれないからな、あまり無理はするなよ」 「はい。これからもお世話になると思います。よろしくお願いします」  樹さんの気遣いが有難かった。フミさんの好物だと聞いていたシューアイスを渡して、辞去した。  母と連れ立って家路についていると、小学校の角のところで見覚えのあるフード付きコートの子と出くわした。 「あっ!」 「うっ!」  互いの顔を見てギョッとした後、相手がオレの制服を見て目を瞬いた。 「えっ? それ、〇〇高校の……」 「あ……ああ」  オレは自分の制服に視線を落とした。  かつてはこの制服に袖を通すことに憧れて選んだ高校。  全日制には制服があるが、この春から行く定時制には制服がない。今日は、あと数回しか着られない制服だから、あえて着こんで樹さんの家に挨拶に行ったのだ。 「長谷部……君て、○○高校だったんだ」 「佐伯さん、この春から○○高校に行くことになったんだ?」 「う……うん」 「そうなんだ。おめでとう。いいとこだよ。高校生活、楽しんでね」  笑顔で祝福するだけの余裕があることに、我ながら驚いた。 「え? どういうこと?」  彼女は怪訝な顔をした。  うーん。ここで詳しく説明するほど親しいわけじゃないしな。 「そのうち神社から奉仕活動のお知らせがくるから、そこに来たら教えてあげるよ」 「えー……」  佐伯さんは茫然とした顔で視線を泳がせた。  あの後、何があったのか、オレも聞きたいしね。  じゃあね、と彼女とすれ違う。 「あら、……あの子、だあれ?」  角を曲がり切ってから、母が後ろをチラチラ見ながら聞いてきた。 「うん。前にね、神社で知り合った子」 「へぇ……」  母は、目をしばしばさせている。  浮いた話の一つもないから、オレが女の子と話をしていることが意外なんだろうな。  なんだか肩の荷が一つ下りた感じだった。 「ねぇ、母さん、神社にも報告しに行こうよ。初詣の時のお願いが叶ったからさ」 「まぁ、そうだったの? じゃぁ、寄って行かないとねぇ」  オレは母と連れ立って道を渡り、神社の石段へと向かった。                < 終わり >
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